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2019年1月5日土曜日

あけましておめでとうございます:2019年

あけましておめでとうございます。

2019年となりましたね。

新しい年を迎えられたこと、主に感謝します。

どんな状況であれ
ReStartの機会となる「節目」というものがある

だったら、
「今年もダメかも」
と思うよりは
「今年はきっといい年に」
と思いたいですよね。


でも


「毎年そう思ってスタートしてはうまくいかない・・・」

と思い出してしまうと
余計に心が苦しくなってしまう

私は

必要以上にポジティブにならなくてもいいと思うのです。

というか

自力でポジティブになろうとすると、かえって非力を感じてしまうから

あまり「ポジティブ」を頑張りたくない(苦笑)



今朝、デボーションで出エジプト記の4章を読んでいました。

主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。 さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」 (4:11,12 新共同訳) 

エジプトに戻りユダヤ人を救い出すように神様に召されているときに必死に「できません〜」と抵抗するモーセに言われた言葉です。
そしてこの後、モーセの不得意さを補う助け手としてアロンも備えると約束してくださいます。

ここを読みながら

そうだよね、
私をつくり、育て、導き、私の体も時間も人生もすべて支配しているのは神様だよね。
だから、神様が、わたしを動かし、人生をつくり、導いてくださる。必要なものを必要な時に与え、心も体も動かしてくださるんだよね。
だから「さあ行け!」と言ってるんだよね。
神様は横に、後ろに、前に伴走してくれるんだよね。

と、改めて思ったのでした。

だとしたら、

私にできることは

”わたしを主に明け渡すこと”

”安心して、行け!と言われるまま行くこと”

自分の力や能力や限界のことで思い悩むのはやめにして
シンプルに前を向いて
神様が見せてくれる想像もつかない世界を期待する・・・


もちろん

歩み方を変えるのは
簡単なことじゃありません。

私もかつて
”主に自分を明け渡してあゆむ”
ということをあまりしてこなかったから
いざやろうとしたら
ものすごく不安定な感じがしたし
こんな主体性がない感じでいいんだろうかと思いました。

はじめは、失敗もします。
かつてのやり方と、新しいやり方の狭間で揺れ動きます。
あれ?やっぱりうまくいかないんじゃないの・・・?
前の方がやっぱりうまくいくんじゃないの・・・??


でも、
それでも”主に明け渡す” ということを信じて繰り返していくと
そっちのほうがいいことがだんだん体験的にわかっていきます。
そして、道が開かれていく・・・。
神様が自分の人生を良い方向へとぐいぐいひっぱってくれることを
体感していくようになる・・・・。
神が共にいる、なんともいえない平安に心が満たされるようになる・・・。

と、思います。


新しい年

神様が
「さあ行け!」
と言ってくださる。

「はい!」
と応答して
歩んでいけますように♪


結婚を祈っている
クリスチャンホームを築きたいと願っている
お一人一人のために
心から祈っています。


交わり会の開催は未定ですが、
ご相談はいつでも受け付けております。
また、ブログでも情報やコラムを綴っていければと思っています。

2019年もよろしくお願いします(^ ^)






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