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2017年11月18日土曜日

個性ってなんだ?

ナンバーワンにならなくてもいい
オンリーワンになろう

そんな言葉が流行ったこともありました。

人と比較して優れていなくても
いいじゃないか!

自分らしさ、とか
個性、とか
他人にはない自分の何か、とか

そういうものがあればいいんだ・・・!


一見「そうだよね」と思えそうですが

このオンリーワンになろう主義にはまって
私自身は大変に苦しみました。


演劇をやっていた時代
「誰よりも上手い」・・・よりも
「誰とも違う」が、かっこいいと思われていました。
(少なくとも私はそう思っていた)

あの人は、なんか違う。個性が光っている。
彼の演技は誰にも真似できない
独特の味わいがあり
彼にしかできない解釈、彼にしかできない表現、
あの人にしか出せない声、音の響き

そういうものが、やはり注目されたし、
求められたし、評価の難しい世界の中では断然強かったし

だから、「個性的でありたい!」
とすごく思ったのです。

ちょっとでも、人と一味違っていようとする
同じことを言ってもやっても目立てない
あの人がそうくるなら、私はこうしよう
常に、そんなことを考え
言動も、ファッションも、好むものも
特別っぽく、過激にしようとしていたように思います。

けれど、やろうとすればするほど
なんか誰かと似てる、すでにやり尽くされたことだったりする
工夫した感がでる・・・

そして、自分が空っぽで、すごく普通の人だ、と思い知らされたりするのでした。

夢の挫折とともに、私は個性を追うことをやめました。
普通の人になろうと決め、もうすぐ10年がたちます。
普通の人になってから、婚活をし、結婚が決まりました。

今思うのは
個性はひねりだすものじゃないのだな
ということです。

差別化や、奇をてらうことで、出てくるものでもない。

そんなことしなくても
十分その人らしさというのは出てくるのです。

今、23人で聖書の学びと交わりをしています。
全員の、学びに対する感想コメントに、一人一人私は返信をします。
でも、誰が誰かわからなくなることはありません。
みんな違うのです。
考え方も、表現も、キャラクターも特徴も、違うのです。
十分に「みんな、個性的だなぁ」と思います。

そして、そのすべてが愛しいなぁと思うのです。

神様はこの人をこんな風に育て生かし歩んでこられているんだなぁ
と思うと、いとしさを感じるのです。
それは、きっと、神様の方が感じているものかもしれませんね。

個性というのは、
その人を構成するいろいろのものが合わさってにじみ出る味、かもしれません。

それを、神様はよくよくご存知だけど
当の本人がわかってなかったりする。

自分のことを、何の変哲も無い、おもしろみのない人間だと思っている。
欠けや汚れはあっても、良いものなんてないだろう、と思っている。

もったいないなぁ、と思うのです。


演劇の夢に挫折し、普通の人になることを決めてから
婚活をしました。
そしたら、普通の人なはずの私に目を留めて、
私を特別な人として見てくれる人と出会い、結婚しました。
彼も十分個性的な人ですが(笑)彼に言わせれば、私は驚くほど個性的だったようです。

そして、結婚してから、CCMのミニストリーも、ANNIとしてのミニストリーも与えられました。
普通の女性と結婚していたはずが、
人には関わるわ、パーティーは開くわ、人前で歌って語るわ・・・
そんな妻おるかい!!とつっこむ状態です。

私自身も、普通でいよう、普通の奥さんをやろうと思っていて、
決して個性的な女性になりたいと思ってやっているわけではないのです。
でも、客観的に見てみれば、
今の私は、夢を追い個性を求めていたあの頃より
ずっとずっと個性的な生き方をしていると思います、自分でも・・・。

それは、神様がひきだしてくださったものです。
時が来て、必要があれば、そんな風にしてくださる・・・のだと思います。

そして、そんな個性は、あるいは賜物は
だれの中にもあると、私は信じています。

婚活する中で、神様がくださっている「個性」を、その人らしさを
その人自身が気づいていき、またそれが輝いたらいいな、と思います。
その輝きは、別に全ての人を魅了しなくても良いのです。
特別な誰かにとどく輝きであれば・・・。



来年からは、そういった、その人にある個性、素敵なところ、賜物を
見つけ出すお手伝いを
個性と個性がパズルのように組み合わさり、つながる、お手伝いを
また再開していきたいと思っています。



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