つづきです。
私自身が婚活中に何を考えていたかというと、
「自分がクリスチャンとして生きていくためにどんな結婚をしたいか」
という基準で相手を探し求めていました。
もっと、究極的に言えば
「私がクリスチャンとしてのびのび生きることを妨げる要素のない結婚」
を願いました。
それ以外はなんとかなると思っていたんです。
経済的なこともなんとかなる。
場所だってどこでも生きていける(大変かもしれないけど、死にゃあしない。)
仕事もやろうと思えば何でもできる。
障害は工夫次第で共生できるかも。(私の周りには障害をもって生活してる人がたくさんいるので、抵抗感があまりないのかも)
でも、
神様を信じて生きることに反対されたり
妨害されたり、抑圧されたりすることには
我慢ならない!!
聖書を楽しみ味わい、神様に祈って会話し、常に頼り、教会へ行って交わりをし、礼拝のひとときをもち、賛美をし、献金や奉仕の捧げものをし、神に思いを馳せながら生きることを制限されたり、やめろと言われるのは
絶ーーーーーっ対にイヤだった!
残りの30年、40年、天に還るまでの人生どう過ごすかを考えたとき、
これだけは譲れなかったんです。
これだけは譲れなかったんです。
これって
結婚したあとで、どうにかなる…??
いや、結婚したあとではどうにかなりにくい内容だ!と思いました。
これは最初が肝心。
だから、「教会生活をしているクリスチャンの方」という条件が
私の中では最優先されました。
私の中では最優先されました。
神様は結果的に私の譲れない願いを完璧に叶えてくださいました。
相手の家族もクリスチャンで
礼拝のスタイルに得にはこだわらなくて
教会とかクリスチャンについてだいたいわかっていて
神が第一に尊重されるべきと理解していて
私をのびのびと居させてくれて
やりたい事(ミニストリー)をさせてくれる・・・
そんな人と結婚させてくれました。
私の中にはここまで具体的なイメージはなかったけど、それさえも神は整えてくれました。
もちろん、それ以外のところでは、
カルチャーショックと言えるほど1から理解していかなければいけないこと
乗り越えていかなければいけないことはありましたけれど
たぶんそれらは、誰と結婚しても向き合うことになる課題です。
(問題のない結婚なんてないんです・・・人間同士だから)
ふとこんなみことばを思い出しました。
「ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。(第一コリント7:17)」
「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。・・・あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。(マタイ6:31-33) 」
主に召され、救われ、クリスチャンとして神を第一として生きるよう導かれて今の状態があります。
「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。・・・あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。(マタイ6:31-33) 」
主に召され、救われ、クリスチャンとして神を第一として生きるよう導かれて今の状態があります。
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