top

2019年1月8日火曜日

主権を認めるってどういうこと?

今朝のデボーションで
「神の主権を認める」ということが書いてあったのですが

ふと

「神の主権を認める」ってどういうこと??

と思ったのです。

これ、よく聞くわりに、簡単に説明するの難しくないですか?

私はだいたいこういうコトバに引っ掛かりを感じ、そこから探求の旅に出てしまいます(苦笑)

ちょっとだけその旅におつきあいください。

というのは、

婚活をすすめていくときに
「神の主権を認める」という姿勢は、結構重要だったりするからです。


聖書にはよく「主権」という言葉が出てきます。
聖書アプリの検索エリアに「主権」と入れて探してみるとなかなか面白いです。
多くは「神様にそれがある」というような内容で使われています。

日本語では「主権」の一言ですが
英語だと何種類かの言葉で訳されています。

dominion  支配[統治]権[力], 主権
reign  (君主・帝王などの)君臨、統治、支配、勢力、治世、御代(みよ)
kingly  王の
Potentate  主権者,君主.

Soverign  主権者、元首、君主、国王 
などなど

辞書を調べてみると
だいたい国家における・・・という意味で定義されていますが
ざっくりいうと「外部からのコントロールから自由な統治権」という意味のようです。
もともとはヨーロッパの政治において「至高性」を指す用語・概念の言葉だそうです。

これらを合わせると

主権とは
「一番高いところにあって、
 誰からのコントロールも支配も受けない、
 そして自ら以外のすべてのものを支配し、統治する権利」


と言えるかもしれません。

で、

これをもっているのが”神”・・・ということなんですよね。

で、


その対極にいるのが”私たち”

私たちにはそういった主権がない 

「一番高いところにいなくて、
 何かからのコントロールや支配を受ける側で
 統治される側」

これが”私たち”・・・ということなんですよね。

だから、
思い通りにならなかったり制約を感じるのは当然。
何かの支配下にある感じがして当然。

そして、この立場、構図は変えようがないので・・・こりゃ仕方ない、と思いました。



大事なのは、だれの支配下にいると自覚するのか。


暴君の支配下におり、悪い者に統治されていると思うと、絶望を感じちゃいますよね。

でも、統治者が素晴らしい方で、
素晴らしい環境を整え、その中に住まわせ、
統治下に居る者の幸せを願い、正しく支配してくれるなら、とても安心♪
喜んで支配されることを享受できる。お任せできる。従える。と思える気がします。

さて
私たちの統治者、支配者・・・「神」はどういう方か?


話が少し変わりますが
今、「幼児心理アドバイザー」の資格を取るべく学んでいます。
ちょうど0~2才児の発達について学んでいて、
あぁこれが人が自意識が芽生えてくるより以前に組み込まれているメカニズムなのか・・・と感心したりします。

発達心理学では、
赤ちゃんが特定の人物との間に築く緊密な絆のことを
アタッチメント(愛着)と呼ぶのだそうです。

赤ちゃんは、他者との親密な関係を築くことによって、
ネガティブな状態を低減し、安全であるという感覚を保とうとする本性があると考えられています。
その安心安全を得るために、
赤ちゃんの養育者は、
赤ちゃんにとってのピンチを察してサポートする、
いざという時に頼りになる存在であることが重要です。
そして
このアタッチメントは、楽しく遊ぶだけでは形成されない。

神様は
私たちにとって”父”であると表現されるように
養育者のような存在であり、
私たちは育てられる赤ちゃんのようでもある、と思いました。

赤ちゃんと養育者が緊密な絆を築くためには

1、養育者(神)が赤ちゃん(私たち)に「ピンチの時はサポートし、いざという時に頼りになる」ということを伝え続け

2、赤ちゃん(私たち)が養育者(神)を「ピンチを察してサポートし、いざという時に頼りになる存在」と認識すること

(そしてその絆は楽しく遊ぶような軽い浅い関わりでは形成されない。
ピンチやいざという時という、多少ネガティブやシリアスな状況を共有することも大事なんだなと思います。)

1、は聖書を通して伝え続けられています
 ・・・としたら、あとは2、。

私たちが、聖書を通して養育者(神)からのメッセージを心に受け取って、
認識を増やしていって、
アタッチメントが築かれていって、
安心安全を心に得ていく。


たぶん、それはそんなに難しいことなくて・・・。

なにか頑張って修行して聖書知識を増やすとか、とにかく聖書通読を完走するとか、
とにかく教会に出席するとか、やたらメッセージを聞いてありがたがるとか
・・・ではないような気がします。

だって・・・赤ちゃんはそんな努力とか修行とかできない・・・(笑)
さあ、成長しよう!!と意識的に向上心を持つ赤ちゃんがいたら・・・ちょっと怖い(笑)

ただただ
目を開き、耳を開き、心を開いて、
赤ちゃんが養育者を呼び寄せるように
神様を求めていけば
それらは得られるんじゃないだろうか・・・

赤子のように・・・神を求めていくこと、

から始まるような気もしてきました。

その先に、

その養護者に身を任せ、統治されることに身を任せ、

あぁ
神様は私の養護者で、私の人生を良く統治し、正しく支配し、幸せへと導いてくださる
だからお任せしよう。
神様には主権があり、私はその下に居る者です。

と、自然に思えるようになる・・・

無理なく
「神の主権を認める」
ことができるような気がしてきました♪

そして

それができたら
思い通りにいかなかったり、不安を感じたりするときに
神様とのアタッチメント、絆に立ち返って
安心と安全を心に得て、
落ち着いて祈りながら、婚活も進められるのかな、
と思います。




ふぅ、落ち着いたw

思考の旅にお付き合いいただき、ありがとうございますm(_ _)m



0 件のコメント:

コメントを投稿