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2019年7月6日土曜日

<結婚のカタチ 3>後編

(つづき)

正男さんは二つの大きな問題を抱えていました。一つは「片付けられないこと」。彼の部屋を初めて見た時、かつて見たことがないほど散らかった部屋を見た陽子さんは…

この人との結婚を考え直す…

ということはせずに、

一緒に片付けを始め、専門業者を手配して彼と一緒に断捨離をしていきました。もう一つの問題も、ここでは具体的には言えませんが、彼女が当時携わっていた仕事のスキルが多いに役立ち、徹底的な解決に向かうことができました。

どちらも、長年彼一人では解決できない問題でした。しかし、彼女の存在と彼女がもつセンスやスキルが、彼の弱さと問題を大幅に解決にしてくれたのです。しかも、結婚前に…。

正男さんは、このことを通して、彼女との結婚を強く決心したそうです。迷惑をかけるのではないか、という心配以上に「陽子さんは自分の人生にとってかけがえのない存在、一緒に生きていきたい」という思いが強くなったのでしょう。

自分の弱さに踏み込まれることを嫌がる男性もいますが、13歳という年齢差もあるためか、正男さんは彼女の積極的な介入に嫌悪感を感じることなかったそうです。彼からは何度も「ありがたい」と感謝の言葉が出ていました。

 陽子さんも、発達障害とそれに伴う問題になぜこんなにも関わっているのか、大変さを感じながらも破談しようとは思わなかったのか、本人にもわからないまま、問題解決と結婚準備とが進んでいったようです。聖霊は時に人の意思や意識を超えて働れることがありますが、クリスチャンの婚活では特に見られる現象の一つです。

そうして、気づけば、出会って約8ヶ月、正男さんと陽子さんは結婚しました。その間にも、聖書のみことばと教会の方々、牧師先生、家族が二人を支えてくれたそうです。

 結婚生活はいかがですか?と聞くと、陽子さんは「お互いの意見を尊重しながら二人でうまくやってます。」正男さんは「独身の頃に比べて、生活環境は格段に良くなりました。色々な意味で『監督』が必要だった私にとって彼女は重要な存在です。」と言っていました。

 お二人にご自身の婚活をふりかえり、今婚活中の方々に伝えたいことを聞きました。
陽子さん:お付き合いの最中には色々とハプニングはつきもので、聖書を土台とした教えは対応してもらえるけど、現実的な悩みになると神様は「今すぐの悩み」には対応しては貰えないので「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(テサロニケ人への手紙5章16節~18節)を思い出して主人との結婚を耐えず祈り続けてきました。」
正男さん:よく、結婚することを「ゴールイン」と言いますが、むしろここから「スタート」だと思います。ここからがいろんな意味で長いので、幸せな結婚に導かれるよう主の祝福を祈ります。

 金沢には、壊れた陶器の割れ目を金で継ぎ、新たな価値ある器に生まれ変わらせる「金継ぎ」という修理技法があります。
信仰とみことばという金で継ぎ合わされ、想像を超えた結婚生活へと導かれたお二人の姿は、それだけで神の素晴らしさを映しだす「金継ぎの器」のようではないでしょうか。

 お二人の結婚生活がますます主の祝福の中で実り、多くの人たちの証となりますようにと祈ります。
ーーーーーーーーーー

「結婚のカタチ」シリーズ連載をさせていただいている
ファミリーフォーラムマガジン2019年夏号

http://www.ffj.gr.jp/new/magazine.htm

マガジンにはいろんな結婚・恋愛・家族についての優良な記事がたくさんあります。
ぜひ、お求めください♪

2019年7月5日金曜日

<結婚のカタチ 3>前編


ファミリーフォーラムマガジンで連載をさせていただいている
「結婚のカタチ」シリーズ。
2019年夏号が発刊されました。

http://www.ffj.gr.jp/new/magazine.htm

マガジンにはいろんな結婚・恋愛・家族についての優良な記事がたくさんあります。
ぜひ、お求めください♪

今回マガジンでもご紹介した<結婚のカタチ>だけ
こちらでもご紹介したいと思います。

今回ご紹介するのは、年齢と障害を超えた結婚の証です。

<結婚のカタチ 金継ぎ編>前編
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これは、私が見させていただいた「想像を超えた主にある結婚」の証です。神が二人の男女を導き、一つの夫婦として結んでくださることを通して、私たちは「神が共におられる」「神様は全知全能のお方だ」ということを改めて教えられます。

「障害」の定義をご存知でしょうか。
日本の障害者基本法によると、障害者とは「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。」とされています。つまり、身体的精神的弱さのために生活していく上で「障壁」があり、生活に制限を受けている状態です。「障害」は乗り越え難いものというイメージがありますが、「障壁」ならばアイディアや協力によってその「壁」を乗り越え、あるいは回避することができるのではないでしょうか。そうして、生活の制限を軽減することによって「障害」は「個性」になることもあるのです。

今回ご紹介するのは、年齢、障害による「壁」を神様がそれぞれに備えられた「賜物」と「アイディア」によって乗り越え、パズルのピースが合わさるように結ばれたお二人の結婚の証です。

金沢にお住いの正男さん(仮)と陽子さん(仮)は、金沢で行われていた超教派のクリスチャンの集まりで出会いました。
当時、正男さんは46歳、陽子さんは33歳。

正男さんは、30代の頃から牧師と将来のパートナーについて祈ってきましたが、牧師先生の積極的な祈りを受け、この頃本格的に婚活のために動き始めたそうです。

陽子さんも、周りの友人が次々と結婚していくのを見て、ちょうど婚活に本腰を入れ始めた頃でした。33歳という年齢は、婚活においてはそれほど遅い年齢とは言えませんが、彼女にとしてはとても焦りを感じていたそうです。

正男さんにも婚活にあたって心配なことがありました。彼は大人になってから自分が発達障害であることを知り、それが婚活や結婚生活に支障をきたすことになるかもしれないと危惧していたのです。

そんな二人が、結婚をテーマにした小さなクリスチャンの集まりで出会い、互いに共感する趣味を通じて意気投合しました。その後、改めて正式にお見合いをしたとき、正男さんは正直に自分の発達障害について陽子さんに話したそうです。陽子さんは驚きましたが、二人はお付き合いを進めることになりました。そしてその中で、実際に陽子さんは正男さんの発達障害の現実を見ることになりました。

正男さんは二つの大きな問題を抱えていました。一つは「片付けられないこと」。
彼の部屋を初めて見た時、かつて見たことがないほど散らかった部屋を見た陽子さんは・・・
(つづく)

2019年6月28日金曜日

西岡まり子先生恋愛結婚セミナー<婚活編>

CGNTVの
西岡まりこ先生の恋愛結婚セミナーシリーズ
<婚活編>が公開されています。

婚活編は座談会の形をとり
仲人士として、リベカの辻香さんが
婚活経験者として、わたくしカワセが
参加しました。

前編は婚活(結婚相談所での)流れがメインテーマ
後編は婚活って実際どうなの?なにがいいの?がメインテーマ
です。

ぜひご覧くださいまし!

婚活座談会1と2をクリックしてみてくださいね。
http://japan.cgntv.net/detail.php?number=3159&category=1036&fbclid=IwAR3VfqiV28kc92oPAB9KW6ZJSLLTcT4OIr3j_pRBQGQFKvmzkohbQkgWrW4


2019年6月11日火曜日

西岡まりこ先生の恋愛結婚セミナーシリーズが始まりました

西岡まりこ先生の恋愛結婚セミナーシリーズが始まりました。
「恋愛」とそのプロセスをとてもとても丁寧に紹介してくれます。恋愛って何?
なんだったっけ?という方、ほんとオススメ!!

<1回目>
http://japan.cgntv.net/detail.php?number=3159&category=1036


<2回目 つづき>
http://japan.cgntv.net/detail.php?number=3159&category=1036&fbclid=IwAR3uOHtTeCEAGaR7h-75xGjn-RTmzBp0R8Y_HDT_L8_CLcnN5NhjU-80VoI


2019年6月8日土曜日

結婚の新しい意義

少子化だ・・・とか
生涯未婚率があがった・・・とか
問題としてあげられ、
婚活する人、あるいは独身者にはやたらとプレッシャーを感じてしまうかもしれません。

でも、

知ってます?

日本の生涯未婚率は
江戸時代から明治初期まで
もっともっと高かったんです。
ちなみに離婚率も高かったそうです。

明治に入り、民法で庶民の結婚について定められて初めて
「結婚しましょう。夫婦は基本添い遂げましょう。」
という流れができて
そこから日本の結婚率は上がっていったのだとか。

ほとんどの人が結婚する
とか
妻が夫の扶養に入る
とか
そういうような常識が出来上がったのは
日本の歴史の中では
わりと最近のこと・・・なのです。

100年くらい前までは
結婚しない人があちこちにいて当たり前、だったわけです。


何が言いたいかと言うと

常識に外れたくないから、結婚する・・・
みんなするから、とか、当たり前だから、結婚する・・・

という概念によってプレッシャーを感じる必要はないんじゃない?

ということ。

その代わり

新しい結婚の意義を見つけ出すべきだと思います。

なんのために結婚するのか?したいのか?

例えば、

結婚してもいいし、しなくてもいい
その選択に、だれもあなたを責めたり、蔑んだりもしない

その上で、
あなたは、結婚したいか?なぜしたいか?

内側からの理由づけを、自分なりに見つけてみてはいかがでしょう?

そして、その理由と聖書を照らしてみて
納得いったら
どんな選択にしても
きっと前に進みやすくなるんじゃないでしょうか。

2019年5月29日水曜日

魅力ってなんだ?

先日、とあるクリスチャンネット番組の収録にゲストとしてお話しさせてもらってきました。
もちろん、クリスチャン婚活がテーマで、私は婚活経験者として参加しました。
それにあたって、婚活仲間の友人たちにも婚活についていろいろ聞かせてもらい、声を集めました。

収録の準備をしながら、思うことは多々あったのですが、
ふと、魅力ってなんだろな・・・と思いました。

婚活をして、結婚にいたった人たちのそれぞれのプロセスを見ながら
思うのは・・・

何かができるから、何かが優れているから結婚する、相手に選ばれる・・・
ってわけじゃない

ということ。

もちろん婚活の場では自己アピールをするわけで、
そこでは自分の短所、デメリット的なことをアピールはしないし
当然、良い面、得意なこととかを表現していったほうがいいんだけど

人が何に魅力を感じ、
この人ともう少し話してみてもいいかな、と思うかというと

好条件なスペックとかじゃなくて

人柄・・・とか
在り方・・・とか
たたずまい・・・とか
生き方・・・
みたいな

その人そのもの・・・

みたいなところかと思うんです。

だから、
年収が高くない人でも
年齢が高い人でも
障害を抱えている人でも
不利な条件抱えてても
結婚に至る人が出てくる。

奇跡的なマッチングが誕生する。

と、なるとですよ

これは、一夜漬け的にはいかない。
身だしなみやメイクを変えるだけでは追いつかない。(これはこれでやったほうがいいけど)

人としての本質的なところを磨く必要がある。

そ、そんなの・・・間に合わない!

と思うでしょうか。

人の本質って、長い期間かけて構築されるものだから・・・?

私は、その常識、ちょっと違うと思うんです。

なぜって、一瞬にして、
その人の本質的な在り方が、生き方が
劇的に変わる方法が、私たちにはあるから。

聖書を見ると、いっぱいいるじゃないですか。

キリストに出会うことで、キリストを信じ救われたことで
生き方が、在り方が、劇的に変わった人たち。

弟子たちもそう、パウロもそう、ザアカイもそう、サマリアの女もそう、
伝道された異邦人の兵士たちも、百人隊長もそう・・・

信仰により、恵みによって、キリストに出会って、また聖霊の助けによって
人ってありえないくらい変われるんです。


婚活仲間たちの証の中でみんなこの”変化”を体験していました。
主からの訓練を受け、変えられたときに、導かれた。変えられたから、目が開かれ、出会うことができた。
そんな証がいくつも出てきました。

一番の魅力アップは
神様からの訓練をあまんじて受け
キリストに似たものへと変えられていくこと

聖霊に心の部屋を明け渡して
ブラッシュアップしてもらうこと


もし、
外側を磨いているのに
マナーも悪くなく、服装もきちんとしているのに
な〜んかうまくいかない、
というときは
私って魅力ないのかなぁ、と絶望せずに
「神様、私を変えてください!!輝く者としてください!魅力溢れる者にしてください!」
と祈ってみるのも
いいかもしれません。


2019年5月27日月曜日

崇高な目的がなければ結婚できないのか?

何のために結婚するのか?

クリスチャンとして結婚するからには、
その目的はなんであるべきなのか?

神を証しするため
神に共に仕えるため
夫婦を通して伝道するため
夫婦でこういう奉仕をしていきたい
結婚したら家庭集会をひらきたい
召された奉仕があるからそれを結婚後もするため
結婚して一緒に検診するため

……

素晴らしい、結婚の目的。

夫婦で神に仕えること
夫婦で神の栄光を表すこと

確かにそう。

これは間違ってない。


だけど

そんな崇高な目標を持ち続けて、婚活したっけな?(笑)
そんな人、私の婚活仲間にいたっけな?

とふと思うのです。

何人ものクリスチャンの婚活相談にのる中で
「私にはたいした賜物もないし…できる奉仕(能力)もないし…」
という声を何度も聞きました。

みんな
ささやかで、小さなクリスチャン

何ができるわけじゃない
何ができてきたわけじゃない
教会でだって本当になんということもない小さな奉仕をしている
人によっては仕事が忙しくてほとんど奉仕はできない

でも

クリスチャンと結婚して
ささやかに
二人で祈るとか
一緒に教会いって礼拝するとか
一緒に聖書をちょっと読むとか
一緒に、この賛美いいねって聴くとか

そんなささやかなクリスチャンの結婚生活を送りたい。

そんな理由で
結婚を願ってはいけないのだろうか?



微妙な違いなのだけど

信仰を結婚の理由として利用するのは違う

と思うのです。


奉仕を続けたいから
教会生活を守りたいから
神様に仕えたいから
結婚したい


いやいやいや

結婚してもしなくても

奉仕を捧げる
教会生活を守る
神に仕える

それは、何があっても変わらないライフワークなはず

結婚しなきゃ
奉仕できない、教会生活ができない、神に仕えられない
わけじゃないですよね?

いつのまにかそれがすり替わって
願った結婚生活が叶わなくて
こんなに正しいこと願って祈っているのに
どうして叶わないの?!神は祝福してくれないの?!
って、絶望する
そんな必要はないのです。

私たちの正しさが神を動かすわけじゃない。
私たちの願いで神が動くわけじゃない。

神様が主体。主導権は神様にある。
結婚もそうだと思うんです。


今、結婚に導かれた婚活経験者の証を集めています。

何組ものクリスチャンの結婚式、そしてその後の結婚生活を見てきました。

信仰を持つこともそうだけど
結婚も
結婚生活も

私たちがどうする

というものではないな、とつくづく思います。

もちろん神に喜ばれることを願い求めて祈るんです。大事なことです。

でも、建てあげ、成し遂げるのは
神だな
と思わされます。

本人たちは
願い求めた祈りも忘れるほどに
必死で目の前のことに向き合い取り組みます。

神様は
その一人ひとりを取り扱って
試練を与え、成長させ
適した人とめぐり合わせ
適した「仕え方」へと導いていき
自然と証しする者としていきます

どんな人と
どんなことを通して
神の栄光をあらわすか
神に仕えていくか

それって
人間の側が決めることじゃなくて
神様の方で決めること

ささやかなクリスチャンの結婚生活の中で
自然と神の栄光があらわれるようになるんです。

あらわれるようにする
じゃなくて
あらわれるようになる

ということだと思うんです。

人が神に対してできることなんてない
これほどおこがましいことはない
でも、もしあるとすれば
神様に扱われること
器となること
神様に利用してもらうこと
神の栄光や愛を流す管としてもらうこと

だから

結婚の目的は
ささやかでもいいと思うんです

神様を第一に心に据えていれば。

方法や具体的なことは
神様にお任せして、楽しみにして。


証を寄せてくれたカップルたちは
みんな、ささやかに信仰生活を送るクリスチャン夫婦です。
大きな奉仕や活躍をしている人はいません。
でも、彼らの証ほど
「神様は素晴らしい」
と思わせるものはない…と感じます。
ものすごい説得力です。

どんな感動的な賛美コンサートより、心を震わせます。 


2019年5月13日月曜日

婚活は”達成”するものじゃない!

クリスチャン婚活支援の輪が、私たちが婚活していた7年前よりずっと広がっていることに
感謝だな、と思います。

CCMを始めたばかりの頃、まさにこのことを祈って始まったからです。

婚活パーティーやイベント、セミナーもたくさん開催されるようになったので
参加もしやすくなったのではないでしょうか。
(それでも「婚活しなきゃいけないのか」という心の葛藤はあると思うけど)

婚活本もたくさん出ています。
「リベカ」さんでは発足して2年にも関わらず、その間に蓄積された声や経験を元に
オリジナルの婚活参考書的な本を作って、会員さんにお渡ししたり、イベントで販売したりしているそうです。
すごい・・・すごすぎる。

先日、とあるクリスチャン系ネット番組の結婚をテーマにした対談に
婚活経験者として参加してきました。
結婚カウンセラーとクリスチャン仲人士と婚活経験者の三人による対談です。

なにげに純粋に婚活経験者として語ることってなかったので
少し新鮮な思いでした。
事前に婚活仲間の声も集めていたので、婚活経験者代表のような思いで
お話をさせていただきました。

そんなこともあって、
ふと思ったこと・・・

婚活はね

ゲームじゃないし

勝ち負けでもないし

達成するものでもない

ということ。

婚活して結婚した人は誰一人
結婚が決まって「勝った!」とか「ゴールした!」とか「攻略した!」
なんて思わない。

ここのところは、
婚活をサポートする側の人にはわかっておいてほしい!

でないと、結婚を祈って活動している人の心をむやみに傷つけることになります。

そして、勝ち負け心理で結婚に至ると
結婚を恵みとして受け取れない・・・自分で獲得したかのように勘違いをして
結婚生活のつまづきとなっていくと思うのです。

結婚した婚活経験者10人以上の声が私の手元に集まっています。

皆が揃いも揃って

婚活は私にとって必要な主からの訓練の時だった
祈り、みこころ、神との関係、自分の在り方を教えられる貴重な機会で
そのとき得たもの、経験が「婚活の実」「婚活してよかったこと」だ。

と、証言するんです。

誰も

婚活の実、婚活してよかったことは結婚できたことです・・・とは言わないんです!!

そういう視点で

婚活する人も
サポートする人も
婚活と向き合ってもらえたらいいなあ

と、私は思います。


2019年4月15日月曜日

<結婚のカタチ 2>後編

(つづき)
 お付き合いが進む中で、お互いが結婚を決めたポイントをお聞きしました。トシオさんは、ゆりえさんが神様を愛し自分を愛してくれていると感じることができたことがきっかけとなったそうです。そして、ゆりえさんは、としおさんが礼拝にちゃんと通い、仕事を頑張り、家族を大切にしている姿を見て、結婚へと心が導かれていったようです。
 出会いから8ヶ月後、お二人の結婚式が開かれました。私も招かれ参列させていただき、仲睦まじくも落ち着いて寄り添うお二人の姿に感動を覚えました。遠距離で仕事の忙しい中、結婚式や新婚生活の準備、お互いの家族との関係作り、二人の絆を深めていくことは大変だったと思います。結婚後もゆりえさんのお仕事の区切りがつくまでの数ヶ月は同居はおあずけ、まさに遠距離婚から始まりました。しかし、二人で祈り合い、コミュニケーションをとり、問題があればきちんと向き合って解決することを決して妥協せずに、少しずつ関係を築き続けてこられたことを、結婚式のお姿やFacebookで垣間見るデート写真を拝見しながら感じます。

 結婚生活はいかがですか?とお聞きしたところ、トシオさんは「結婚生活は楽しい事も辛い事もありますが、ともに笑いともに泣き、ともに祈り支え合えることは素晴らしいです。」とお答えくださいました。ゆりえさんは「山あり谷ありですが、神様に祈って行く事で祝福いっぱいです。」とおっしゃっていました。
 まもなく結婚4年を迎えるお二人は、先日待望のお子さんを授かりました。子育てという新しいステージに、愛と希望たっぷりに立ち向かっているようです。
 今、婚活中の方々へ伝えたいことをお二人にお聞きしました。トシオさんは「自分の思いで全てを決めつけるのではなく、神様が道を開いてくれているならば祈って前進してください。」ゆりえさんは「辛いこともあると思いますが、基本的には神様が結婚に導いてくれていると信じて歩んでください。」とおっしゃっていました。

 遠距離、それぞれが抱える重荷、仕事の忙しさなどさまざまな障壁がお二人にはありました。にも関わらず、その深刻さをあまり周りに感じさせず、明るく楽しく過ごしておられるように見えるのは、お二人がシンプルに神様に信頼をおきながら、素直に神とお互いとに向き合い、純粋に愛と主にある喜びを大切にされていたからかもしれません。

 お二人の結婚生活、家庭生活がますます主の祝福の中で実り、多くの人たちの証となりますようにと祈ります。


2019年4月13日土曜日

<結婚のカタチ 2>前編

これは、私が見させていただいた「想像を超えた主にある結婚」の証です。神が二人の男女を導き一つの夫婦として結んでくださることを通して、私たちは「神が共におられる」「神様は全知全能のお方だ」ということを改めて教えられます。

今回ご紹介するのは、遠距離、年の差、それぞれの抱える重荷を超えて結ばれたトシオさん(仮)・ゆりえさん(仮)カップルのお証です。
お二人が出会い、ご結婚したのはトシオさんが36歳、ゆりえさんが41歳の時でした。トシオさんは愛知県、ゆりえさんは宮城県にいらっしゃいました。その距離約700km・・・。まるでイサクとリベカのような遠距離を超えて、二人はどのように出会ったのか・・・。
その瞬間を私はよく覚えています。お二人が出会ったのは、私が主催していた婚活サポートミニストリーCCMが某クリスチャン結婚相談所の協賛で開催したお見合いパーティーでした。トシオさんは、その数ヶ月前からCCMの交わり会に参加されていました。トシオさんの教会で婚活を支援する会が立ち上がり、参加することで積極的に結婚を考えるようになり、より出会いや交わりを広げるためにCCMの会にも足を運んでくださるようになったのです。交わりの中でトシオさんがご自身の魅力や良い面に少しずつ気づかされ、会う度に服装がセンスアップし、ご自分に自信がもてるようになっていく姿を私も見守っていました。そして、実践的な出会いの場であるお見合いパーティーにも参加してくださったのでした。
ゆりえさんは、協賛の結婚相談所の会員さんでした。パーティーに参加するために、はるばる宮城県から来てくださった(しかも日帰り)と聞き、私も参加者も大変驚きましたが、「小旅行みたいで楽しいですよ!」と明るく答え、いろんな方と楽しく積極的に話していらっしゃった姿がとても印象的でした。「まるで面接みたいですね」と男性参加者が思わず笑ってしまうほど積極的なトークでしたが、それもそのはず、ゆりえさんの当時の職業は女医さんでした。彼女が結婚を祈り始めたきっかけは、東日本大震災を経験し、1人でいるのは良くない、家族が必要だと思ったからだそうです。
トシオさんもゆりえさんもそれぞれいろんな方と連絡先を交換し交流していましたが、2ヶ月後くださった交際報告メールにはお二人がにこやかに寄り添うデート写真が添付されていました。

そんなお二人ですが、婚活中に悩まれたことがありました。トシオさんは、自分の弱さを受け入れてくれるかどうかということでした。彼は少し難しい持病を抱えておられ、そのために車の免許を持つことができませんでした。(それでも旅をするのが大好きで、フットワーク良く電車であちこちへ旅行されていました。)ゆりえさんは、ご自身の年齢を気にされていました。3年半婚活をつづけ、トシオさんと出会った時はすでに40歳を過ぎており、それでも本当に結婚してくれるかどうか…心配されていたそうです。また、お二人ともお仕事が忙しい上に、遠距離でのお付き合いということで、自分の時間を削って相手のために捧げること、デートの時間をつくることに大変さを覚えることもあったそうです。
 お二人の支えとなったものは、牧師夫妻や、教会の婚活仲間の励ましと祈り、石井希尚さんの著書、そして聖書のみことばでした。トシオさんは「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい(テサロニケ1  5:16)」ゆりえさんは「あなたの道を主にゆだねよ、主が成し遂げてくださる(詩篇37:5)」のみことばを胸に婚活を進めていたそうです。

 お付き合いが進む中で、お互いが結婚を決めたポイントをお聞きしました。・・・
(つづく)


2019年3月16日土曜日

ご報告

先日2月の終わりに
無事に出産いたしました。



現在は慣れない育児に追われています。

たくさんの方に祈ってもらい、また夫婦でも祈り、
妊活という試練を通って、ただただ神様の憐れみによって
母とならせていただいた・・・本当に感謝です。

まだまだ、新しい生活の入り口で
想像を超えることがたっくさんで、てんやわんやしていますが
母として、養育者として、また妻として、
与えられた務めを成し遂げていけるよういっぽいっぽ歩んでいきたいと思います。

CCMや私の周りでは、この冬〜春にかけて、出産ラッシュです。
とくにアラフォーでの出産(初産)が多いです。

婚活して結婚したカップル、結婚してから妊活したカップルが
子育てという新しいステージに導かれています。

30代後半で出産を考え焦りを感じる・・・
40代になって結婚して子どもを望めるのだろうか・・・

婚活しながらそんなことを考えて
焦ってしまうこともあるかもしれませんが

神様はやるときは、やります。

人の歩みは本当にそれぞれなのだと思います。

私は30代前半で結婚したのに、原因不明不妊で病院通いし、6年かかって授かりました。
30代後半で結婚した友人は、結婚して1年で授かりました。
40代半ばで結婚した友人も、結婚して1年で授かりました。

自分が結婚後どのように導かれるのかは、わからないのです。

常識にとらわれるよりも
自分と神様との関係や、神様が自分に与えてくださるものをしっかりと受けていくこと
の方が、ずっとずっと大切だと、
今回思わされました。

そして

「私はできる」「できるはず」

という思いが、いかに障害になるか、自分を苦しめてしまうか
ということも教えられました。

「私はできない、不完全なもの」「神様に助けてもらうしかない」
と、とにかく神に目を向け、仰ぎ続け、助けてくださると信じきって歩む
そんなメンタリティーでいると、
実はすごく生きるのが楽で、神様の御業に触れやすく、試練はあっても感謝いっぱいに進めるように思います。

今も
小さな命を目の前に、どうしていいかわからないことだらけ
途方にくれることばかりです。
1日1日をやっとこさ乗り越える。
朝に「私も、子どもも、夫も、家族も、友人も、今日1日を無事に過ごせますように」と祈り
明け方、新しい1日が始まる直前に
「今日1日を生き延びることができました。ありがとうございます。」と祈る。
(2、3時間毎の授乳で、夜昼の境がありません。なので、1日の終わりが明け方な感覚)

夢とか、理想とか、考える余裕がない日々ですが
それらがなくても…何か大きなことを達成できなくても…
神様の恵みと祝福を体感して生きることができるんだ、と実感しています。

婚活も、妊活も、
目標を持って、理想を持って、ゴールを目指して、夢を叶える・・・
みたいなイメージがあるかもしれませんが、
決してそういうものではなく、
実はとても「日常」なのだと思います。
とても地道な何かの中にあるような気がします。



CCMやKCMの活動再開は、まだ未定ですが
CCM、KCMに代わって、クリスチャン婚活のサポートや交わり、学び、出会いの場が
ちゃんと与えられていることに感謝しています。
ぜひ、検索してみてください。
諦めず、機会を活かし、祈りと行動が増していきますようにと、
私も祈っています。

2019年3月3日日曜日

女性にエールをおくります!

出産を目の前にして
なぜか結婚本をとりつかれるように読んでいます。

今、下記の二冊を、ほぼ同時進行で読んでいます。

結婚の備え(尾山令仁)
夫をささえる30の祈り(ストーミーオマーティアン)




どちらも、まだ途中ですが・・・

「結婚の備え」は
人は男と女とに造られ、協力して一つとなることで神の栄光を現していけるということを前提に、女性の特徴、男性の特徴、性のことを丁寧に語っています。

これが書かれたのは実に40年前!!
それでも、今でも通ずるものがあります。
ときどき「表現がちょっと男性ならではだなぁ」と感じたり、
今はちょっと男性も女性も変わってきた部分があるけどなぁ、とか
男女を超えて、精神的な要素、育ってきた環境による影響などもあったりするけどなぁ、と感じるところもあります。
でも、女性として「あるある」男性に対して「あるある」と思えるところも多々あり
非常に興味深いです。

この本の中で
女性の特徴として
「男性の保護やささえを求め、気分的には不安定で、変わりやすく、感受性に富み、愛情に生き、信仰心があつい」
ということが書かれています。

感受性の強さについては
「気まぐれ・・・女性が男性に対して抱いている劣等感があるから。・・・女性の感傷癖は強い。・・・すぐにショックを受けやすく、全体的総合的にものを見ることができず、一つのことや表面だけを見て判断しやすい・・・虚栄心も強く・・・こうした浅薄さは、正しく指導されさえすれば健全に成長していく・・・」とあります。

女性として「おい!!」と言いたくなる感じですが(笑)
半分心当たりもなきにしもあらず・・・

また、男性の保護とささえを求めることも、ちょっと強調されているように感じました。

これも、半分心当たりがある気がしつつも
経済力を持ち始め自立した女性が増えてきた今、ちょっと感覚がちがうのかな、と思ったりまします。
でも、どんなしっかり者の女性でも「男性に守られたい、男性を頼りにしたい」という気持ちをもっていることも、婚活の面談を通して感じます。

こればっかり読んでいると、
そして、あぁ心当たりが自分にもあるかも…と思うほどに

なんか女性って…不安定で弱くて守られるしかないの・・・?
そういう存在として造られちゃったの?
って落ち込んでしまいそうですが・・・、

「夫をささえる30の祈り」を読むと
その倒れそうな気持ちがぐぐっと立ち上がり、勇気が湧いてきます。

女性として、妻として、こんなに男性(夫)のためにできることがある!
女性としての性質、弱さがあるとしても
信仰によって強められ、驚くほど祈ることができ、
具体的に男性をささえることができて
むしろ男性にとっての力となり、ささえとなり、保護となり、かけがえのない存在になれる!

みことばと祈りによって
そして、聖霊が働いてくださることによって
女性ならではの不安定さや感受性の強さもちゃんとコントロールできるようになるし
さらに男性の欠点や落ち込み、足らなさを補うことができる!

ということがわかります。


結婚したら
妻としてちゃんとやれるだろうか・・・?

自分の弱さを自覚するほどに、不安になるかもしれませんが

大丈夫!

ちゃんとその方法も知恵も祈りもあるから、大丈夫!

だから、

勇気を持って、結婚に踏み出し、
クリスチャン妻になろう♪なれるよ!

と、今、

婚活中のすべてのクリスチャン女性に

エールを送りたいと思います♪


2019年2月27日水曜日

迷う理由はここ?

古い信仰書、クリスチャン結婚本、子育て本を読んでいると
繰り返し出てくる概念があります。

それは

「自分の感情ではなく、主に従う」
なぜなら
「私たちの命も体も、もはや自分のものではなく、キリストのものだから」
よって
「神のみことばに従うのは当然の道だよね」

という考えです。

その土台となっているみことばは

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラテヤ2:20)」

「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。(ロマ6:8)」

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。(Ⅰコリ6:19)」


クリスチャンになった=自分は自分のものでなくキリストのものとなった

という意識を当然のように土台に据えて、様々なことが語られます。




実は

この意識って・・・あります??

私に対する権利は、私にはない。キリストにある。っていう感覚・・・。
あります????



私、この意識がめばえてきたの・・・わりと最近です・・・m(_ _)m




私たちの取り巻く常識は

個人の権利…とか
個人の自由意志…とか
多様性…とか
私には自由がある…とか
個人の自由を主張する…とか
私の考えも尊重されるべき…とか

そういう感じだと思うんです。

私のことは私が決めていい。私には選ぶ自由があり権利がある。

それが常識・・・みたいなとこ、ありませんか?


だから、クリスチャンといえど、人として自分の自由、自分の意思って尊重されるよね、思ってたんです。



でも、なーんか、うまくいかない・・・もやもやする。
なんでだろうって思ってたんです。


それで、気づいたんですけど


聖書の先ほどの概念って
これと全く対立するんです。

聖書では

クリスチャンになったというなら

あなたはキリストと共に死んで、キリストと共によみがえって、
あなたの存在はキリストの十字架によって神に買い取られたから、
もはやあなたはキリストのもの、神のもの。
「あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」
と言うんです。


もしそうだとしたら・・・

私たちは、キリストのものなのに、決定権は神のものなのに
なおも、その中で、
自分の意思が優先されるべき、自分のことは自分で決めると考えたら

自分に対するリーダーが、キリストと自分と二人いちゃって…

もう、ごっちゃごちゃになりますよね。


あるいは、

なんだ、結局、神のものになってないじゃん。
キリスト共に死んでよみがえって、キリスト共に生きてるんじゃないんじゃん?
買い取られてないんじゃん?
ってことは、信じて救われてな・・・??

てことに・・・なっちゃいそうじゃないですか?


この対立する二つのことを
共存させるのは、たぶん、無理だと思うんです。

単純にね

買い取られたら、そのものは、買い取った人に権利があるじゃないですか。
どう使おうと、買った人に権利があるじゃないですか。
それを、売った人が買った人に「こうしろ」って言える権利、ないですよね。
そう主張するなら、売るなって話で・・・。

だから、

やっぱり、どっちかだと思うんです。


じゃあ、クリスチャンになったら個人の自由はないのか?そんな主体性がないことでいいのか?
という意見が聞こえてきそうですが…

そもそも、主体的に、自分の権利を神に明け渡して、クリスチャンになるんじゃないの?
クリスチャンになろうって時点で、自主的に自分を神様に明け渡して、古い自分を捨て(死に)、新しい生き方となる決心をしたんじゃないの?
そのはじめの決心がなくて、クリスチャンになったの?
今になって、明け渡したはずのものを「やっぱり自分で…」と取り返そうとしているの?
逆戻り(ガラテヤ4:9)しようとしているの?

・・・てことになると思うのです。





婚活で

神のみこころに従って結婚したい

と言いながら

でも、神様が私の希望通りの人をくださらなかったら、なんかイヤ…

と思うのは

こういう混乱があるからではないか?と思うのです。


・クリスチャンって、なんなんだ?
・クリスチャンとなった私は、どういう存在なんだ?
・私に対する主権は誰にあるのか?
(主権が二つも三つもあるということはありえないですよね。No.1、唯一の権利という意味だから)
・クリスチャンなら、どういう意識で生きるものなのか?

という、根本がはっきりする必要があるなぁ。

そしたら、もっとすっきりと生きていけるし、婚活の方向性もはっきりするのかもなぁ、と思ったりします。 


2019年2月25日月曜日

東京で婚活パーティーあります

東京で、アットホームな婚活パーティーがあります。

リタマリッジというクリスチャン結婚相談所が主催です。

https://www.facebook.com/100002164359051/posts/2043661692382623/

お早めにー!

婚活中から結婚準備まで使えるテキスト

クリスチャン婚活サポートのミニストリーが
この10年くらいで驚くほど広がっています。

私が結婚した7年前は、こんなにたくさんの婚活ミニストリーはなかったし
あったのかもしれないけれど、顕在化していなかったし
それぞれが連携もしていなかったので
「婚活しよう」と思った時に
どこを頼ったらいいのかわかりませんでした。

ありがたい時代だなと思います。

いくつかの婚活サポート団体のサポーターの方々とお話する中で
今、すごく言われていることが
「クリスチャンとしての婚活、結婚の学びの機会が必要だ
ということです。

クリスチャンとして、結婚って何?婚活って何?ということを
学ぶ機会のないまま、知識もなく、成長もないまま、出会いの場へくる人がたくさんいます。
けれど、そういう人はやはり出会いの場を活かすことができない・・・。
そんな状況を、サポーターとして目撃をします。
遠回りに感じるかもしれないけれど、「学び」は必要だ・・・。
そう実感するのです。

本来なら、各教会、各クリスチャンコミュニティ、クリスチャンホームなら各家庭で
そういうことが教えられていたらいいのですけれど・・・

だったらいいのに・・・をつぶやいている暇はない!!

サポーターとして、できることは何か?と
祈りつつ知恵を求めていたところ、

婚活から結婚準備まで使えるテキストとなる良書に出会いました。

その名もずばり

「結婚の備え」(尾山令仁 著)


残念ながら、絶版のようで、中古書ばかりのようですが、
もしかしたら教会の本棚にひっそりあったり、親世代の教会の方が誰か持っているかもしれません。
(復刻、重版してほしい・・・)

実に40年以上前に書かれた本ですが、
こんなにわかりやすく、こんなにはっきりと、聖書に基づいて書かれているのはありがたいです。

内容としては

1、性、男であること女であることをどう捉えるか
2、男性の心理、特徴の解説
3、女性の心理、特徴の解説
4、友情の先に本当の恋愛があり、その先に結婚がある
5、夫となる召命、妻となる召命をもっているか?
6、夫婦が一体となるという意味は?
7、結婚は夫婦という共同体をつくること!
8、夫になる準備、妻になる準備として必要なことは?
9、出会いの場について、出会い方
10、結婚の心構え
11、結婚そのものに使命が3つある
 ー夫と妻との正しい関係を聖書的に解説(宗教的使命)
 ー夫婦を土台とした家庭という共同体(社会的使命)
 ー子育て、親子関係のこと(社会的使命)
 ー夫婦がお互いに啓発しあう(個人的使命)
 ー夫婦のコミュニケーションの取り方
12、配偶者の決め方
13、婚約の運び方、段取り
14、婚約期間の過ごし方
15、結婚式について
16、披露宴について
17、新婚旅行について
18、夫婦の新生活について

という感じです。
(目次を私なりに噛み砕いてどんな内容かを書いてみました。)

ただ、2と3のところは少し表現がきついなと感じる人もいると思います。
なので、ここはむしろすっ飛ばして
代わりに
「この人と結婚していいの(石井希尚著)」あたりを読むのがよいかも、と思います。
男性、女性の特性とお互いへの対応について、わかりやすく語られています。



4〜11は、結婚の意味、意義を本当に丁寧に解説してあるので、とても納得がいくと思います。クリスチャンの夫として妻としての心構え・・・なるほど、ここを目指すといいのか、ということも読む人の中で明確化していくと思います。
12〜18はものすごく具体的なアドバイスです。押さえるべき点とアレンジしていいところの境界線をしっかり教えてくれます。あと、礼儀についても語られているのがバランスの良さを感じました。

本当にオススメです。

なにがって・・・
私自身が、
婚活サポーターとかアドバイザーとしてではなく
実際に婚活を経験した者として
「これ、あのとき、教えて欲しかったーーー!!!」
と心底思う・・・という点で
オススメです。


これをテキストに、じっくり
「クリスチャンの結婚の備え講座」を
やりたいと思うほどです。

(が、今はできないので・・・)

できたら、それぞれで、読んでみてください。


2019年2月23日土曜日

神様は人に結婚することを望んでおられるのか?(その2)

つづき・・・です。 (その1はこちら



じゃあ、
人が増え広がるためだけに、男女が造られ、一つになるようにと結婚が進められているのか?
不妊の夫婦関係は、神様から見て必要ないのか?

これを考えるときに、ふと思い出すのは

アダムとエバが子どもを作る前に
命の樹の実の試みがあった・・・ということです。

もちろん、これは、サタンの誘惑で人を罪におとしめる策略であったのだけど
それを通して、神様も人の自由意志と聖さについてチャレンジを与えていたのだそうです。
罪のない状態の人間が、自ら神様との約束を選び取るかどうか・・・
もし選び取ったら、その聖さは確定されて、永遠に神と人が共に住む道が開かれていただろう、と言われています。

そのチャレンジが
人(アダムとエバ)が子どもを産む前になされた・・・
(その機能はすでにあることははっきりしているのに)
そしてそれが、アダムだけ、エバだけ、ではなく、二人に対してなされた・・・
ということが、なんとなく気になるんです。

もしかしたら

夫婦から子どもが生まれ、人が増え拡がっていく、という計画はあり、それは変わらないけれど
それよりも優先して
夫婦関係、そして夫婦と神の関係、ということを神様は重視していた、のかもしれない。

人が産み出され、親子関係というものができ、人が増え広がり、コミュニティ・社会ができて、
その先に神の国が作られていく
その大前提として、
夫婦関係と、夫婦と神の関係を、
ちゃんと確立させたかった、正しくしたかった・・・のかもしれない。

そういう意味では、
「夫婦」は子を産むためだけに意味があるのではなく、
社会を作り、その中で伝道、信仰継承、信仰成長がなされていくために
「夫婦」というものは必ず貢献していくはずだと思うんです。

「結婚の備え」という尾山令仁先生の本に(これもオススメの本)こうありました。

神が人間をお造りになった時、ただの人間としてお造りにならず、「男と女とに創造された(創世記1:27)」のは、まず第一に、男と女とがお互いに助け合って、宗教的使命、社会的使命、個人的使命を果たし、神の栄光を現し、真に住み良い世の中を作り出していくためでありました。もちろん、男同士、女同士の協力によってできることがあるのを否定するものではありませんが、神が人間を男と女とにお造りになったという事実は、男と女の協力なしには成し遂げられない使命を神が人間にお与えになったのだということを物語っておりましょう。




私には、教会にいらっしゃった何組もの「子どものいないご夫婦」にお世話になり育てられたという意識があります。
彼らはみな本当に素晴らしい信仰を持ったご夫婦で、本当によくお世話してもらったし、いろんなことを教えてもらったし、たくさんたくさん祈ってもらいました。私にとって第2、第3の両親のような存在。私の成長に彼らの存在は欠かせなかったと思います。

人が一人でいるのはよくない」と言って、男に加えて女を造られた神様・・・

ひとりよりもふたりが良い。
共に労苦すれば、その報いは良い。
倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。
更に、ふたりで寝れば暖かいが
ひとりでどうして暖まれようか。
ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。
(コヘレトの言葉 4:9-12)」

とも、聖書は語ります。



結婚って、神様がつくられた良いものだな、と単純に思うし
神様はこれらを望んでおられるのだろうなぁ・・・と私は思います。

さぁ、みなさん


いかがでしょう??


2019年2月21日木曜日

神様は人に結婚することを望んでおられるのか?(その1)

先日、古き良きクリスチャン結婚本を読んでいる、ということを書きました。
2、30年前の本なので、背景とする時代や人の感覚が今と少し違うところもあります。

一番違うところは

当時は、結婚はするもの、ということが当たり前のように前提にあったこと。
今は、そもそも結婚をするべきか否か、という問題からはじまる、ということです。


そもそも、聖書は、結婚を勧めているのか?
神様は人に結婚することを望んでおられるのか?


この、現代独特の婚活の悩みについて
思考の旅に出てみたいと思います。
よかったら、お付き合いくださいm(_ _)m




というわけで

聖書は、結婚を勧めているのか?
神様は人に結婚することを望んでおられるのか?


まず前提として
私たちクリスチャンは、自分の心より神の御心が成るようにと願っていく。
自分がしたいことより、神がしたいと望まれることに同意していく。

もっと言えば

神がそう望まれるなら、はい!と従っていく(それが最善と信頼して)。

ということを、前提として、話を進めます。
(なので、感情的に結婚したいかしたくないか、ということはこの話には含みません)



じゃあ

神は人に、結婚を望んでいるのか?
聖書を通して、それを認めることができるのか??

よく結婚で引用されるみことばに以下のものがあります。

「すると人は言った。『これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。』それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(創世記2:23-24)

ずっと気になっていたんです・・・

『それゆえ』

それゆえ=だから

一人の人から、取られて、二人になった。だから、二人は一体となる。


男と女はもともと一つ。もともと一体のもの。

なんですね。

そもそもは一体のものが別れ出て、二つになっている。
アダムとイヴは肉体的にも、霊的、精神的にもそうだったんですよね。

だから

元あったように一体となるのだ・・・という理屈。


今私たちは、
男女は別々で生まれてきて、出会って、結び合って、一つとなるけれど
きっと、このもともと原理
(もとは一体のものが2つになってるから、また一体となるという原理)
は変わらないのだと思います。

人の造られ方が当時とはちがうけど、
まず、別々に生まれて、それから、
その片われ、相方、まさにmissing pieceを探して、
出会って、一つとなる・・・のかもしれません。

だから、出会う相手、結婚相手は、ただの人じゃないんですよね。
誰でもいいわけじゃないし、自分の好みとかそういう次元ではなくって
お互いの霊的、肉的、精神的「片われ」。元は一つだったといえるほど、特別で代えの効かない相方、pieceなんですよね。

その組み合わせは、それこそ、私たちを造られる神にしかわからないでしょう。

「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。(詩篇139:16,17)」

私たちの肉体だけでなくその歩み方も造られ、ご存知の神様が、
私を女もしくは男に造る段階で、その一体となるべき相方も定めて造っていても
おかしくないんじゃないか、と思うんです。

だからこそ、神の導きで出会い結ばれた方がいいの・・・ですよね。

ちなみに
おもしろいな、と思うのは、
人ができあがるのって(つまり、受精)
男と女が一体となって(精子と卵子が一体となって)
はじめて一人の人間ができあがるんですよね。
そして、聖書的に言えば、
神が結び合せる男女が肉体的に、精神的に、霊的に一つとなってはじめて一人の新しい命が生まれでる。

それ以外に、人が生まれでる方法がない・・・んですよね。

なんか、すごい!

二人がそれぞれで存在していればいい・・・というようには造られてないし
男と女が一つとなることで
「産めよ増えよ地を満たせ」が成し遂げられるようにと、体の構造も機能も造られている。
男同士でも、女同士でも、繁殖はできなくて・・・
男と女が一つになることで、増え広がるようにと、造られているんだ
ということを
あらためて思わされます。



じゃあ、
人が増え広がるためだけに、男女が造られ、一つになるようにと結婚がすすめられているのか?

不妊の夫婦関係は、神様から見て必要ないのか・・・? 

・・・つづく



2019年2月18日月曜日

古いクリスチャン結婚本からあらためて発見

最近、あらためて
クリスチャン結婚本をよく読んでいます。
あえて古い(2,30年くらい前に出版されたような)ものを読んでいます。

時代も違うし、どうなの?と思われるかもしれませんが

かえって、発見があります。

自分たちの親世代が読んだであろうクリスチャン結婚本、信仰書、
を改めて読むことをぜひオススメします。

一番のおすすめな点は

聖書を土台とした説明がしっかりとなされていること

妻は夫に従いなさい・・・
夫は妻を自分の体のように愛しなさい・・・
互いにどう仕え合うのか・・・
赦し合うこと・・・
愛し合う(大切にし合う)こと・・・
男女のコミュニケーションをどうとるか・・・

それらを
聖書にはこう書いてあり、それはこういう意味で、こう理解し心をもっていく
だから従う価値がある
ということを、しっかりはっきり丁寧に説明してくれるものが多いように感じます。
読んでいて、私は結構納得できました。

そして、残念ながら、
教会やクリスチャンの交わりの場で、あるいは家庭の中で
これらをはっきりと教えてもらえる機会が
なかなかありません。

結婚や夫婦のことは、個人の問題、プライバシーのこと・・・
そこに教会も牧師も神の家族も、なんなら親も、
あまり介入すべきでないという考えが最近の主流のように思います。
個人主義、多様性・・・いろんな世の中の考え方と折り合いをつけようとして
はっきりと聖書の真理が語られることも最近少ないように個人的には感じています。

だから、聖書を土台とした結婚とか結婚生活とかというものについて
教えてもらう機会が本当に少ないのです。

本を読みながら
「もっと早く知りたかった。ちゃんと教えて欲しかった。」
と私はすごく思いました。

先日読んだのは
「しあわせな夫婦になるために(柿谷正期・著)」



おそらく絶版で、ちょっと手に入りにくいですが
良書でした♪

婚活中の方でも、読んでおくことをオススメします。

聖書を土台とした妻
聖書を土台とした夫
聖書を土台とした夫婦
聖書を土台としたクリスチャン
は、どんな姿なのか・・・
そして、どうしてそれが良いのか・・・
たぶん一つ一つ納得できると思います。
婚活する上での自分のヴィジョンも出来上がっていくと思います。

ちなみに、なぜ「聖書を土台とした」を重視するかというと
聖書を土台とするものが一番「神のみこころに近い」から。
そして、「神のみこころに近い」ものが、人にとって「一番幸せなもの」だ
・・・と確信しているからです。


いつか・・・機会があれば・・・そういう学び会もできるといいなと思います。

けれど、今はできないので
是非、古き良きクリスチャン結婚本や信仰書からも学んでみてください。
きっと、婚活のためのいいエンジンオイルになると思います♪


2019年2月14日木曜日

4月20日にP&A主催婚活パーティー開催!

P&A(プリスカとアキラの会)で2019年最初の婚活パーティーがあります!!

4月20日(土)13:15〜16:30
場所:ウインクあいち13階 会議室1305
参加者 プロテスタントの未婚クリスチャンで真剣に結婚をお考えの方
参加費 2000円(会場費、ケーキバイキング代、事務費含む)
*教派を超えた出会いの場としてお考えください。
*プライバシー保護のため、集会当日は電話番号やアドレスの交換はできません。ご了承の上での参加をお願いいたします。
*初めて参加する方は、13:00にお越しください。
*アンケート後マッチングした方々は終了後残っていただきますので、ご予定をあけておいてください。
*定員に達した場合、締め切り前でもお断りすることがあります。お早めにお申し込みください。

連絡先
日笠さん yoshiehikasa2025@yahoo.co.jp
古橋さん pisuga@ayflute.com

締め切り:4月8日(月)
※締め切り後のキャンセルには応じられません。ご了承ください。

P&A 協力牧師 平井聖歩(名古屋福音自由教会)高内義宜(日本キリスト改革派津島教会)

というわけで

ケーキバイキング付きパーティー
自己紹介、1対1トーク、フリータイムがあるそうです。

是非是非、ご参加ください♪



ヴァレンタイン

受け売り・・・ですが

こんな素敵なお話はないので

ぜひ分かちたい!!と思い、書きますね。

今日は、ヴァレンタインデイ。

ヴァレンタインデイがチョコイベントデイになっているのは日本だけ・・・
というのは、ご存知かと思いますが

世界の多くの地域でも、男女が愛を伝える日として記念されているようです。

もともとは
聖ヴァレンチノ牧師(神父?)が処刑された日だそうです。
それは、ローマ皇帝の兵士に対する結婚禁止令に反して、結婚を希望する男女の結婚をとりもっていたから。
それほどに、神が結婚関係を大切にされていると、彼が命がけで信じ行動していた、という信仰と献身が表れている・・・。

ところで

人類最初の「関係」は何でしょう?

それは

「神」と「人」の関係

だから、神と人の交わりはあらゆるものの土台だし、
この関係が崩れることは、すべての崩壊に繋がるし、
だからこそ神と人の関係の回復は、絶対に必要なのでしょう。


では


人類最初の「人間関係」は何でしょう?


それは

「夫婦関係」

アダムとエバです

「人と人」でもあるし、ある意味「友人」とも言えるかもしれない
でも一番の特徴は
それが「男」と「女」である(男同士、女同士じゃない)
ということだと思います。
そして、ただ一緒に存在するわけではなく
そこから命が育まれたり、「二人が一つとなる」という特別な関係なのです。


驚くべきことに

「親子関係」

は、そのあとに発生しました。


今、私たちは
産まれたら人生において一番最初の人間関係は「親子関係」です。
そのあとに「兄弟関係」や「友人関係」などを経て、「夫婦関係」を体験したりします。

だから
「親子関係」「家族関係」ってすごく大事で基本になっている気がしますよね。

「その父と母を離れ・・・」というみことばを読んで、難しさを覚えたりします。

でも

人類の歴史において
神の創造された世界において
神が一番最初に作られた人間関係は「夫婦」だった!!

この世界は
「夫婦」「1組の男女」から始まった!!!


という話を聞いて
猛烈にキュン!としました。。。


だから、神様は結婚関係、男女の関係についてすごく大事にしていて
聖書の中でも口酸っぱく語られているんだ、と思いました。

夫婦って、創造の基本なんだ・・・。

それは、きっと、今も変わらない。

婚活は、このすごくすごく大事なものに対して向き合っていること、なのだと思います。

神様が、その人の人生に結婚をご計画され、望まれているとしたら
その二人を創造の土台としようとされているということ。
どんな創造かはわかりません。
新しい命を生み出すことなのか、命を育むことなのか、信仰を育むことなのか・・・。

アダムとエバを創造され、夫婦とされたのは
その関係を通して、神の栄光が表れるため、ということは間違いないと思います。

だとしたら、
私たちの結婚も、その関係をとおして、神の栄光が表れるため、なはずです。
関係を通して・・・なので、具体的にはどうというのは何通りもあると思います。
子どもを持ち育むこと、親の介護、教会に仕えること、社会に仕えること、なんでも。
大事なのは、夫婦の「関係性」。
だとしたら、どんな形の結婚もあり得るということです。
子供が産めなきゃいけないとか、そんなことは限定、制限されることはないのです。


婚活は
世界の始まりでもある人間関係にトライしている。
こんな尊いことはないな・・・と、感動します。



2019年2月11日月曜日

具体的に検討する

すべては神様が導くこと

その通りだと思います。

でも
だから何もしない。

それはまた、違うように思います。

神様は一貫してどのように歩むべきかということについて
聖書を通して示してくださっています。

私たちは、神の愛と私たちへの望みに対して
どう応答するか
考えていくべきだと思います。

自分のために、自分の人生を考える

のではなくて

救われたものとして、キリストの体の一部として、召されたものとして
主のために、自分の人生を考える

のだと思います。

結婚についても、きっとそうだと思います。

「私たちは主のもの。
 じゃあ、私の気持ちがのらなくても、考えなきゃダメ?」

自分がしたいか、したくないか、ノルか、ノラないか・・・

自分の気持ちを最優先にするとそういう基準になってしまう。

でも、「私の人生は主のもの」ということを基準にして考えていったときに
神様は決して、私たちの気持ちをないがしろにする導きはしないことを
きっと体験できると、私は思うのです。


というわけで


結婚を考えるとき

基本的には主の導きに委ねつつも

勇気を持って

具体的に自分の祈りや願いを検討する

洗い出し、棚卸しすること

をぜひやってみてほしいな、と思います。


婚活をはじめた人が

自分の希望条件のリストアップ

はすると思います。

もしやってなかったら、ぜひやってみてください。

自分がどのくらい真剣に将来を考えているか、人生を考えているか
自分の本音はどのようなものなのか
わかる良い機会になります。




そこでストップしていることも多いのですが

実は、大事なのは、リストアップした次!にあります。

リストアップした1個1個を「検討する」作業です。

検討のポイントは

■ なぜそう思うのか
■ それがあるとどうなると思うのか
■ それがないとどうなるのか
■ それがあり続ける可能性はどのくらいか。なくなってしまう可能性はあるか。

という質問をなげかけることです。

どれか一つじゃなくて、4つ全部投げかけてみてください。

そうすると、
これはそれほど重要じゃないな、とか
大事だと思うけど望めないな、とか
精査されていきます。

そして、最後まで残るものが
きっとあなたにとって一番大事な結婚条件です。

多少めんどくさいと思いますが、
実はすごく大事な作業だと私は思います。

強くいきていくコツでもあるように思います。

めんどくさいから
自分と向き合うのが辛いから
見たくないものを避けたいから
やらない・・・

それでも生きてはいけるでしょう。

でも、じゃあ、問題や壁があったときにどうするのでしょう?

そういう人がとる態度の多くは「あきらめる」

本当にあきらめて、その問題を忘れることができればいいでしょう。

でも、本当にあきらめることはできない。何度でも同じ問題が浮上するからです。
(整理し解決してないから)

この世の中は、残念ながら問題なく進むことはありません。
でも、世の中を恨んでても仕方ありません。
そういう世の中だとわかっていて、
イエス様は「出ていって福音を宣べ伝えよ」と弟子たちに言いました。

婚活は、私たち一人一人の幸せのため・・・である以上に
もっと主にあって意味のあることだと思います。
神様が結婚することをご計画されているなら、それは
個人の幸せや満足のためだけではなく
さらに先の、もっと大きな計画のためであると思います。


単純に、ちょっと、想像してみてください。

結婚するだけで
神様のお役に立てる人生になるかもしれない。

教会でたいして奉仕できない・・・
職場や家族の中でも伝道がうまくできない・・・
クリスチャンとしても大した人間じゃないし・・・
才能とかも特にないし・・・

でも、どんな大きなミニストリーよりも
クリスチャンの結婚生活は福音を伝える証になると思います。

今、ファミリーフォーラムマガジンという雑誌で
「結婚のカタチ」という記事を連載で書かせていただいています。
あえて、「弱さ」をもっているカップルの結婚の証を書かせていただいています。

クリスチャンの結婚においては
普通の何の問題もない二人の結婚よりも、
「弱さ」があることで大きな証になりえます。
神の介在がより顕著に現れるし、そこに「神が生きておられる」ことを見ることが
はっきりとできるからです。

だから

弱さがあっても、結婚を祈っていいと思うのです。

そのかわり

自分がまず、自分と向き合うこと。弱さとも向き合うこと。


結婚の条件
どうして結婚したいのか

ぜひ、一つ一つ、検討してみてください。


2019年1月30日水曜日

生き方が変わってはじめて婚活できたかも・・・(これまでの歩みを振り返る)


先日、教会にダルクの方がいらっしゃり、体験を話してくださいました。
ダルクというのは、薬物(アルコール、シンナー、覚せい剤、精神安定剤、睡眠薬、風邪薬、痛み止めなどの様々な薬)がやめたくてもやめられなくなる薬物依存症に陥った人達が回復を目指す民間のリハビリ施設及びその活動です。

現在、回復を目指してプログラムを行なっている青年が、本当に正直にご自身のことを話してくれました。

それを聞いていて、正直

共感しかなかった・・・。

あぁ、私も同じ!!!の連続でした。



「思い込み、妄想が激しくて、
 職場とか集団でも、あの人がああいう態度を取るのは私をこう思ってるからだ・・・と思って。
 そう思ったらもうほぼ確信なんです、自分にとって。で、行くの嫌になったり、会うのが嫌になったり・・・」

(わかる。すっげーわかる!!!)

「でも、自分の判断って間違ってるから。自分の頭ぶっ壊れてるのがわかってるから。自分のやり方でやったら絶対失敗する」

(わかる。そうそう、そうなの!)

「だから、そういうときは、先行く者(先輩)に打ち明けて、相談する。
 まず、自分の思いを誰かに言うっていうのも本当にできなかったんだけど、まずそこから練習をして」

(うんうんうん)

「で、先行く者の方が、自分の時はこうしたよ。こうしてみたらどう?って言ってくれるので、それをやってみるんです。
 いやですよ。全然そうだなって思えないし、やりたくないなって思うことだから。
 でも、これは練習なんで、練習するしかないんで、とにかくやってみます」

(わかる。やりたくないけど、やってみる。やるしかないもんね。)

「これは練習なんで、自分の思いとは違うけど、やってみたら?ってことをやってみる。
 そしたら、意外と、相手はただ体調が悪くて不機嫌だっただけとか、自分のこととは何の関係もなかったりってことがわかったりして。思い込んでただけなんだって気づく。」

(わかる!それ、私も体験した!)


まさに、その方が取り組んでいる回復のためのプログラムは
私自身が体験したものだった・・・あれは私の回復プログラムだったんだ
と省みる思いでした。


私は、
クリスチャンでありながら放蕩した歩みをしていて
恋愛、夢を追うこと、タバコ、酒にどっぷり依存して
なのにその罪だらけの堕落した生活が行き詰まって、
自分の力ではそこから抜け出すこともできなくて
今まで信じてきた自分のやり方じゃどうにもならないことを突きつけられて

死ぬか、教会に戻るかの分かれ道みたいなところにきて
すがる思いで教会の門を叩いて

赦されてること、愛されていることを知って、涙が溢れて
もう一度生き直そうと思って

自分のやり方、自分の判断では絶〜対間違えるから
キリスト、聖書に従って歩むことを心に決めて・・・

聖書が示すことは、今までの生き方や基準と全然違うし
〜せよ、とあるけど、うわーやりたくない!辛い!と思ったけど
これは主の訓練だ!訓練しないと私は変われない!と思ってやってみて
あぁこっちでよかったんだ、正しいんだ…と体験して
少しずつ少しずつ生き方やものの見方が変わってきて・・・


ということを
主に立ち返った10年前からずっと重ねている・・・。

そう、今も私の回復プログラムは続いている。

その中で、たくさんの恵みを体験し
神様との関係が深まっていくのを少しずつ味わい
この生き方、クリスチャンであることがやめられなくなっていっている・・・。
そして、きっとこれは、一生続く・・・。

そんなことを思いながら、お話を聞かせていただきました。


もう一つ印象に残ったのが
一緒に来ていたスタッフの方(その人も以前は依存者で回復された方)が
「こうして、人前で告白することで、自分が依存者であるということを確認するというのもすごく大事なことなんです。
 自分が依存者であるということをしっかり自覚し認めることからはじまっていくんです」
とおっしゃっていました。

あぁ、私たちが自分が何者であるか、罪人である…ということを認め、それを神の前に告白する・・・という過程と同じだ・・・。
と思いました。




・・・・



いったい
婚活と何の関係があるんだ?と思うかもしれないけれど
私は
この回復プログラム的体験があったからこそ
結婚を願い祈ることができました。

だれかを安心して愛し、誰かに愛されることを受け止められるためには
私自身の生き方が変わる必要があったと思います。
以前の、依存するような恋愛関係や不安定な精神状態では
今のような幸せな結婚生活を送ることができなかっただろうなと思います。
いや、その前に、婚活しても、誰ともちゃんと出会ったり付き合ったりできなかったと思います。


神様のこれまでの導きを振り返る良い機会が与えられました。

本当に感謝なひと時でした。



2019年1月26日土曜日

神のみこころって何?(2)

つづきです。

私自身が婚活中に何を考えていたかというと、
「自分がクリスチャンとして生きていくためにどんな結婚をしたいか」
という基準で相手を探し求めていました。

もっと、究極的に言えば
「私がクリスチャンとしてのびのび生きることを妨げる要素のない結婚」
を願いました。

それ以外はなんとかなると思っていたんです。

経済的なこともなんとかなる。
場所だってどこでも生きていける(大変かもしれないけど、死にゃあしない。)
仕事もやろうと思えば何でもできる。
障害は工夫次第で共生できるかも。(私の周りには障害をもって生活してる人がたくさんいるので、抵抗感があまりないのかも)

でも、
神様を信じて生きることに反対されたり
妨害されたり、抑圧されたりすることには
我慢ならない!!
聖書を楽しみ味わい、神様に祈って会話し、常に頼り、教会へ行って交わりをし、礼拝のひとときをもち、賛美をし、献金や奉仕の捧げものをし、神に思いを馳せながら生きることを制限されたり、やめろと言われるのは
絶ーーーーーっ対にイヤだった!
残りの30年、40年、天に還るまでの人生どう過ごすかを考えたとき、
これだけは譲れなかったんです。

これって
結婚したあとで、どうにかなる…??
いや、結婚したあとではどうにかなりにくい内容だ!と思いました。
これは最初が肝心。

だから、「教会生活をしているクリスチャンの方」という条件が
私の中では最優先されました。

神様は結果的に私の譲れない願いを完璧に叶えてくださいました。

相手の家族もクリスチャンで
礼拝のスタイルに得にはこだわらなくて
教会とかクリスチャンについてだいたいわかっていて
神が第一に尊重されるべきと理解していて
私をのびのびと居させてくれて
やりたい事(ミニストリー)をさせてくれる・・・

そんな人と結婚させてくれました。
私の中にはここまで具体的なイメージはなかったけど、それさえも神は整えてくれました。

もちろん、それ以外のところでは、
カルチャーショックと言えるほど1から理解していかなければいけないこと
乗り越えていかなければいけないことはありましたけれど
たぶんそれらは、誰と結婚しても向き合うことになる課題です。
(問題のない結婚なんてないんです・・・人間同士だから)

ふとこんなみことばを思い出しました。

「ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。(第一コリント7:17)」

「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。・・・あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。(マタイ6:31-33) 」

主に召され、救われ、クリスチャンとして神を第一として生きるよう導かれて今の状態があります。

結婚するにしてもしないにしてもその状態で歩むこと・・・がなにより大切なのではないかと聖書を読みながら思わされます。

第一にすべきものを本当に心の第一にしながら・・・
聖書に示された神のみこころ、神様が大事にせよとおっしゃることを本当に大事にしながら・・・
いろんなことを判断し、祈っていけたらいいな
と思います。

そして、本当に必要な具体的なことは
神様が必ずちゃんと備えてくださる・・・
そのことも本当に信じていけたら
バカみたいに委ねていけたら
すごく生きやすくなるような気もします。


2019年1月25日金曜日

神のみこころって何?(1)

「神のみこころに沿った結婚を願っていきましょう・・・」

そんなごもっともなことを言われるとき

ふと思ったりしませんか?

神のみこころがわからない
神からの召命がわからない
自分にはたいした召命はないように思う

・・・
そうすると

将来のヴィジョンを描くときに
これでいいのかな?
これはみこころに沿ってるのかな?
と、迷うし、心もとない気持ちになるし

わからないから、とりあえず
今自分に与えられてるもの、やってきたこと、やれそうなことから発想を得て
ヴィジョンを描くことになる
と思うんですよね。

けれど

そもそも、神の召命とかみこころというのは

「何をするか」

ではないんじゃないか

と、思うのです。


「どう生きるか」

「その在り方」

だと思うんです。


何をするにしても
どんな状況、環境に置かれるにしても

どんな人で在りたいか
どんなマインドを持っていたいか
どんな立ち居振る舞いの人でいたいか

ということを
ヴィジョンとして描く・・・。


どう在りなさい
どんな人で在りなさい
どんなマインドをもっていなさい

ということは、

聖書にバッチリ書いてあります。
つまり、神のみこころは、聖書にバッチリ示されている。

だから

私達は、神の私達に対するみこころを知ることができるし、
神からの召命を知ることができる・・・というわけです。

不安なく、迷いなく、ヴィジョンを描くこともきっとできる。
自分を土台にして、勝手なヴィジョンを描くこともないし、
「何を通して」ということは後で自然についてくると思います。

みことばを心に受けとめていくことを通して、
「あぁ、こうありたい!」と思うことの先に、
ヴィジョンがあるような気がします。



面談や相談の中で
ときどき
結婚のヴィジョン、希望条件を聞くときに

どこの人がいい、とか
年齢はこのくらいがいい、とか
経済力がどうとか、
障害がどうとか…
環境がどうとか…
仕事がどうとか…

というオーダーを聞きながら

人としては「そうだよね」と思いつつも

「それとクリスチャンとして生きることと
どう関係があるの?」と
感じてしまうことがあります。


それはたぶん
私自身が婚活中に、
「自分がクリスチャンとして生きていくためにどんな結婚をしたいか」
という基準で相手を探し求めたからだと思います。

(つづく・・・)


2019年1月8日火曜日

主権を認めるってどういうこと?

今朝のデボーションで
「神の主権を認める」ということが書いてあったのですが

ふと

「神の主権を認める」ってどういうこと??

と思ったのです。

これ、よく聞くわりに、簡単に説明するの難しくないですか?

私はだいたいこういうコトバに引っ掛かりを感じ、そこから探求の旅に出てしまいます(苦笑)

ちょっとだけその旅におつきあいください。

というのは、

婚活をすすめていくときに
「神の主権を認める」という姿勢は、結構重要だったりするからです。


聖書にはよく「主権」という言葉が出てきます。
聖書アプリの検索エリアに「主権」と入れて探してみるとなかなか面白いです。
多くは「神様にそれがある」というような内容で使われています。

日本語では「主権」の一言ですが
英語だと何種類かの言葉で訳されています。

dominion  支配[統治]権[力], 主権
reign  (君主・帝王などの)君臨、統治、支配、勢力、治世、御代(みよ)
kingly  王の
Potentate  主権者,君主.

Soverign  主権者、元首、君主、国王 
などなど

辞書を調べてみると
だいたい国家における・・・という意味で定義されていますが
ざっくりいうと「外部からのコントロールから自由な統治権」という意味のようです。
もともとはヨーロッパの政治において「至高性」を指す用語・概念の言葉だそうです。

これらを合わせると

主権とは
「一番高いところにあって、
 誰からのコントロールも支配も受けない、
 そして自ら以外のすべてのものを支配し、統治する権利」


と言えるかもしれません。

で、

これをもっているのが”神”・・・ということなんですよね。

で、


その対極にいるのが”私たち”

私たちにはそういった主権がない 

「一番高いところにいなくて、
 何かからのコントロールや支配を受ける側で
 統治される側」

これが”私たち”・・・ということなんですよね。

だから、
思い通りにならなかったり制約を感じるのは当然。
何かの支配下にある感じがして当然。

そして、この立場、構図は変えようがないので・・・こりゃ仕方ない、と思いました。



大事なのは、だれの支配下にいると自覚するのか。


暴君の支配下におり、悪い者に統治されていると思うと、絶望を感じちゃいますよね。

でも、統治者が素晴らしい方で、
素晴らしい環境を整え、その中に住まわせ、
統治下に居る者の幸せを願い、正しく支配してくれるなら、とても安心♪
喜んで支配されることを享受できる。お任せできる。従える。と思える気がします。

さて
私たちの統治者、支配者・・・「神」はどういう方か?


話が少し変わりますが
今、「幼児心理アドバイザー」の資格を取るべく学んでいます。
ちょうど0~2才児の発達について学んでいて、
あぁこれが人が自意識が芽生えてくるより以前に組み込まれているメカニズムなのか・・・と感心したりします。

発達心理学では、
赤ちゃんが特定の人物との間に築く緊密な絆のことを
アタッチメント(愛着)と呼ぶのだそうです。

赤ちゃんは、他者との親密な関係を築くことによって、
ネガティブな状態を低減し、安全であるという感覚を保とうとする本性があると考えられています。
その安心安全を得るために、
赤ちゃんの養育者は、
赤ちゃんにとってのピンチを察してサポートする、
いざという時に頼りになる存在であることが重要です。
そして
このアタッチメントは、楽しく遊ぶだけでは形成されない。

神様は
私たちにとって”父”であると表現されるように
養育者のような存在であり、
私たちは育てられる赤ちゃんのようでもある、と思いました。

赤ちゃんと養育者が緊密な絆を築くためには

1、養育者(神)が赤ちゃん(私たち)に「ピンチの時はサポートし、いざという時に頼りになる」ということを伝え続け

2、赤ちゃん(私たち)が養育者(神)を「ピンチを察してサポートし、いざという時に頼りになる存在」と認識すること

(そしてその絆は楽しく遊ぶような軽い浅い関わりでは形成されない。
ピンチやいざという時という、多少ネガティブやシリアスな状況を共有することも大事なんだなと思います。)

1、は聖書を通して伝え続けられています
 ・・・としたら、あとは2、。

私たちが、聖書を通して養育者(神)からのメッセージを心に受け取って、
認識を増やしていって、
アタッチメントが築かれていって、
安心安全を心に得ていく。


たぶん、それはそんなに難しいことなくて・・・。

なにか頑張って修行して聖書知識を増やすとか、とにかく聖書通読を完走するとか、
とにかく教会に出席するとか、やたらメッセージを聞いてありがたがるとか
・・・ではないような気がします。

だって・・・赤ちゃんはそんな努力とか修行とかできない・・・(笑)
さあ、成長しよう!!と意識的に向上心を持つ赤ちゃんがいたら・・・ちょっと怖い(笑)

ただただ
目を開き、耳を開き、心を開いて、
赤ちゃんが養育者を呼び寄せるように
神様を求めていけば
それらは得られるんじゃないだろうか・・・

赤子のように・・・神を求めていくこと、

から始まるような気もしてきました。

その先に、

その養護者に身を任せ、統治されることに身を任せ、

あぁ
神様は私の養護者で、私の人生を良く統治し、正しく支配し、幸せへと導いてくださる
だからお任せしよう。
神様には主権があり、私はその下に居る者です。

と、自然に思えるようになる・・・

無理なく
「神の主権を認める」
ことができるような気がしてきました♪

そして

それができたら
思い通りにいかなかったり、不安を感じたりするときに
神様とのアタッチメント、絆に立ち返って
安心と安全を心に得て、
落ち着いて祈りながら、婚活も進められるのかな、
と思います。




ふぅ、落ち着いたw

思考の旅にお付き合いいただき、ありがとうございますm(_ _)m



2019年1月5日土曜日

あけましておめでとうございます:2019年

あけましておめでとうございます。

2019年となりましたね。

新しい年を迎えられたこと、主に感謝します。

どんな状況であれ
ReStartの機会となる「節目」というものがある

だったら、
「今年もダメかも」
と思うよりは
「今年はきっといい年に」
と思いたいですよね。


でも


「毎年そう思ってスタートしてはうまくいかない・・・」

と思い出してしまうと
余計に心が苦しくなってしまう

私は

必要以上にポジティブにならなくてもいいと思うのです。

というか

自力でポジティブになろうとすると、かえって非力を感じてしまうから

あまり「ポジティブ」を頑張りたくない(苦笑)



今朝、デボーションで出エジプト記の4章を読んでいました。

主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。 さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」 (4:11,12 新共同訳) 

エジプトに戻りユダヤ人を救い出すように神様に召されているときに必死に「できません〜」と抵抗するモーセに言われた言葉です。
そしてこの後、モーセの不得意さを補う助け手としてアロンも備えると約束してくださいます。

ここを読みながら

そうだよね、
私をつくり、育て、導き、私の体も時間も人生もすべて支配しているのは神様だよね。
だから、神様が、わたしを動かし、人生をつくり、導いてくださる。必要なものを必要な時に与え、心も体も動かしてくださるんだよね。
だから「さあ行け!」と言ってるんだよね。
神様は横に、後ろに、前に伴走してくれるんだよね。

と、改めて思ったのでした。

だとしたら、

私にできることは

”わたしを主に明け渡すこと”

”安心して、行け!と言われるまま行くこと”

自分の力や能力や限界のことで思い悩むのはやめにして
シンプルに前を向いて
神様が見せてくれる想像もつかない世界を期待する・・・


もちろん

歩み方を変えるのは
簡単なことじゃありません。

私もかつて
”主に自分を明け渡してあゆむ”
ということをあまりしてこなかったから
いざやろうとしたら
ものすごく不安定な感じがしたし
こんな主体性がない感じでいいんだろうかと思いました。

はじめは、失敗もします。
かつてのやり方と、新しいやり方の狭間で揺れ動きます。
あれ?やっぱりうまくいかないんじゃないの・・・?
前の方がやっぱりうまくいくんじゃないの・・・??


でも、
それでも”主に明け渡す” ということを信じて繰り返していくと
そっちのほうがいいことがだんだん体験的にわかっていきます。
そして、道が開かれていく・・・。
神様が自分の人生を良い方向へとぐいぐいひっぱってくれることを
体感していくようになる・・・・。
神が共にいる、なんともいえない平安に心が満たされるようになる・・・。

と、思います。


新しい年

神様が
「さあ行け!」
と言ってくださる。

「はい!」
と応答して
歩んでいけますように♪


結婚を祈っている
クリスチャンホームを築きたいと願っている
お一人一人のために
心から祈っています。


交わり会の開催は未定ですが、
ご相談はいつでも受け付けております。
また、ブログでも情報やコラムを綴っていければと思っています。

2019年もよろしくお願いします(^ ^)