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2017年1月28日土曜日

婚活でどう祈ればいいのだろう?

先日、映画「沈黙ーsilenceー」を見ました。
この映画の賛否感想はいろいろあると思いますが・・・
それはそれとして、

映画を見ながら、私の思いはある時へと飛んでいました。

「神は何も答えてくれないのか」「神は沈黙しているのか」
「神よ、あなたは一体何を考えているの」
泣きながら車を走らせていた、あの日・・・
婚活がうまくいかなくて、希望をもっては破れ、期待しては崩れ
泣いて祈ったあの日々のことを思い出していました。


うまくいかない、思ったようにはいかない、
婚活はその繰り返しのように感じることがあります。
どう祈ったらいいのかさえわからなくなる、そんな時もあります。

私たちの思う時と神様の時は違うから
私たちの望む形と神様の備える形は違うから
私たちの理解できることと、神様の御心の広さ深さは違うから

あぁ、果てしない気分になりますね😑

婚活をしているとき、
私たちは、いったい、何を、どう祈ったらいいのだろう?

皆さんは、どう祈っていますか?何を、祈っていますか?

お手本としては
「主の御心のとおりになりますように」
という祈りでしょうか。

でもね、最初から、そんな言葉、私は言えませんでしたよ。
初めは吐き出してました。
「神様、私は、ああでこうでそうで、こういうのを望んでたんですよ!
神様、ご存知ですよね?!」
でも、ああでこうで…という自分の理想や願いを並べれば並べるほど虚しい気持ちにもなったんです。
「うわあ、なんか、きっと違う気がする・・・。違うってことですかねぇ神様・・・。」
ちょっと途方にくれました。

「神様、あなたは何を考えているの?」

その時、少しずつ、少しずつ、頭を巡ったんです、
神様ってどういうお方なのか・・・ということが

「旧約聖書で、神様は起きるといったことは必ず実現させてくれた。
イスラエルの民に約束したことは、必ず守ってくれたお方だ」とか
「詩篇に、『あなたは私の思いを遠くから読み取られ、私を生まれる前から知っておられる』っていうのがあったな、神様は私のことを私以上に知っているのかな」とか
「聖書のどこかに『あなたに将来と希望を与える計画だ』ていうのがあったな。私の未来にも、将来と希望だと言えるものを計画しているのかな」とか
「私はあなたと共にいる、ってみことば、あったよね」とか
「あなたを見放さない、ってみことばも、あったよね」とか

そう思い出していくと
具体的に何が起こるのか、どうなるのかはわからないけど
私が信じている神様はこういう方で、
聖書(神の言葉)は変わらない確かなものだから、
それを私のものとして信じてみよう、という思いに変えられていったんです。



辛い大変な時こそ、ディボーションをすること、聖書のみことばを真剣に聞くことは
大きな力になるなと、本当に思います。

自分は何を信じているのか?誰を信じているのか?
誰に向かって祈っているのか?祈っている相手はどういう方で、何をしてくれる方なのか?

それを、なんというか、確認しながら祈る・・・

その先に、きっと心から言えるんだと思います。
「しかし、主の御心がなりますように」と。

イエス様だって、血の汗を流しながら「この盃を取りのけてください」と震えながら祈ったんです。
いわんや、私たちをや!祈らずに何ができるというのだろう。


祈り続けること、大切だなと、最近本当に思います。
環境が変わり知らない土地で心戸惑うことの多い私も、今すごく祈ることが増えました。

祈ることは、考える(思考する)ことと違うと思います。
人間の頭と心ってよくできていて、思考すると大抵自分が本当に望んでいるところに行き着いてしまうんです。だから、同じところをぐるぐるまわるし「自分の願い」からは抜け出せない。

じゃあ、どうしたら、思考ではなく祈りになるか…。
それは、「聖書の言葉を土台にして」祈るということだと思います。
*聖書にこういう話、こういう言葉がある。
*そこから、こう教えられました。
*神様、あなたは・・・・。
*だから(ならば)私は・・・。

そして、ここに聖霊が働いてくださって、祈りと心が導かれていく・・・。
(奇跡的な不思議なことが起こるとか、体が震えるとかいう意味ではないです)

私自身は、
そういう祈りを何度も繰り返して
婚活も、結婚生活も、ミニストリーもなんとかやってこられたように思います。

忙しいと、祈りやみことばに触れることって疎かになりがちだけど、
忙しい時こそ、この時間を3分でも5分でも持てるといいな、と思います。















さらにおすすめなのは、
聖書をガイドと共に読むことです。文脈をとらえた解説があれば、みことばの意味をより正しく受け取ることができると思います。
おみくじ的に、自分の気分で読んじゃうと、先ほど述べたような自分の思考からは結局抜けられないから。
ディボーションテキスト、ぜひ活用してみてください。
(ちなみに私が利用しているのは、ハーベストタイムミニストリーのClayです。電子版もあります。)


クリスチャンの兄弟姉妹の結婚のために、私もますます聖書に触れつつ祈っていきたいと思います。

3 件のコメント:

  1. このコメントは投稿者によって削除されました。

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    1. ぞうさんさん、ありがとうございます。そうです。
      私は、全然はじめから「御心のままに」なんて祈れないし、そんなもんかなぁと思います。けれど、婚活しているクリスチャンの方々、私より素晴らしい方々いっぱいいて「神様の御心の通りになればと祈っています」と即座におっしゃる方もいて、
      でも、もし彼らが無理してるなら「無理しなくていいよ!お手本みたいじゃなくてもいいと思うよ!」と伝えたくてこのブログを書いています。

      けど、やっぱり、最終的には言えたらいいな、って思うんです、心から「御心のままに」と。そう、パウロが語ったように、私自身はクリスチャンとして大人になりたいな、と思います。私たちが聖書の弟子たちの勇敢な背中をおうように、もっと若いクリスチャンの青年たちに背中を見せて証できるよう、神様に成長させてもらいたいな、って願います。
      うーん、まだまだ道は長いけど(笑)

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  2. 何と祈ってもいいと思いますよ。
    悪態つこうが、ブーたれようが。
    何を祈ろうとも、主が必ず祈りを聴いていてくださって、必ず良く導いてくださると信じてさえいるならば、安依姉の祈りの方がみこころに適うものに変えられていきますから。
    別に「御心のままに」と祈る気持ちになれなくとも、人間、そんな時もありますよ。

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