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2017年10月18日水曜日

耳を傾ける

お見合いパーティーを見ながら
交わり会の様子を見ながら

「傾聴」の難しさ

について考えます。


とても赤裸々な話になりますが

相手に興味がなくなりながら話を聞いている人の顔は
それはもう露骨に「興味ナイ」が出ています。

残酷なくらいに
「興味ナイ」顔になっています。

交わり会などになると
「あなたの話は別にいいんだけど」
な顔をしている人もいたりします。
それは、本当にそうとわかるような表情なのです。

そういうのを、客観的に見ていて
私としては、とてもさみしい気持ちになります。

だって、

自分が人にそんな顔をされたら
めちゃめちゃ辛いじゃないですか。
なんとなく自己嫌悪に陥ってしまうじゃないですか。
うまく表現できない部分を汲み取って欲しいと
心の中で必死に足掻いていて
それだけでも、もう崩折れてしまいそうなのに
目の前でシャッターおろされたら
なんだか絶望的になるじゃないですか。


話を聞いていて
「なんだ?」と思うこともあるし
「何言ってんの?」と思うこともあるし
「なぜそんな話し方?」と思うこともあります

でも、その先や、その奥を
もう少しだけ見守りながら探ってあげたい
そしたら自分も納得できることもあるかもしれない
そしたらその人を好きになれるかもしれない

そう思って「耳を傾けてみる」

そんなちょっとした忍耐と優しさが
クリスチャンにはあってほしいなぁ、と
願ったり祈ったりするのです。


神様は、罪に縛られどうしようもなく、不器用で頑なな私たちに対して
忍耐をもって愛してくださっています。

ものわかりの悪い私たちのために、キリストは
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです」
と十字架の痛烈な痛みと苦しみの中で、とりなして祈ってくださいました。

神が私たちに注がれた愛を覚えていたい。
その愛をしっかりと心で握りながら
いろんな人と向き合うことができたら・・・と
思います。


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