top

2017年10月10日火曜日

「気分の浮き沈み」と「信仰の一貫性」の違いと影響

人だから気分が浮いたり沈んだりします
信仰が熱くなったりぬるくなったりします

でも、

その中にあっても

神の愛と導きを信じる
自分がキリストの十字架によって救われたことは信じる
永遠のいのちの約束が与えれたことを信じる
神が自分の将来を握り、それは希望あるものだと信じる

そういう信仰の根底は手放すことはない
ならば

気分の浮き沈みはあっても、
信仰には一貫性がある
と言えると思います。

そういう人は、周りから見て
落ち込んでても元気でも、見ていて安心感と信頼感を感じます。

ところが

身の回りの状況や、自分の感情に応じて
神を疑ったり、救いを疑ったり、天国を疑ったり
希望を見失い続けていたり・・・

ということは

救いの根本、福音の根本をしっかり握っていない
本当には信じていない
ということではないか?
と思うことがあります。

簡単に言えば、信仰に一貫性がないように思えるのです。

気分が落ち込んでいると、その人の中で神も希望も無くなる・・・
気分が上がると、神はいる!愛だ!!ハレルヤ!!となる・・・

その姿は、見ていて非常に不安と奇妙さを感じます。


これまでの、クリスチャンの結婚のいろんなケースを見ても

弱さがあっても、信仰に関しては一貫性のある人は
結婚に導かれていったように思います。
(CCMには弱さがない人はほぼいませんが…)

逆に

強がっていても、生活レベルや地位がしっかりしている人でも

信仰の一貫性のない人は
なかなか導かれないように思います。

なぜなら、その一貫性のなさが、
交わりを破壊させ、人間関係の構築を妨げてしまうから
ではないかと思います。

もちろん、導きには神の時がありますから、
今まだ結婚に至ってないすべてのひとが
信仰に一貫性がないと言っているのではありません。

けれど
今の自分の状態が、どちらなのか。
クリスチャンは常に省みる必要があるのではないかと思うのです。
「目を覚ましていなさい」と聖書の中で何度も語られているように…。

クリスチャンの婚活はごまかしがきかない・・・
とよく思います。

恋愛ならば、感情的な盛り上がりで、結婚に至ることもあるかもしれない。

けれど、婚活はもっと冷静で客観的視点が入る分だけ
感情的に勢いでもっていくことは難しいのです。
「いや、まてよ、盛り上がってるけど、これは本当にいいのか?」
という声が必ずどちらかの、あるいは両者の頭の中で響くからです。

それが、クリスチャン婚活の特徴でもあると思います。


婚活にはいろんなテクニックがあるのも事実です。
誤解をうまないために注意していい事項もあります。

けれど、人間は霊的な生き物です。
霊的な部分はテクニックでは補えないし、
そもそも信仰に一貫性のない人はテクニックを使いこなすことができません。
なぜなら、テクニックを使いこなすには安定した精神状態、精神のコントロールや自制が絶対に必要だからです。

そして
霊的なゆがみは必ず伝わります。少なくとも神の目には明らかです。

霊・肉、共に整えていくこと…
霊・肉、共に誠実であること…


大切にしてもいいことじゃないかな、と思います。





0 件のコメント:

コメントを投稿