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2018年5月5日土曜日

コミュニケーションが婚活で外せないわけ

GWいかがお過ごしでしょうか?


実家帰省などすると、自分の家族に触れたり、ちょっと時間ができたりして、
婚活についてあらためて考えてしまうかもしれませんね。


結婚とはなんぞや・・・
どうしたら出会えるんや・・・
自分の方向性はあってるのか・・・


今、クリ婚キャンペーンの聖書の学びが始まりました。
「主の祈り」を30個に細分化し、3ヶ月かけてじっくり学び、祈りについて思いを深めます。
祈りとは神様との会話、交わりなのだ、ということを改めて教えられました。

何も言わなくても分かり合えるはずの
父なる神様とイエス様なのに
あえて「ことば」をもって会話をし、交わりをする・・・
それがイエス様の「祈り」の姿で、それをみた弟子たちは衝撃を受けました。



あぁ


分かり合う・・・ということも大事かもしれないけれど


それ以上に


会話する、交わりをする・・・ということ自体が
もっと大事なんだ

と思わされました。


だまってても
努力しなくても
分かり合える関係がいい



思ったりしませんか?

だから、相性診断や占いがあるのでしょうね。
「価値観の不一致」が別れの原因になる、という意見もよく聞くのかもしれません。


でも

たぶん

本当はそこが問題ではない、

と、私は最近思っています。



だって

「あの人はこういう人だとわかってるけどムカつく」

みたいな声を聞いたこと、ありませんか?


わかるのに、受け入れられない、ということはあるんですよね。


ということは、

理解や知識があれば、必ず受け入れたり、愛せるわけじゃない
ということではないでしょうか。



問題は

わかるかどうか

ではなくて

わかろう(わかり合おう)としてくれる態度の有無

だったり

わかり合おうとする営みそのもの

なのだと思います。


「わかり合おうとする営みそのもの」
それこそが
「交わり(コミュニケーション)」

です。

コミュニケーション (communication) の語源はラテン語のコムニカチオ (communicatio) です。
コムニカチオの意味は「分かちあうこと、共有すること」です。
重要なのはコムニカチオの意味が「伝える」ではなく「共有すること」である点です。

と、調べたら書いてありました。


誰かと思いや考え、心にあることを
分かち合ったり、共有する・・・のは
大人になればなるほど、怖くなるかもしれません。

けれど、

それをあえてやる!ということを
イエス様は、父なる神様との祈りの姿を通して教えてくださっているようにも思います。

聖書の中にも、
旧約でも新約でも
人と人が、そして、神と人が
本当に多く
「コムニカチオ」したことが記載されています。

それはつまり

私たちの人生には
コムニカチオが、欠かせない

ということなのかもしれません。


人生に欠かせないならば、婚活には、なおさら欠かせません。



お見合いは面倒臭いでしょう。
よく知らない相手との交わりは、
緊張もするし、プレッシャーもあるかもしれません。


でも、


コミュニケーション・・・
自分たちを分かち合うこと、
時間と空間を共有すること を
是非、味わい、楽しんでみてください。

それが、本当にできた時

理解し合うことよりも
自分ひとりの心地よさよりも
もっともっと深い平安と満足感を
体験することができるかもしれません。



私たち夫婦は、結婚して6年目になります。
別に日常の会話が、いつも建設的なわけではありません。
どうでもいい話をしたり、たわいのない会話、意味のない内容を
たくさん交わします。
スキンシップもその一つでしょう。
でも、「交わりがある」
それそのものに幸せや安心感を感じ
日々の疲れや悩みが癒され
毎日を紡いでいるように思います。



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