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2019年2月23日土曜日

神様は人に結婚することを望んでおられるのか?(その2)

つづき・・・です。 (その1はこちら



じゃあ、
人が増え広がるためだけに、男女が造られ、一つになるようにと結婚が進められているのか?
不妊の夫婦関係は、神様から見て必要ないのか?

これを考えるときに、ふと思い出すのは

アダムとエバが子どもを作る前に
命の樹の実の試みがあった・・・ということです。

もちろん、これは、サタンの誘惑で人を罪におとしめる策略であったのだけど
それを通して、神様も人の自由意志と聖さについてチャレンジを与えていたのだそうです。
罪のない状態の人間が、自ら神様との約束を選び取るかどうか・・・
もし選び取ったら、その聖さは確定されて、永遠に神と人が共に住む道が開かれていただろう、と言われています。

そのチャレンジが
人(アダムとエバ)が子どもを産む前になされた・・・
(その機能はすでにあることははっきりしているのに)
そしてそれが、アダムだけ、エバだけ、ではなく、二人に対してなされた・・・
ということが、なんとなく気になるんです。

もしかしたら

夫婦から子どもが生まれ、人が増え拡がっていく、という計画はあり、それは変わらないけれど
それよりも優先して
夫婦関係、そして夫婦と神の関係、ということを神様は重視していた、のかもしれない。

人が産み出され、親子関係というものができ、人が増え広がり、コミュニティ・社会ができて、
その先に神の国が作られていく
その大前提として、
夫婦関係と、夫婦と神の関係を、
ちゃんと確立させたかった、正しくしたかった・・・のかもしれない。

そういう意味では、
「夫婦」は子を産むためだけに意味があるのではなく、
社会を作り、その中で伝道、信仰継承、信仰成長がなされていくために
「夫婦」というものは必ず貢献していくはずだと思うんです。

「結婚の備え」という尾山令仁先生の本に(これもオススメの本)こうありました。

神が人間をお造りになった時、ただの人間としてお造りにならず、「男と女とに創造された(創世記1:27)」のは、まず第一に、男と女とがお互いに助け合って、宗教的使命、社会的使命、個人的使命を果たし、神の栄光を現し、真に住み良い世の中を作り出していくためでありました。もちろん、男同士、女同士の協力によってできることがあるのを否定するものではありませんが、神が人間を男と女とにお造りになったという事実は、男と女の協力なしには成し遂げられない使命を神が人間にお与えになったのだということを物語っておりましょう。




私には、教会にいらっしゃった何組もの「子どものいないご夫婦」にお世話になり育てられたという意識があります。
彼らはみな本当に素晴らしい信仰を持ったご夫婦で、本当によくお世話してもらったし、いろんなことを教えてもらったし、たくさんたくさん祈ってもらいました。私にとって第2、第3の両親のような存在。私の成長に彼らの存在は欠かせなかったと思います。

人が一人でいるのはよくない」と言って、男に加えて女を造られた神様・・・

ひとりよりもふたりが良い。
共に労苦すれば、その報いは良い。
倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。
更に、ふたりで寝れば暖かいが
ひとりでどうして暖まれようか。
ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。
(コヘレトの言葉 4:9-12)」

とも、聖書は語ります。



結婚って、神様がつくられた良いものだな、と単純に思うし
神様はこれらを望んでおられるのだろうなぁ・・・と私は思います。

さぁ、みなさん


いかがでしょう??


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