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2018年5月10日木曜日

人生の扉がひらく祈り

今、クリ婚キャンペーン オンライン聖書の学びシリーズでは
「主の祈り」を学びつつ、味わいつつ、感想を分かち合っています。

「祈り」について
本当に多くの思い違いをしてきたことに気付かされ
身近な分だけ、難しく感じることも、あるものだなあと思います。


さて


私も婚活中に、本当によく祈りました。
そして、婚活を見守る中で、本当にいろんなひとが祈っていることを知っています。

その中で・・・

神に喜ばれる生き方をしたいという願い(祈り)と結婚という祈りが一致したとき、
未来への扉が開かれるような気がしています。


神に喜ばれる生き方をしたい
神に仕えて、従っていきたい
と祈ることと

結婚を与えてください
という祈りが


別々のことで、相容れないものだ

と、思い込んでいませんか?


それらは
本当に、別物なのでしょうか?



それは

「神に喜ばれる生き方をしたい
神に仕えて、従っていきたい」
ということをどう認識しているか、
によってくるように思います。


それは

教会奉仕を熱心にすること?
今ある生活(仕事)は神の導きなはずだからと忠実に取り組むこと?

もちろん、それらも
神に喜ばれ、神に従うことでしょう

いや

神に喜ばれ、神に従うことの「一つ」でしょう

あるいは

神に喜ばれ、神に従うことの「形」の「一つ」でしょう



けれど、大事なのは

神に喜ばれ、神に従うということの
「本質」を握っているかどうか
ではないでしょうか?


「本質」が伴っているなら

どんな「形」でも、どんな方法でも

神に喜ばれ、神に従う

ということは、叶っていくのではないかと思うのです。



本当に、その「本質」を追い求めていくならば、

「形」や「方法」については
手放していけるかもしれない…のではないでしょうか?


なぜなら、

神が望まれるのは
「本質」だし
キリストがこだわり続けたのも
「本質」だったから・・・


逆に、形にこだわったのは
律法学者たち、祭司たち……でしたよね?

キリストは、
どういう人のようであれ、どういう人のようであってはいけない、
と言っていたでしょうか?



話を戻します。



結婚したい

という祈りと

神に喜ばれ、神に従いたい

という祈りは

両立しないのでしょうか?



神に喜ばれる結婚
神に従う結婚
神に従って迎える結婚
を祈るなら

その祈りを、神は喜んで応えてくださらないでしょうか?


結婚生活だけでなく

そこまでの道のりにおいても

神の喜びとなり、神に従うこと
を祈り求めていくなら

神に喜ばれ、神に従う結婚生活の
よい準備となるし

準備でできているならば
本番でまったくできない、ということはないと思います。

つまり、

神に喜ばれ、神に従う結婚生活の
保証となりうる

かもしれない。



あなたの
婚活の仕方、
婚活の視点、
相手への条件は

神に喜ばれるもの・・・でしょうか?
神に従うもの・・・でしょうか?


ちょっと怖いかもしれないですが

今一度、考えてみてはどうでしょうか?


新しい気づきが、あるかもしれません。




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