少し書いてみようと思います。
先回、「魚が獲れない…その中にも神の御手が」という話を書きました。
ガリラヤに戻った弟子たち。漁に出るも、魚が全然取れなくて、絶望的になっている・・・でも、まさにそこに、すでに、神の手があった、という話でした。
そのあとです。
岸辺から「子どもたちよ。食べるものがありませんね。」と弟子たちに声をかける人がいる。
「子どもたちよ」という呼びかけは、先生などの目上の人が生徒や弟子などの下の人にかける呼び方だそうです。
弟子たちは、まだそれがイエス様だとは気づかず、なんか偉い人が声をかけてきたと思ったようです。
そんな気分ではないけれど、一応、敬意を持って返事をします。
「はい。ありません。」
すると、その目上の人が言います。
「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」
普通、漁は舟の左側に網を降ろすのが、常識中の常識。漁師家庭に育ち小さい頃から漁をしてきた自分たちがやっている方法だ。
どんな偉い人か知らないが、なにがわかるというのだ・・・。
と、弟子たちは思ったかもしれません。
でも、まぁ、やってみるか。
弟子たちが、網を、イレギュラーにも、右側におろすと、
なんとおびただしい魚が、網が引きあがらないほどとれた!!
そして、気づくのです・・・「主です!!」
感動的なシーンですね。大好きです。
弟子たちにとって、網を舟の右におろす、というのは考えもつかない方法でした。
自分の知識では、ありえない方法でした。うまくいくとも思えない。
けれど、神様は、そんなありえないと思える方法をすすめることがあるんじゃないか、と
このストーリーを見て思うのです。
婚活でも、いろんな方法を試して、いろんなトライをしてきて、自分の考えうるありったけの方法を試して、人が言う「これがいい」という方法、自分で「これはいけるはず」という方法を試して・・・
それでも、うまくいかない。
正しいと思えることはすべてやった。もはや、何がいけないのかも、わからない。
そんなときが、あるかと思います。
そういうとき、「網を舟の右側におろしなさい」と言われたら・・・?
そんな方法聞いたこともないし、なんかうまくいくとも思えない・・・
けれど、やってみる価値はあるかもしれません。
自分では確かだと思えないことも、一旦はやってみる価値があると思うのは、
もしかしたら、それが「舟の右側」かもしれないからです。
そこに、神様の用意した道があるかもしれない。
どうせわからなくて、どうせ今までやりつくしたなら、やってみてもいいんじゃないでしょうか。
もし、そこに道があれば、必ず開かれるし、
「主だ!」と、神様がはたらかれた、という実感や確信が伴うはずです。
その実感こそが、神様の用意した道だという証拠になると思います。
行き詰まった時は、
自分の常識に固執せず、舟の右側に網をおろしてみませんか?
You can try another way...
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