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2017年1月30日月曜日

なぜクリスチャンとしての結婚なのか?

CCMでは、基本的にクリスチャン男性とクリスチャン女性の出会いの場となるように、
いろいろ機会を設けています。

集う人も、クリスチャンの人と結婚したい、と思っている人がほとんどです。

私も、クリスチャンの人と結婚したいと思って、クリスチャンの男性と出会いたいと思って婚活しました。

それは何より、自分が「クリスチャンとして生きていきたい」と強く思ったからです。
そして、自分の根幹、生き方をちゃんと理解してくれる人とじゃないと、きっと40年50年生活したり子育てしたりするのは難しいだろうな、と思ったからです。
あの当時、物理的なことより精神的なことをすごく優先したい気持ちが強かった。
結論から言えば、同じクリスチャンだって信仰のスタイルや価値基準はいろいろで、完全に一致して理解してもらうことはできないってことが、結婚してからわかったのだけど。


「自分がクリスチャンとしていきていきたいから」
「教会で一緒に礼拝したり、一緒に祈ったり、聖書の話を心置きなくしたいから」


それ以上の意味って、「クリスチャンの結婚」にはないのかなぁ
と、最近おもったわけです。

自分に理由があるだけでは、なんとなく説得力がない、というのが私の思考パターン。
もし、聖書に由来する理由が説明できたら、、、
「ノンクリスチャンの人と結婚して伝道すればいいじゃない」とか言ってくる
親切な方々にも、ちょっと説明ができるかもしれない。

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ここで、一つ前置きしておきますが、
私自身は、クリスチャンとノンクリスチャンで結婚することは悪いこととは思っていません。神様がそう導いたから結婚に至ったのだと信じています。そして、短いあるいは長い年月をかけてパートナーや家族が信仰を持つこともある。だから、クリスチャンとノンクリスチャンの結婚は、また別の神様からの道、チャレンジ、課題が与えられているのだと思うし、だからこそ応援して祈りたいと思っています。

今回は、どちらかといえば、
「クリスチャンと結婚したい人を励ます聖書的裏付けはあるか」への試みとして書きます。
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ある日の聖書研究祈祷会で出会ったんです。
場面は出エジプトのシーン。モーセがファラオに向かって11個目の災いについて語っているところ。
「(11個目の災い:エジプトの初子は全部死ぬが、イスラエル人に対してはなにもおこらない)これは、主がエジプト人とイスラエル人を区別されるのを、あなた方が知るためです。

『区別』
「区別」することで、他の人が神について知るってこと?

※差別ではなく、区別です。
優劣はつけず、ただより分けるということです。

モーセの律法を通して、神様はイスラエルの人たちを「聖別」しようとします。
「聖別、聖い」という言葉が何度も出てきます。
この「聖」を表わすヘブライ語のカドシュは、本来、切り離し、区別され、取り分けておくという意味なんです。
実は日本語辞典には「聖い」という言葉はありません。キーボードで打っていても変換候補に出てきません。音が一緒なので間違ってしまうけれど「聖い」は「清い」とはちょっと意味が違うんですね。

つまり、モーセの律法があったのも、イスラエルの民と他の民を区別するため
神を信じる人と、神を信じない人を区別するため、という意義がある。

なぜ区別するかと言えば、
神を信じる人の信仰を守るため、
そして、他の人が本当の神を知り、信じるため(つまり、証となるため)。

モーセの律法の意義はもう一つあって、
それはイスラエルの人が律法を守れず、自分の罪を自覚し(ガラテヤ3:19)、
罪を贖ってくれる救い主を求めるようになるため(申命記18:15、使徒3章)でした。
信仰にとどまり神様の求める生き方をしようとすればするほど、
自力の限界、罪のあることを思い知らされる。けど、だからこそ、救い主を仰ぎ求める。

これは、きっと私たちも同じ。
クリスチャンとして生きていくということはそういうことで、
でも、それも、神様が、私たちが神様を仰ぐためになさっていることでもあるのかもしれない。


他と一緒であることに安心するという日本的な考え方・・・
いろんな考えがあってもいいじゃない、という現代的な考え方・・・

聖書の示すものはそうじゃないんですよね。
きちんと「区別」する。何をよしとし、よしとしないか、はっきりしている。

日本において超少数民族とも思えるクリスチャンという人を
わざわざ選んで、結婚しようとするのは、まさに茨の道。
でも、それは、クリスチャンの結婚生活とそうでない結婚生活を「区別」していて
その「区別」には聖書を背景にした結構な意味がありそうだ
と私は思うんです。

いかがでしょう?

ちょっと難しい話でした。

でももし「クリスチャンとしての結婚生活を求めるのは、高望みなのかな」
と落ち込んできたら、そんなことないよ!高望みとかそういうことではないよ!
と、言ってあげたいと思います。



ただし、クリスチャン同士で結婚したからって、結婚生活が平和とか安泰とは限りません。それにはそれの試練と恵みがそれぞれあります。

たぶん、クリスチャン同士の結婚とそうじゃない結婚っていうのは、
そもそも人が秤にかけるものではないのでしょうね。
命のこと、霊のことは、神の御手の中にあることだから・・・。




==お知らせ==
3月20日(月祝)
ランチ&祈り会(12:00〜13:30)
クリスチャンお見合いパーティー(14:00〜16:00)

2017年1月28日土曜日

婚活でどう祈ればいいのだろう?

先日、映画「沈黙ーsilenceー」を見ました。
この映画の賛否感想はいろいろあると思いますが・・・
それはそれとして、

映画を見ながら、私の思いはある時へと飛んでいました。

「神は何も答えてくれないのか」「神は沈黙しているのか」
「神よ、あなたは一体何を考えているの」
泣きながら車を走らせていた、あの日・・・
婚活がうまくいかなくて、希望をもっては破れ、期待しては崩れ
泣いて祈ったあの日々のことを思い出していました。


うまくいかない、思ったようにはいかない、
婚活はその繰り返しのように感じることがあります。
どう祈ったらいいのかさえわからなくなる、そんな時もあります。

私たちの思う時と神様の時は違うから
私たちの望む形と神様の備える形は違うから
私たちの理解できることと、神様の御心の広さ深さは違うから

あぁ、果てしない気分になりますね😑

婚活をしているとき、
私たちは、いったい、何を、どう祈ったらいいのだろう?

皆さんは、どう祈っていますか?何を、祈っていますか?

お手本としては
「主の御心のとおりになりますように」
という祈りでしょうか。

でもね、最初から、そんな言葉、私は言えませんでしたよ。
初めは吐き出してました。
「神様、私は、ああでこうでそうで、こういうのを望んでたんですよ!
神様、ご存知ですよね?!」
でも、ああでこうで…という自分の理想や願いを並べれば並べるほど虚しい気持ちにもなったんです。
「うわあ、なんか、きっと違う気がする・・・。違うってことですかねぇ神様・・・。」
ちょっと途方にくれました。

「神様、あなたは何を考えているの?」

その時、少しずつ、少しずつ、頭を巡ったんです、
神様ってどういうお方なのか・・・ということが

「旧約聖書で、神様は起きるといったことは必ず実現させてくれた。
イスラエルの民に約束したことは、必ず守ってくれたお方だ」とか
「詩篇に、『あなたは私の思いを遠くから読み取られ、私を生まれる前から知っておられる』っていうのがあったな、神様は私のことを私以上に知っているのかな」とか
「聖書のどこかに『あなたに将来と希望を与える計画だ』ていうのがあったな。私の未来にも、将来と希望だと言えるものを計画しているのかな」とか
「私はあなたと共にいる、ってみことば、あったよね」とか
「あなたを見放さない、ってみことばも、あったよね」とか

そう思い出していくと
具体的に何が起こるのか、どうなるのかはわからないけど
私が信じている神様はこういう方で、
聖書(神の言葉)は変わらない確かなものだから、
それを私のものとして信じてみよう、という思いに変えられていったんです。



辛い大変な時こそ、ディボーションをすること、聖書のみことばを真剣に聞くことは
大きな力になるなと、本当に思います。

自分は何を信じているのか?誰を信じているのか?
誰に向かって祈っているのか?祈っている相手はどういう方で、何をしてくれる方なのか?

それを、なんというか、確認しながら祈る・・・

その先に、きっと心から言えるんだと思います。
「しかし、主の御心がなりますように」と。

イエス様だって、血の汗を流しながら「この盃を取りのけてください」と震えながら祈ったんです。
いわんや、私たちをや!祈らずに何ができるというのだろう。


祈り続けること、大切だなと、最近本当に思います。
環境が変わり知らない土地で心戸惑うことの多い私も、今すごく祈ることが増えました。

祈ることは、考える(思考する)ことと違うと思います。
人間の頭と心ってよくできていて、思考すると大抵自分が本当に望んでいるところに行き着いてしまうんです。だから、同じところをぐるぐるまわるし「自分の願い」からは抜け出せない。

じゃあ、どうしたら、思考ではなく祈りになるか…。
それは、「聖書の言葉を土台にして」祈るということだと思います。
*聖書にこういう話、こういう言葉がある。
*そこから、こう教えられました。
*神様、あなたは・・・・。
*だから(ならば)私は・・・。

そして、ここに聖霊が働いてくださって、祈りと心が導かれていく・・・。
(奇跡的な不思議なことが起こるとか、体が震えるとかいう意味ではないです)

私自身は、
そういう祈りを何度も繰り返して
婚活も、結婚生活も、ミニストリーもなんとかやってこられたように思います。

忙しいと、祈りやみことばに触れることって疎かになりがちだけど、
忙しい時こそ、この時間を3分でも5分でも持てるといいな、と思います。















さらにおすすめなのは、
聖書をガイドと共に読むことです。文脈をとらえた解説があれば、みことばの意味をより正しく受け取ることができると思います。
おみくじ的に、自分の気分で読んじゃうと、先ほど述べたような自分の思考からは結局抜けられないから。
ディボーションテキスト、ぜひ活用してみてください。
(ちなみに私が利用しているのは、ハーベストタイムミニストリーのClayです。電子版もあります。)


クリスチャンの兄弟姉妹の結婚のために、私もますます聖書に触れつつ祈っていきたいと思います。

2017年1月26日木曜日

追加企画、お見合いパーティーの前にランチ会やります!

3月20日(月祝)14時から、お見合いパーティーを開催します。

https://chubu-christian-marriage.jimdo.com/party2016-0320/

で、せっかくなので、
その前の時間に

ランチ&祈り会をやります!(短い時間ですが)


お見合いパーティーは、参加資格が限定されています。
・独身であること・教会に出席していること・重度の精神障害等がないこと
・50歳未満の方 など

ランチ&祈り会は、どなたでもOKです。
カップルも、既婚の方も、求道中の方もOKです!
もちろん、パーティーに参加する方もこの時間から来てもOKです。

そして、みんなで交わりと祈りを共にしたいと思います。
結婚を祈るクリスチャンのために、その導きのために
自分のために、兄弟姉妹のため、パーティーのために・・・一緒に祈りませんか?

また、より多くの方に出会いの機会が、励ましの機会があるといいな、というのも
企画した理由の一つです。

どうぞ、ぜひ、ご参加下さい♪
ランチ食べましょ、一緒に♪

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CCMランチ&祈り会
3/20(月祝)12:00〜13:30
20名まで
場所:覚王山レンタルスペース ブギ(地下鉄東山線「覚王山」3番出口から1分)
愛知県名古屋市千種区観月町1-20-1パークアベェニュー覚王山 901
*ランチ・ドリンク持参でお願いします。
*差し入れは歓迎します
(ただし、残ったものやゴミは責任を持って持ち帰ってください)
*参加費無料(自由献金あり)

参加申し込みは以下より
https://ws.formzu.net/fgen/S2250328/

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2017年1月25日水曜日

3月お見合いパーティー開催!

3月にお見合いパーティーを企画します。

最低催行人数、男性3名女性3名を超えたら正式開催となります。

============================

日時:3月20日(月祝) 
13:30受付開始 14:00~16:30

場所:覚王山レンタルスペース ブギ(地下鉄東山線「覚王山」3番出口から1分)
愛知県名古屋市千種区観月町1-20-1パークアベェニュー覚王山 901

料金:7000円(前払い)※銀行振込、クレジット(Paypal)

参加資格:25歳以上50歳未満、受洗し礼拝を守っている独身クリスチャンの方
男性ー無職ではない方、重度の精神疾患のない方
女性ー自立生活ができる方、重度の精神疾患のない方

内容:お祈り、進行説明の後、グループトーク、1対1のお見合いトークをし、最後にオファーカードを提出します。

人数:先着20名程度 完全予約制 (最低催行人数 男性3名女性3名)
※最低催行人数に達しない場合、開催を中止した場合は、全額返金をいたします。
それ以外の場合は返金はしておりませんので、ご理解の程よろしくおねがいします。

※お申込みは必ず参加されるご本人様がおこなってください。

詳細お申し込みはホームページから!
https://chubu-christian-marriage.jimdo.com/party2016-0320/






少し早い告知ですが、受付を開始したいと思います。結婚を祈る皆さん、是非この機会を活かしてみてください。

また、お知り合いに婚活している方がいらっしゃいましたら、是非この情報をお伝えいただければ幸いです。

エントリーお待ちしています。

2017年1月24日火曜日

聖書は人間の結婚を勧めているのか?

今回は、ちょっと挑戦です。

神様は人に「結婚」を望んでいるのか、ということを聖書的に裏付けることに
トライしてみようと思います。

先日、久しぶりの友人Aさん(40代)に会ったんです。
とても大好きな素敵な、尊敬している方で、お会いできて本当にうれしかった。
近況報告をしあったりして、ご兄弟が結婚されたということだったので、
その流れで聞いてみました。
「Aさん、結婚は?」
「うーん、そやな、またそういう気分になったらかな」


「そういう気分になったら」って
”それって、いつなんだろう?どうしたらそういう気分になるんだろう?”

と頭をよぎりました。(言わなかったけれど)


人生の進む道や、神様から与えられた時間をどう生きるか
ということを、自分の「気分」「気持ち」で決める

一見、正しいことのように聞こえます。

でも、
人の気持ちという、あまりにあいまいで、あまりに不確定で変わりやすく、
「自分の気持ち」とか「気分」を指標にするっていうのは
どうなんだろうか、と私は思うわけです。
(聖書に描かれる歴史を見ると、この「気分」や「気持ち」によって人類はさんざん神に背き、多くの罪を犯してきたんですよね・・・。)


じゃぁ、何を土台に、何に裏付けて私たちは歩むべきなんだろう?

やはり
「聖書(神)のみことば」だと思うんです。
それは、普遍的で変わることのないものだから。

聖書(神)のみことばを土台にするということは、
聖書(神)が「行け!」といえば行くべきだし
聖書(神)が「行くな!」といえば行くべきでない、と理解することだと思います。

じゃあ、聖書は結婚についてどう捉えているのか、
神様は人間の結婚をすすめているのか?

ここが、あいまいではなく、確かに裏付けることができたら、
私たちは気分や気持ちによらず、神の言葉に立って、主にあって
進むことができると思いませんか?


今、私は、聖書全体と旧約聖書の時代を学んでいます。

今の時代になるまでに、いろんな時代を経てきたわけですが、
エデンの園にいた時代、
園を追い出された時代、
大洪水ののちノア一家からまたスタートした時代、
アブラハムからの時代、
・・・と進んでいきます。

どの時代にも共通して神様が人類に語りかける内容があります。

「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」「子孫をおびただしく増やす」
(創世記1:28、9:1、17:6、22:17、26:4、28:14)

これは命令でもあり、神様の「そうするよ!」という宣言でもあります。

神様は人がふえ広がることを望んでいます。
また、そのように導いてこられました。
(罪を犯したアダムとエバからも、エデンを追い出された後、子どもがうまれ人類が広がっていっています。)

残念ながら(?)人は、細胞分裂で増えるようにはできていません。
男女が結ばれ、家族を作っていくことで、縦に横に増えていくのです。
(縦にというのは子孫が継がれていくという意味、横にというのは数が増えるという意味)

しかも、神を信じる者がふえ広がることを、いつの時代も望んでいる。

家族を形成し、子供がうまれていくという物質的広がりと、
さらに、その家族の中で信仰を継承していく、ということを、
神様は明らかに望んでいるのではないでしょうか。
ここは結構徹底していて、増えひろがった悪に満ちた神を信じない人たちは滅ぼされ、ノアの一家が残された。(創世記6章)

ノア以降も、ちゃんと神への信仰をもつ子孫のつながりが祝福を受け、守られていきます。
その延長線上に、ダビデがいて、そのさらに延長線上にイエスキリストがある。

どの家系でもどの家庭でもどの人でもよかったわけじゃなく、
マリアとヨセフが、約束のイエスキリストの肉的親となったのは、
彼らが信仰を脈々と継承した家系だったからです。(だから、マタイの冒頭に家系が書いてある。ここをメシアニックジューの方が読むと、シビれるんだそうです。)

神様が、ご自身が創造された世界に対してのご計画を進めるうえで、
結婚して家族を作ることで増え広がり、家庭の中で信仰を継承していく、
ということに、かなりこだわってきたように私には思えます。

つまり、神様は人類に結婚を勧めている、と言えるのではないでしょうか。

ちなみに、
私が個人的に感動するのは、
約束の救い主(メシア)キリストが、「子孫」という形で登場してくれたことです。
神様は土から肉体を作ることができるお方です。
キリストの受肉だって、ポッと土から肉体を作りそこに入ることだってできたはずです。
急に大人の状態で、30歳くらいのところからスタートだってできたはずなんです。
でも、そうしなかった。
人間の子孫というかたちで、それも長い時間をかけて、その誕生を預言しながら、
キリストを生み出す家系が絶えないように、その時その時の家族や夫婦を守りながら、
マリアとヨセフもちゃんと結婚した上で、「誕生」という形で地上に臨んでくださった。
あぁ、それほどに、「結婚」「家族」「命と信仰を次へと継いでいくこと」を
神様は大事にしているんだ、と感動するのです。


さぁ、どうでしょうか?

もし、これを読んでいるあなたが、
クリスチャンで、神様の望まれるように生きたいと願っていて、
「結婚はしたくなったらする」「結婚したいかどうかよくわかんないし…」と思っているなら
少し心境は変わったでしょうか。

もし、これを読んでいるあなたが、結婚を望んでいるとしたら、
神様のイメージする結婚って素晴らしい、深い、と思うでしょうか?


聖書が結婚を勧める意味は、ほかにもあると思います。
私も、また学びつつ、それを発見していきたいと思います。
発見したら、またシェアしますね。





2017年1月23日月曜日

あるある条件つづき:人の目に対してできることは何かあるか

前回、婚活で、お相手の条件をあげるとき、
自分から見て相手になにかしらの傷と思えるものがあったら避ける、
それってどういうことだろね、というお話を書きました。

「傷」というのは、ここでいうのは、条件をあげる方の人間が相手に対して思う「傷」ということです。
過去にちょっと人に言いにくいとか、人にはとても自慢できないって言うことは、誰しもある。それを本人がどう思うかということは、ちょっと横に置いて、
結婚相手の条件をあげる方にスポットをあてて話していました。

この前置きがなかったので、多くの人のお怒りをかったかもしれません。
すいません。(追記しました。)

ちなみに、私は、婚活の時、離婚歴のある人でもOKでした。
今も、人に離婚歴があっても、それが悪だとか傷だとは思いません。
でも、傷ついているな、傷がまだ癒えていないんだなと思える人もいるし、
人に対してそういう過去を傷だと認識する人も事実存在する。


過去の経験を、人がどうとらえるか、というのはその人次第です。

私には、とても人に言えないような、そして自分でも振り返っては落ち込むような過去があります。聞いたら9割以上の人が、私を軽蔑するでしょうね、特にクリスチャンは。
私にとっては、それは明らかに「傷」です。嫌がられても、軽蔑されても仕方ない、クリスチャン女性としては私は「傷モノ」です。だから避けられても仕方ない、そういう覚悟をして、婚活をしました。
私の旦那さんは、それを「傷」とはいわず「轍」とか「過去の勲章」とか言ってくれました。ものすごい懐の深さ・・・!
なんて素敵な旦那様!・・・って思うでしょ?

でも、人の受け入れられる、受け入れられないっていうポイントは本当に人それぞれで、
彼は「年上女性は完全NG」という条件をあげていたんです。
人って、本当にわからない・・・。

婚活において、相手が上げている条件に対しては、私たちは何も言えません。
人が、自分に対してどう評価するか、どう認識するか、ということに対しては、
あらがえないものがあります。

たとえば、私はそこそこぽっちゃりしています。
家族からは「お姉ちゃん、デブ!」と言われます。
私としてはそんな!マーク付くほど太ってるかなぁと思うけど、これが人の評価です。
で、ついでに言われます。「太ってるから、子供できにくいんじゃない?」
おいおい、言いたい放題だな、と思うけど、これが人の目、人の口、人の頭です。

じゃあ、人の目に対してできることはなにか?

かなり、長い間悩んできました。もう、人生のテーマってくらいに。


で、行き着いたのは、


それは「覚悟」なんじゃないかと、私は思うわけです。
(あくまで私の意見です。いろんな考え方はあると思う。)


言われないようにするっていうのも、一つの方法だけど、
そんな器用じゃない。
方法論でなんとかなる人は、方法論を教えてくれるところへ行くといい。

けど、方法論ではどうにもならないこともある。

消せない過去もその一つ。
自分の体や命もその一つ。

私は、一度、流産しています。そこから子供がまだできません。
不妊治療も結構しました。でも、できません。だのに、妹たちは同じ頃結婚して、もう子供が二人ずつできています。しかも自然に。
姪っ子甥っ子ができるたびに、親の視線が気になります。
私たち夫婦は長男長女。「この子達、いつになったら子供ができるのかしら。こどもができにくい嫁だな。後継ぎはどうすんだ。」あるいは「かわいそうに」と思われてんじゃないか、いないところで言われてるんじゃないか、と実家に帰るたびに思います。
でも、どうにもならないわけです、努力では。努力したもの、でもできない。

で、なにができるって、「覚悟」です。
言われても、思われても受け止めて向き合うっていう「覚悟」です。

そして、できるなら「弁明する用意」。
なんで?とか、どういうことなの?って聞かれた時に、きちんと答えられるようにしておく。

そして、願わくば、経験が「証」に変えられるように、自分の中で整理しておくということ。
もしその経験が傷だとか恥だと自分で感じるならば、それは神様との祈りと聖書のみことばをとおして癒されること、そして、神を心から証する体験談となるように・・・。




私の考え方は、ちょっと厳しめかもしれない・・・。
でも、痛みに寄り添うことと、同情は違うと思っているのです。

私がこのミニストリーをやっている1番の目的は、
カップルがいっぱいできることではありません。
日本の若きクリスチャンが信仰を強くし、しっかり立てるようになる、ということです。

クリスチャンの一人一人が、現実や、不条理や、人の目、人の評価、冷たい逆風にも、信仰によって負けずに立ち向かう強さをもち、証を通して福音を伝えられるようになることを願っています。
私もそうなりたい。心からそうなりたい。

過去や痛みや弱さやいろんなものを抱えつつも、
ただ神の恵みによってとしかいいようがない導きによって結ばれ、
結ばれた二人がさらにどんどん強められていく姿を、
CCMで見せてもらっています。
本当に、希望を感じます。





2017年1月22日日曜日

あるある条件:過去に傷持つ人はどうしてだめなのか

ランチ会や今までの交わり会、個別相談を振り返って
ふと思ったことがあります。


「お相手の条件、過去に傷持つ(ようはバツイチとか)はNG」

追記:
「過去に傷持つ」というのは、ここでは、条件をあげる方の人間が相手に対して「傷」だと思うということです。
過去にちょっと人に言いにくいとか、人にはとても自慢できないっていうことは、誰しもある。それを本人がどう思うかということは、ちょっと横に置いて、
結婚相手の条件をあげる方にスポットをあてて話しています。
この前置きがなかったので、多くの人のお怒りをかったかもしれません。
すいません。
ちなみに、私は、婚活の時、離婚歴のある人でもOKでした。
今も、その人に離婚歴があっても、それが悪だとか傷だとは思いません。
でも、傷ついているな、傷がまだ癒えていないんだなと思える人もいるし、
人に対してそういう過去を傷だと認識する人も事実存在する。


よくある話。わかる。その条件をあげることは、別にいいと思うのです。



で、ね、

ふと思ったのです。


それって

もしかして


相手の傷を赦せない、ってこと?
相手の傷を受け入れられない、ってこと?


「バツイチ」
という言葉を聞いて、まず思うのはきっと
「この人どんな悪いことしたんだろう?どうやって元結婚相手を傷つけたんだろう」
ってこと・・・かもしれない。


けれど、CCMをやりながらわかるのは

バツイチという大きな傷は、その人自身がおっている。
その人自身が、そのやむにやまれぬお別れで、傷つけられてもいるの。
傷つけたかもしれないけど、傷つけられてもいるの。

それでも、クリスチャンを続けて、クリスチャンとして
今度は真実の愛の関係を築きたいと、願い、
リスクを覚悟で、ヒヤヒヤドキドキしながら、
婚活をしているの。
プロフィールをさらけ出し、なんとか向き合おうとし、祈りながら行動しているの。

私は、その勇気は、本当にすごいと思う。

一度結婚し、人の前で(あるいは神の前で)誓って、同じ時間を過ごして
それで別れなければいけなかったという
その痛みを、想像できるだろうか?
想像しようと、思ったことがあるだろうか?


その傷のこと、話だけでも聞いてみようと思わないだろうか。
同じクリスチャンとして、同じ人間として・・・。
会うことすら、してはいけないのだろうか?したくもないのだろうか。

だれだって、大なり小なり傷はある。
自分が誰かに、自分の傷を受け入れて欲しい、赦して欲しいと思うように、
その人だって、誰かに、その傷を赦して欲しい、受け入れて欲しいって思っているのだ。


なんか、

そういうこと、

少し考えてみたら、

結婚の条件とか、どんな結婚とか、どんな関係を結びたいかとか
ちょっと視点が変わってくるような気がする。

人の痛みに寄り添えるクリスチャンに、
私もなりたいし、若きクリスチャンがそうであって欲しいと思う。

少なくとも、人の痛みに壁を作るような、そんなクリスチャンはイヤだ。
だって、そんなの、イエス様の姿にならってないもの・・・

できるできないは、二の次にして、気持ちだけでも・・・。


2017年1月21日土曜日

あるある発見:出会いに結びつくために、意識してみたらどうだろう

先日の「あるある発見:いい人が出会いに結びつかない理由」

あれから、さらに思いを巡らしました。

1対1で話すって、慣れてないと、ハードルあるよねぇと。
でも、このハードルをこえなければ、先には進めないのですよねぇ。

がんばろう!!!!ってなると、もうその時点でイヤになりますよね(笑)

そんな頑張りができたら、今とは違う今があるよ、、、ってね。


ちょっと、思い出して見てください。

今日、お仕事でもプライベートでもいい、何人の独身異性と個人的に言葉を交わしましたか?数えてみてください。

日曜日、教会で、いつも、何人の独身異性と話しますか?話してますか?

意外と、いつも同性と話しちゃう、いつも既婚の異性とはしゃべれる・・・
てことないですか?


その日、一人でもいいから独身の異性と言葉をかわす(1対1のね)というのを意識して見ませんか?
一言でもいいんです。おはようとか、おつかれさまですとか、元気ですかとか、最悪会釈でもいい。
独身の異性と1対1のコミュニケーションを、一人でもいいから、一言でいいから、その数を増やしてみませんか。


慣れていないと、異性と個人的に言葉を交わすって、すごく緊張しますよね。
ならば、慣れていけばいい。

難しく考えないで、1日のはじめに、小さな目標を立てる。
今日、一言、異性の人に「おはよう」っていおう、とか。


教会によっては男女の交流についてすごく厳しいところもあります。
私がかつて行っていた教会では、めちゃくちゃ厳しくて、男女が1対1で歩いてたりすると、先輩からすごく注意されたり尋問されたりしました(^ ^;)
でも、もしそうでないなら、やってみるといいと思います。
独身異性と話せる環境へ行き、一言でいいから個人的に言葉を交わす。



単純に、独身異性と話せるって・・・・うれしくないですか?
私は、うれしかったです。妄想タイプだったので、ここからちょっと恋でもうまれないかしら?って、ドキドキしたり。単純に、うれしかったです。

異性と話せて嬉しいって、そういう気持ちって、悪なのでしょうか、罪なのでしょうか。

誰かを好きになるとか、ドキドキするとか、愛したくなる気持ちは、悪いことじゃない。

でも、行動はコントロールする必要がある。
好きだからって、ストーキングはしちゃだめ、迷惑になる程押し付けちゃだめ。
気持ちはあり、かつ行動をコントロールする、ということは聖書を通してわかる大事なバランスです。

雅歌では、鼻血が出るほど熱い男女の愛について描かれています。
特に、結婚前後の二人の様子が描かれているわけです(私たちになんて身近な・・・)
ソロモンとシュラムの女の大恋愛、お互いがお互いを本当に好きでたまらない。
思い出しては胸を熱くし、抱き合いたくてたまらない、夜も眠れないほど・・・。
だけど、だからこそ、シュラムの女は言うのです。
「エルサレムの娘たち。私は、かもしかや野の雌鹿をさして、あなたがたに誓っていただきます。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目覚めたいと思うときまでは。」と。
そういうことをしてもいい条件が整うまでは(結婚するまでは)、いきすぎた感情も行動も揺り起こしたり、掻き立てたりしてはいけない。
ソロモンももちろん押し倒したりはしなかった。

感情を持つことは、神様から備えられた私たちの機能だと思います。
あんな感動的な神から、無感動な人間がうまれるということは、あるでしょうか。
でも、神様から与えられたルールは守る。それは、私たち人間の神様に対する責任なんだと思います。

だから、このバランスを保つことを意識し、そうできるよう祈りながら、
男女の交流ということをやっていければいいんじゃないかと思うのです。

1日一人、一言でも、独身の異性と話す。(ちゃんと意識して、できれば目を見て)

苦手だとか、機会が少なかったなと気づいた人は、
ぜひ、やってみてください♪

いつか、雅歌を通した結婚の学び会とかやりたいですね。
あ、あと、3月にお見合いパーティーを開きたいと準備を進めております。
詳細はまた追ってお知らせします。



2017年1月20日金曜日

あるある発見:いい人が出会いに結びつかない理由

これまで、何度か交わり会をして、
それを思い返しながら、ふと気づいたことがあります。


「いい人なのに、どうして出会いに結びつかないんだろう」


いい人っているんです。
奉仕の精神もあり、みんなに優しくて、気遣いもできて、
まるで、交わり会のスタッフなの?!ってくらい、
たとえばお菓子の配慮とか、飲み物の配慮とか、差し入れ持ってきてくれたり・・・。
他の参加者からも
「うわー、ありがとうございます!」と喜ばれるんです。

でも、出会いに結びつかない。

なんでだろう・・・。

ふと気づいたんです。

全体の気配りできるんだけど、個人戦をやっていない!
全体に向けた発言みたいなものはするんだけど、だれかと1対1では会話していない。

だから、みんなの「いい人」で終わってしまう。

これは、普通の、教会での交わり会とかでは、いいんです。

ところが、婚活では、これは意味がない。

そして、一見、能動的に動いているように見えて、婚活としてはとても受け身になっている。

まるで、親切の網を張っておいて、それに気づいて声をかけてくれるのを
個人的に「すてきですね」とだれかが言ってくれるのを、待っている、とも言える。


婚活でおすすめなのは「一本釣り」です。

1対1の会話に持ち込むんです。
ささやかでいいから。
みんなと会話してる時でも、となりの異性にちょこっと話しかけるんです。
「そうですよね〜。ね、あります、そういうこと?」とか、となりの異性に話を振るんです。
会が始まる前のバラバラっとした時間に、ちょこっと「どちらからきたんですか?」とか話しかけるんです。
会が終わって皆で片付け〜のタイミングで、「あ、これお願いします。」て異性の人に頼んだりするんです。(同性じゃなくて)
帰り道、主催者じゃなくて、一人じゃなくて、参加者の人と途中まで一緒に歩いて話したりするんです!(なんなら、お茶に誘う。複数人でもいいから2次会やっちゃう。)

1対1の会話、そりゃあドキドキします。
もし話しかけて素っ気なくされたらどうしようって思います。
大体の人は(社交辞令でも)ちゃんと話に乗ってくれます。大丈夫。皆大人なはず。
万が一、素っ気なくされたら、心の中で「チャンチャン♪」とBGMを鳴らしましょう。
もしくは、心をいため、つい恨みそうになったら「主よ彼を赦し給え…我をも赦し給え」と祈りましょう。

とにかく、
皆のいい人でいることは、婚活においてはちょっと不利。
皆のいい人、プラス、「誰か一人の特別な人」になることをトライしてみてはどうでしょう。

これは結構大事なチャレンジかもしれない。


クリスチャン・・・いい人、多いから。



ちなみに、私も旦那さんもお見合いパーティーの後は必ず2次会やお茶のお誘いがあるもの(誘うもの)だと思っていました。私もパーティーの後、誰かにお茶に誘われたし、旦那さんもパーティーの後、誰かに声をかけるということをやっていました(彼はそれを「ロビー活動」と名付けていた)。

2017年1月19日木曜日

中部地方 結婚関連情報です。

あいちゴスペルネット という情報サイトからの
イベント情報を転載します。

結婚関連の団体がやっているので、
婚活につながるかも・・・

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■ 【全3回】IFM2017年度セミナー「感情の成熟と霊性の成長」

IFM(家族・結婚研究所)主催のキリスト聖書神学校で行われる全3回シリーズ
のセミナー

日時:第一回:2017年2月18日(土)
第二回:2017年4月8日(土)
第三回:2017年6月10日(土)
各テーマ、時間はチラシ参照
場所:CBSキリスト聖書神学校 名古屋市中村区太閤1-4-10
TEL:052-462-8331
主なゲスト・出演者:IFM代表 丸屋真也先生
参加費:全3回/16,000円
申込み方法:TEL:03-5422-7533(IFM事務所)
問い合わせ先:IFM家族・結婚相談所
TEL:03-5422-7533
http://www.ifm-soudan.org
その他注意事項・連絡先等:ますはお電話で参加希望をお伝えください
(定員30名)

※ご案内PDFチラシ
http://www.aichigospel.net/news/?p=2164

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8月には関西でもやるようです。


IFM家族・結婚相談所というところは、
クリスチャンの家族、子育て、結婚のカウンセリングをやっているようです。
代表者の方も著書も多数出されているので、何か参考になるかもしれません。
(すいません、私自身はお会いしたことないのですが・・・)


いろんな参考情報をCCMではお伝えしていこうと思います。
あらゆる機会をいかしてください!

あるある質問:それを聞かずしてお付き合いできるの?

ランチ会ででた質問、その2です。


結婚のヴィジョンとか、家族のこととか、条件に関するような大事なことを
おつきあいの前に聞きたい、
というか、
聞かずにお付き合いってしていいの?
聞かないと判断できないんじゃないの?

という質問。


まず、ここに含まれる思い込みが2つあります。

1つは、・・・この時点で何を判断するの?

そう、何を判断するのか?です。

その前に、婚活の出会いから結婚までの一般的なフローを確認しておきましょう。

出会い(初対面)

数回会う
↓・・・・★
お付き合い(結婚前提)

プロポーズ

婚約

結婚

で、今質問に上がっているタイミングは★の部分です。

この時点で判断するのは、「お付き合いするかどうか」です。
他の異性のことは考えず1対1で向き合う関係になる、というのが「お付き合い」です。

注意したいのは「結婚するかどうか」ではありません!
お付き合い=結婚 ではないのです。(いつの時代の話だ?!)
しかし、無意識にこれを思い込んでいるわけです。(←思い込み1つ目)
お付き合いしたら結婚しなきゃいけないんじゃないか、と。

そんなことない。お付き合いってなっても、別れてるカップルなんていっぱいいる。
そして、それは、それでいいのです。

そして、思い込み2つ目。

大事なこと、とくにプライベートな重要事項は
お付き合い前に聞いたほうがいい、という思い込み。

これは、はっきり言って、リスクが高すぎる!!と、私は思います。
よくわからない人に、信用できるかどうかわからない人に、そんな話できます?
できないですよね?
だから、大事な話をできなかったなぁ、と思いながら、1回もしくは数回会って終わりになっちゃうんです。「大事な話ができない人だったからダメだ」と。

大事な話は、お付き合いになった後で話してもいいんじゃないでしょうか。
お付き合い≠結婚 なんですから。

じゃあ、お付き合い前には何を考えたらいいのか?
この人に心を開けるかどうか?フィーリングにもなるけれど、肌感覚として、
その人と一緒にいてもいいと感じられるか、居心地がいいか、また会ってもいいと思えるか、ということです。

もちろん、そこをクリアして、おつきあいになって、その後に、
大事な話をして、あ、一緒にいるのはいいんだけど、結婚は難しいね、
てなることもあります。
それはそれでいいんです。
一度は結婚を思い浮かべたお互いです。別れても、その人の大事なことのために、遠くでそっと祈り合う友人になれると思います。



少し、肩の荷がおりたでしょうか?

お付き合い=結婚ではないです。
結婚に至るまでには、いくつものステップがあります。出口もあります。
だから、はじめから100点狙うようなことをしなくてもいいんですよ。


補足:
紹介制の1対1お見合いの場合は、大抵会う前に、あらかじめプロフィール交換があります。だから気になることはある程度そこで知ることができます。
パーティーや知り合いの紹介(とりあえず会う感じの)の場合は、プロフィール交換がありません。だから、会った後に、お互いのプロフィールを知り合うというプロセスが必要になります。
一見、非効率的ですよね。自分が知りたいこと聞き出す労力もかかるし、うまく聞き出せるかわかんないし。
でもね、私は、そこに人間らしさがあって、悪くないなって思うんです。文字には表せないコト、知りたいことよりもっと知るべき情報を得ることもあるから。
自分の知りたいことだけを知ろうとするというのは、自分本位になりやすい。
相手を思いやることを気付かされるのが、直で会うこと、会話を交わすことの良いところだと思うのです。

2017年1月18日水曜日

あるある質問:こんなこと言っていいの?

さて、ランチ会の中で出た話題、その1です。


リラックスした交わりの中で、Aさんがあかしてくれた一面がすごくおもしろかったのです。
「実は、映画が好きで、かなりサスペンスでホラーなやつが好きで、
あ、あと、ナンプレをひたすらやって楽しむ時があります。」

彼女が、パーティーやお見合いで言っている趣味は「読書と料理、インドア派です」

ただの、読書好き、料理できる、インドア・・・こういう女性はいっぱいいる。
だけど、ちょっと変わった趣味があるのは、実はとてもおもしろい。
なにより、相手の印象に残る。

満面の笑顔でホラーが好きといい、ウキウキしながらナンプレをやる仕草までして語る。

話の内容がどうというより、そう言う彼女の様子が、なんともかわいく微笑ましい。
直接会っての会話は、言葉そのものより目と耳と肌で感じる情報が印象として上回る。
だから、「ホラー」や「ナンプレ」に若干引きつつも、彼女の明るさと楽しさとかわいさのほうが受け手に入ってくるのだ。
参加者一同が、ほっこりして、笑った。

「Aさん、おもしろい!そういうとこいいじゃん!!」
「え!?いいんですか?!こういうの出しちゃいけないと思ってた。」


クリスチャンだから、清らかで、落ち着いていて、真っ白な感じでいなければいけない・・・そういうふうに見せなきゃいけない、と思っている人がいる。

でも、これは、少なくともお見合いパーティーなどでは、全く印象に残らない。
(飛び抜けて、清らかで落ち着いていて真っ白なら別として)

それよりも、少〜し人間臭いあなたらしさを見せたら、それは魅力になったりもする。
ちょっとマニアックなところ、ちょっと崩れたところ、ちょっと変わったところ、ちょこっとテンション高いところ・・・
それをあなたが出すことで、相手もほろっと自分を開示してくれて、オープンな会話ができるかもしれない。

ちなみに、私は人前で緊張しそうな時、思い出すことにしている。
クリスチャンは罪人の集まり、罪を自覚した人の集まりじゃん・・・と、


ちなみに、Aさん、アイドルも好き。ファン活動のために仕事も頑張れるのだ!
でも、「そういう自分はいけない」と思っていた。
そんな彼女の真横で、結婚を控えたカップルが
彼女「え、こないだコンサートいったばかりだけど・・・」
Aさん「え!それ、彼氏さん、それいいんですか?」
彼氏「え、別にいいですよ。一緒には行かないけど」

そんなものである。
ちなみに、参加した男性陣に聞いてみたら
「別に好きなものは好きで、いいんじゃない?」
とのことだった。もちろん、結婚生活を脅かすほどののめり込みは困るけど。
でも、ほとんどの人はそのくらい常識はあるはず。結婚したらセーブしようと思っているだろう。

これ、実は、男女逆もしかり。
バイクや車が好きな男性は少なくない。でも、結婚したらセーブする、とほとんどの男性は考えている。
お金がかかりそうな趣味を持っているというだけで、疑いの目で見る女性もいるけど、
それは想像が先走りすぎではないだろうか。


結婚したら、好きなものを好きでいることを、あきらめなければいけないのだろうか?
あなたが何が好きかということが、あなたの個性を作っているのに。
それを隠さなければ、好きになってもらえないのだろうか?
そんな息苦しい関係の結婚は、できたとしても、幸せなのだろうか?


出し方(表現)は大事。初対面で、いきなり豪速球は投げちゃダメ。
でも、スパイスとして、あなたが好きなこと(マニアックでもよし)を話に出したら
二人の会話は盛り上がるかもしれない。
ジャブ打つように出すことによって、そのパンチを受け止められる人を発見できるかもしれない。
(あ、でも、政治と社会と神学論の話はやめましょう。それは、結婚してからにしましょう。)


「もしかして、ちょっと引かれちゃうかもしれないんですけど・・・実は〇〇も好きです。」と、照れながら言う姿
・・・想像するだけでカワイイ、と私は思う。

もし、それでも引かれたらこう言えばいい
「・・・なーんちゃって♪すいません。
あ、なにか、好きなこととか最近はまってるコトかあります?(質問返しの術)」






ちなみに、私は婚活の時、語れるちょいマニアック話を貯めていた。
「文房具がすき、特にノートの紙質を触って比べて萌える。一番はLIFEというノート。」「できればあらゆるメーカーのえんぴつを集めて並べたい」とか「お笑いやコントが好き。ラーメンズって知ってます?」とか、
「絵を描くのが好きだけど、色を塗ると必ず台無しにしてしまう」とか、「猫と会話ができます(できるつもり)」とか、「建物のとくに城とかの建造美を愛でるのが好き」とか・・・。
これらのネタは、今の旦那さんとお付き合いしている時の会話にも使えた。
ちなみに、旦那さんも同じくらいマニアックさを持ち合わせていた。
「新幹線」「駅のホームのチャイム」「車のエンジン音」「道路を走る感じ」などなど・・・

2017年1月15日日曜日

CCMランチ会ありがとうございました

1/14のCCMランチ会、無事に終えました。

主催夫婦含め、11人の参加でした。
交わるにはちょうどいい人数でした。

皆、ランチ持参。お弁当作ってきた方もいれば、買ってきた方もおり、
皆で食べるお菓子を用意してくださった方もいました。
感謝です。
(が、ゴミを会場に捨てられないので、今後は持ってきたけど余ったもの、ゴミはご自身で片付けるルールにしようと思います♪)

教会の中では話せない悩みや、実際はどうなの?他の婚活の人たちはどうなの?
カップルになった人はどうだったの?という、めっちゃ聞きたいお話というのを
楽しくかわすことができました。

参加してくれた婚約中カップルのお二人はとてもいい証となって、体験談を話してくださいました。
リアルな声を聞くのが一番ですね。(しかも鮮度が高い)

そして、その日初めて会った仲間にもかかわらず、悩み落ち込んでいる人には
皆で励ましの言葉をかけるという、とてもあたたかい、飾らないやさしさの空気が
そこにあったことも、主催者としては嬉しかったです。

みんな悩んでいる、みんなコンプレックスがある、みんな試練と忍耐と挑戦がある。
遠くに仲間、兄弟姉妹がいて、少し同じ気持ちを共有している。
そう思えることで、人って少し勇気がわく。

CCMを立ち上げたころの初心を思い出しました。
CCMはオフ会です。
いろんなところで婚活していてよくて、でも表舞台では出せない、話せない、聞けないことを分かち合う、オフステージの場。
そこで出会ってもいいし、そこで励ましを受けて、また婚活とかクリスチャン生活をがんばれればいい。

2017年のCCMの方針を神様に見せてもらったように思います。

また、こういった交わり会をやりたいと思います。

もちろん、オンステージ(お見合いパーティー)も、やりたいと思います。

ぜひ、ご参加くださいね。


あ、後日、今回のランチ会でも話題になったいくつかの質問などを
ブログでも取り上げてみたいと思います。
お楽しみに。


そうそう、オフ会、交わり会に参加できないけど、
悩んでる、相談したい!という方のために、窓口を作りました。
================================
クリスチャン婚活・結婚相談メール
CCMに参加したこともある方もない方も、
クリスチャンの結婚や婚活について悩みや相談を受け付けています。
お気軽にご相談ください。
<ご相談フォームはコチラ>
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これからも、どうぞよろしくお願いします。

主を仰ぎつつ。



2017年1月13日金曜日

祈り


こういうわけで、私はひざをかがめて、
天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である
父の前に祈ります。

どうか父が、その栄光の豊かさに従い、
御霊により、力をもって
あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。

こうしてキリストが、
あなたがたの信仰によって
あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。

また、愛に根ざし、
愛に基礎を置いているあなたがたが、
すべての聖徒とともに、
その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを
理解する力を持つようになり
人知をはるかに越えたキリストの愛を
知ることができますように。

こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで
あなたがたが満たされますように。


どうか、私たちのうちに働く力によって
私たちの願うところ、思うところの
すべてを越えて 豊かに施すことのできる方に
教会により、またキリスト・イエスにより、
栄光が、世々にわたって
とこしえまでありますように。

アーメン

エペソ3:14ー21



愛する兄弟姉妹、
とりわけ主にあって
結婚という一つの具体的な生き方を探り、願い、祈っている
愛する兄弟姉妹が
内側から強められますように、
歩みを通して主の栄光を見て、ますます神を讃美するように
なりますように

と、祈ります。

愛することを怖がらないで

主の御名を讃美します。

今朝、朝食の食器を洗いながら、ぼーっと思いにふけっていました。

私の思いは、過去の自分にとんでいました。

20代中頃から後半にかけてのころです。
ちょうどその頃は、教会からも信仰からも離れていて、
夢を追うことに人生をかけ、淋しさと不安からすぐ誰かと恋に落ち、
恋に落ちては別れるということを繰り返し、
するべきではない大恋愛の末に破れかぶれの失恋をして、
人を愛することも愛されることもできない・・・という時期がありました。
4年くらい、人を愛せない時期がありました。
人どころか、動物やこどもを「可愛い」と思えず、
好きになるとか、かわいいとか、愛しいとか、そういう気持ちがわからなくなってしまうほど、感情に蓋をしていました。

それはそれは、今考えても辛かったな、と思います。

失恋した時は2週間ごはんが食べられなかったし、あまりのショックで1年半生理がとまりました。

人を愛したら、傷つくこともある。
ヤキモキしたり、ストレス感じたり、何かに手がつかなくなったり、時間を奪われたり、
コスパが悪いと思えることもたくさんある。
自分の自由にならないことだらけで、面倒臭い。

だけど、
それは、理論的に考えてるんじゃなくて、
愛することを恐れてるっていうだけじゃないかな・・・と思うのです。

人は神の形に似せてつくられているから、
「愛する」ていう機能は1番のスペックなはずなんです。
それをないものにするのは、きっと不自然なこと。

だから、
人を愛することを怖がらないで。

誰かを愛すること、好きになること、大切にしたいって思うことを
やめないで。


婚活っていうのは、愛する人と出会うための活動だから、
「誰かを愛する」っていう大前提なくしてはできないのです。
誰かを愛さず、また愛されずして、結婚はありえないから。

いろんなあなたを縛る恐れや律法や誰かに言われたコトバがあるかもしれない。
でも、それが聖書にある神の言葉でないのなら、そんなことは横に置いといていいと思う。

愛することを怖がらないで。

20代のあなたも
30代のあなたも
40代のあなたも
50代のあなたも

愛することをやめないで。




ということが、今朝頭の中を駆け巡ったので、
ここに書きました。

祈りつつ・・・

2017年1月9日月曜日

ランチ会〆切とCCM相談室オープン!

1/14のCCMランチ会は定員に達しましたので、締め切りいたします。

良き交わりの時となりますように。

新しいお知らせです。

CCM相談室(完全会員制SNS)を設置しました。



代表カワセへの相談質問ができます。
また、SNS会員の方同士のネットでの交わりもできるようになっています。
参加したい方は招待メールをお送りしますので、こちらからお申し込みください。
https://ws.formzu.net/fgen/S82233694/
クリスチャンの結婚を祈る方なら、独身の方、CCMのOBの方もOKです。


このCCM相談室の設置の理由としては、二つあります。
1つは、カワセが中部にいないので、こまめに交わり会をひらけないことを補えないかと思ったこと。
2つ目は、婚活や結婚に関する質問をもっとしやすくできないか、と思ったこと。とはいえ、ランダムにメールを送られると、もう誰が誰だかわからなくなってしまうのです。このSNSのメッセージ機能はそれが整理されるので、誰とのどんなやりとりがあったのか、わかりやすくなります。

SNSというのは、炎上などの危険もあります。
ぜひ節度をもって利用してもらえればと思いますが、もし混乱が起きた場合は、閉鎖することもありますので、ご了承ください。

2017年も、結婚を祈るクリスチャンのお一人お一人が、主のみこころに導かれますように!!

2017年1月2日月曜日

2017年 あけましておめでとうございます

主の御名を心から賛美します
新しい年がはじまりました!

あけましておめでとうございます。

2017年もどうぞよろしくお願いします。

今年はどんな年になるでしょうね?

この一年にも神様のご計画が盛りだくさんに詰まっているだろうことを思うと
ワクワクする?あるいは、どんよりする?

想像もしないことが起こるのが、神に導かれし人生だと、思います。
けれど、神様は
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ書)」
神を信じる者たちに語られるお方です。

私自身、このみことばに何度支えられたかわかりません。

先はわからなくても、起こることの意味は自分にはわからなくても、
神様はよく知っている。
意味がないんじゃないか、って思えることを努力するのは、大変ですよね。
私も意味を考えちゃうタイプの人間だったので、自分のモチベーションを維持するのが大変でした。
そういう方にオススメなのは「意味はともかく、やってみる。疲れたら休めばいい。」
という投げやりスタンスでやってみることです。
費用対効果がトントンならまあいいか、くらいで(笑)
CCMは実はそのスタンスです。それほど大きな損がなければやっていいかな。
これが、セミナーや交わり会、お見合いパーティーを開催するかどうかの私の基準です。
そのくらい隙だらけの方が、神様も介入しやすいんじゃないかと(笑)


新年から力入れるとあと360日くらい疲れちゃうので、
期待は大きく、でも、肩の力は抜いて、
今年も歩んでいきませんか(^ ^)

今年最初のイベントはこれです。

=CCMランチ会=
1月14日(土)12:00~15:00

名古屋駅3分のレンタルスペースにて

定員10名(あと3名!!!)

ランチ持参でおねがいします。

結婚を祈るクリスチャンの交わりと励ましの場となりますように。

申し込みは以下より
https://ws.formzu.net/fgen/S2250328/

参加費はありません(自由献金)
======================

実は初の無料イベントです。
これが今年のCCMのチャレンジでもあります。
神様がどのくらいCCMを用いてくださるか・・・主の祝福に頼るチャレンジです。


今年も、主の御心が成りますように!!!

CCMカワセ