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2017年8月30日水曜日

内面を見てほしい

ときどき
婚活の現場で

「自分の内面をみて欲しい」

外見によらず、自分の内面を、本質をみて欲しい

という声を聞きます。


私個人的なことをいうと
すごく個人的なことを言うと
私は、自分の内面はどす黒く、情けない部分もいっぱいあり
外見の方がよっぽど取り繕うことができるので
このどうしようもない内面とか、中身をみられてしまうと
かえって困るなぁ・・・・
と思ってしまうのですが(^^;)



自己表現が下手だと自覚している人が
下手な表現を超えて、
自分の意図を汲んで欲しい
自分をわかってほしい、
と思う気持ちはわからなくもありません。


けれど

こうも言えると思うのです。

「外見はその人の内面が作り出したもの」


滲み出るものがあると思うのです。

たとえば、

不摂生をせず健康的な食生活をしている人が
超肥満体型だ…ということは
まずないと思うのです。

きれい好きな人の洋服が
生乾き臭がしたりよれよれで埃がついている
ということはないと思うのです。


TPOを間違えることはあります。
それは、訓練や経験も関わりますから・・・

ちゃんと働いているけれど
忙しすぎて服がヨレヨレになっている
ということはあるかもしれません。

教会がおしゃれをあまり良しとしていないので
服のセンスが磨かれないということもあるかもしれません


人には
さまざまな背景があります。
それは、意外と奥深く、広いものです。

でも、その背景を見るための窓は
「外見」です。

「外見」を窓にして
「中身・中の景色」を見ることができる

そう思っています。


できれば、この視点をうまく利用して
外見を工夫することで
内面のいい部分が
より見えやすくなる工夫ができたら
いいのではないかな、と思います。

ちなみに、外見は
服装だけではなく、
例えば、
表情、声、行動、ちょっとした癖、仕草、選ぶ言葉
も含まれていると思います。


さて、今週末は北陸CCMです!
「外見、内面、表現」についての相談も直接できますよ。
是非、お越しください。



<9/2北陸CCM 開催!!!>

北陸は富山県のログハウス風カフェで
北陸CCMスピンオフ開催します!

結婚を祈るクリスチャンのための「セミナー&交流会」
in 富山 Grace Cafe OASIS

日時:9/2(土)
14:00~17:00(Open13:30)
参加費:500円(ドリンク・デザート付)
場所:Grace Cafe OASIS
 富山県射水市海老江630-2
射水海老江コミュニティーセンターすぐ横

詳細、お申し込みは↓↓↓
https://chubu-christian-marriage.jimdo.com/ccm-toyama/






2017年8月28日月曜日

チャンスをつかむこと

「やっぱりあの時参加しておけばよかった」
「やっぱりあの時行っておけばよかった」

そんな声を
聞くことがあります。

直接、
相談のようにして言われることもあります。
(今年はそれがとても多いです)


そのとき、
私が何を思うかといえば


「それを私に言ってどうするの?」


ということです。



私は、とても物事の裏を考える人間です。

吐き出された言葉は
そのままの意味を持っていないことがある
ということを
経験上知っています。

だから、

「その言葉の裏の本音はなに?
なにをいいたいのだろう?」

ということを、
常に考えてしまいます。

後悔を、独り言としてつぶやくなら
それはただの後悔だと思います。

けれど、
後悔を人に語るということは
また別の意味をもっている、と思うのです。


そして、

たいてい感じるのは


「わたしのためにチャンスを作ってください」


という裏のセリフです。


・・・


お願いすれば
チャンスというのは簡単に
頂けるのでしょうか。

私は、
お願いしてチャンスにありついたことは
ほとんどありません。

演劇でプロを目指していたとき
オーディションというのは
たいてい都合の悪い日時とタイミングで開催されます。
それでも、オーディションに出るためにと
正社員の仕事ではなく、バイトをすることを選んでいました。
チャンスを掴むためです。
今しかチャンスはないからです。


チャンスを掴むために
何を優先するべきか、何を譲るべきか
という判断は
とても大事ではないかと思います。

「時」を決めるのは
「神」です。


主催者として言っておくと
ものすごい検討を重ね、祈りに祈った上で、大事なイベントの日時は決めています。
できるだけ多くの人が参加できること、遠くの人も来られること、などなどなど
いろんなことを考えて場所と日にちと時間を決めています。
そして、決まった=与えられた場所と日時は、
神様が備えてくださったものだという信仰のもと
告知をするのです。


参加するのもしないのも
チャンスをつかみにくるのもこないのも
個人の自由です。


けれど、もし
「気分」でそのチャンスを反故にしているのだとしたら
「なんだかいく気になれないから」「なんかやっぱり怖いから」
と機会をスルーするのだとしたら


それは…どうなんだろう…


と、思ってしまうのです。


「信仰によって婚活してる」
ということの意味を、
考えてしまうのです。



「時」は思い通りにはやってきません。

チャンスは、あたりまえにはありません。
あたりまえにないからチャンスなのです。



クリスチャン婚活ミニストリーに携わる人たちは
今、少しずつ増えているように思います。
機会も増えていると思います。

けれど、やっぱり
当たり前の環境ではないのです。

どのミニストリーも小さな働きです。
いつ消えても、いつ閉ざされてもおかしくない
とてもハードな中で、みなさんやっておられます。

そして、
自分の年齢があがることで
自然に、相対的に、出会いのチャンスは減っていきます。
そのチャンスの減りようは、
ミニストリーの拡大では補えないくらい
早いと思います。


婚活だけではなく
何事においても
チャンスをつかむのはとても大事だと思います。

私たちは「限り」がある中で生かされています。
命だってそう・・・
若さだってそう・・・
健康だってそう・・・


そして、

チャンスを掴もうとすることは
神様への応答
だと私は思っています。


1人でも多くの人が
信仰を土台として
恐れや気分に負けずに
貴重なチャンスを生かすことができるようにと
いつも祈っています。



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北陸は富山県のログハウス風カフェで
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結婚を祈るクリスチャンのための「セミナー&交流会」
in 富山 Grace Cafe OASIS

日時:9/2(土)
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 富山県射水市海老江630-2
射水海老江コミュニティーセンターすぐ横

詳細、お申し込みは↓↓↓
https://chubu-christian-marriage.jimdo.com/ccm-toyama/






2017年8月24日木曜日

受け止める心の準備

いろんなアドバイスがあるけれど

それが正しい、いいアドバイスだとわかるけれど

どうしても素直に受け入れられない

ということはないでしょうか。


人の心は
とても複雑にできている
と思うのです。

割り切ればいいとわかっていても
なんだか割り切れない

シンプルに考えればいいとわかっていても
どうしてもそう考えられない

なにかが絡みついているような
どうしても何かが気にかかるような
なんか進んで心がそこに向けられないような

そういうことって

ある、と思います。


それは、

たぶん

単に

素直じゃないとか
性根がわるいとか
根性が曲がっているとか

そういうことでは、たぶんなくて

たぶん

受け止める心の準備ができていない

のだと思うのです。


そのアドバイスを受け止める前に

解決すべきことがあって

それをクリアしないと、
そのアドバイスに手をつけられない
ように思います。


だから、

アドバイスをもらっても
アドバイスをみても
そのように進んでできない自分を

責めなくてもいい
自己嫌悪に陥らなくていい
絶望しなくてもいい

ただ

受け止める心の準備を
していけばいいだけ・・・
(できるだけ早く)

遠回りに感じるかもしれないけれど

順番に解決していくのが
一番早くて確実だと思います。

足し算、引き算を覚えてからでないと
掛け算、割り算はできない。

まず歩けるようになって、走れるようになる。


自分の中の、ひっかかってることは何だろう?
後ろ髪引かれる何かは何だろう?
目の前の解決しなきゃならない課題は何だろう?

そこに向き合ってみたら

きっと次の扉が開くような気がします。



けど


もし、

受け止める心の準備さえも
取り組むべき課題に向き合うことさえも

やりたくない

と言うとしたら


それは
やっぱり

素直じゃない・・・

とも、思います。





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2017年8月23日水曜日

招かれたという認識

ときどき

心の奥底で

「神を信じてやったのに!神様あなたを信じてあげたのに!」

と思っていないだろうか?

と、ふと我に返って思ったことがある。


信じたなら、願いが叶う。
信じたなら、いいことがある。
信じたなら、人生がうまくいく。
けど、おい
信じたのに、うまくいかないじゃないか。
神様よ、信じたのに、うまくいかないじゃないか!
これはどういうことだ!?
約束が違うんじゃないか?!
せっかく、信じてあげたのに!!!!

はっきり自覚してなくても
実は、そのくらいの思いになってたり
しないだろうか。

だけど

それは、神を下に見ている

考え方・・・ではないだろうか。


「信じてあげてる」なんて
少なくとも、
神を上に見ている考え方じゃない。

神が人より上ならば、
物事の統括権、管理権、決定権は
自分より上の神にあって当然だ。


ガラテヤ6:7〜
「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。」


神を下に見る。

それは、完全に「思い違い」なのだ。

そして、私たちは、
神を侮れるような立場じゃない。


「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」


うまくいかないとか、願いが叶わない・・・

それは神様が祝福をしてくれない、ということじゃなくて、

もしかしたら自分自身に問題がある場合もあるのではないか?
刈り取らねばならない種を、かつて蒔いていたのではないか?

と、私は自問する。

悩んだり落ち込んだりせず、自問する。

「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り・・・ 」
とあるように

私たちは、キリストを信じることで
罪については赦される。命の滅びからは救われる。

けれど、犯した罪の刈り取りは免除されるわけじゃない。

それは、旧約の人物たちを見てもそうだ。

モーセは神に逆らって2度岩を打った刈り取りとして約束の地には入れなかった。
ヤコブは父を獣の皮と兄の晴れ着で騙して祝福を獲得したが、のちに、愛息ヨセフが獣に食われて死んだと血のついたヨセフの晴れ着をもって息子たちによって嘘をつかれ泣くことになった。

私たちも、犯した罪については生きている間に刈り取りをすることになる。

「御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」

もし、純粋な思いで神に仕え、聖書の示す善を行ってきたのなら、
神様はいつか必ず祝福を与えてくださる。

だから、その時期を待つ。

でも、私たちは、完璧ではない。
必ず、罪を犯している。
それは、一般的な犯罪という意味ではなく、
神に対する背き、欺きという意味での罪だ。

その待っている間に、
刈り取りをすることもある・・・のではないかと思う。

その刈り取りは、甘んじて受けなければならない、
と私は思っている。


私たちはそんなふうにして、
いろんな意味で
神の支配下にいる。


私たちが、神を信じてやったのではない。

私たちが、神を認識するから、神が存在するわけでもない。

私たちが、神を信じなければ、神の存在が証明されないわけでもない。

私たちは、神に創られたのだ。


信じようが信じまいが、神はいるし
わたしたちは神の支配下にある。


そして、

信じるようにと

「招かれて」「導かれて」

神を信じる今の生活がある



そのことを、忘れてはいけないなぁ

と、はるかに高い空を見上げながら

思ったりするのです。


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2017年8月21日月曜日

置かれた場所で咲く

「置かれた場所で咲きなさい」
少し前に召天されたシスター著者の渡辺和子さんの
本のタイトルです。

私もこの本を読み、とても感銘を受けました。

ちょうど、東京の12年生活から足を洗い
故郷岐阜に導かれるように帰ってきて
ほんとうに何にもない”自分”だったとき

導かれるようにではあったけれど

なぜ岐阜にいるのか
あの東京生活はなんだったのか
・・・

そして、全国全域対象で婚活をしていたにもかかわらず
岐阜県内の超近所の男性と
結婚に導かれ
いよいよ本格的に「岐阜」人生だ
いったいここで何が待っているのだろう

そう思っていた時に、この本を読み
「置かれた場所で咲きなさい」
という言葉が、とても心に響いたのを覚えています。


私たちは、ずっと

夢はでっかく!
そして、その夢を叶えることが成功だ!

というような教育を受けてきたように思います。


けれど、

人生の幸せは、本当にそれだけなのだろうか。

自分の思いではなく、神の与える最善を受け取っていくことを
GOOD!という聖書のしめす成功は、
幸せではないのだろうか?

と、ふと思うのです。


それぞれに
置かれている状況というのがあります。

いい状況もあるだろうし
好ましくない状況もあるかもしれない

なぜこんな状況に?と思うこともあるかもしれない

だけど

今の、その状況に置かれていることが、神の導きであり
神の作り出した状況だと受けとめてみたら・・・

目の前の状況から、神の道を、神の御心を、最善を
探っていくことができるのではないでしょうか・・・。


パウロがアジアに行きたかったけれど、聖霊にとどめられ
思ってもなかった地方へ伝道に行くことになったことを思い出します。
アテネあたりに行った時は、本当に手応えがなくて
なんでここにこなきゃいけなかったんだ、と思ったでしょう。
それでも、神様の導いた伝道ルートは必要で最善だったのだと思います。
そして、パウロはそこに従い、各所で精一杯伝道していきました。


私が、主人と出会った時
なぜ岐阜の人?と思ったし、まったくもって理想の条件とは違っていました。
好みのタイプでもありませんでした。(お互いに)

けれど、この人が御心の人だということは、
置かれている状況がどんどん証明していってくれた・・・
という感じだったのです。

私自身に、実感はない。
彼にも実感はない。
正直に言えば、結婚5年目の今でも、
いわゆる感覚としては
「この人が運命の人♪」
という感覚はありません。
お互いに、いまだに、不思議だね、と言い合っているのです。

でも、
置かれた場所で、とにかく現実と向き合っていった時、
その現実の中で自分ができることは何か、
その現実の中で自分が選べる道は何か、
そう考えて行動していった先に
今の幸せな結婚・人生がある
ように思います。

その足跡を見て、
「やっぱりこの人が御心の人なんだな」と
思う・・・いや、認識するのです。




理想を掲げて
それを叶えたいと祈り求めるのもいいけれど

現実の中から、神の御心を探り
置かれた状況の中から祈り求めていくのも
いいんじゃないかな

とおもいます。


夢を叶えることよりも
現実をどう生きていくか
のほうが、
大事なのかもしれない・・・

と、30代後半に入った今
私は思うようになりました。

皆さんは、いかがですか?




<9/2北陸CCM 開催!!!>

北陸は富山県のログハウス風カフェで
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2017年8月16日水曜日

人は人を救えない

「なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。
また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。
ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。
私は、すべての教会で、このように指導しています。(Ⅰコリント7:16-17)」

この聖句は、クリスチャンとノンクリスチャンの結婚離婚についてパウロが語ったところです。
そして、文脈としては、
「クリスチャンとノンクリスチャンで結婚している場合、離婚しようとしてはいけない。でも、もし、未信者のパートナーが去っていこう(離婚しよう)とするなら、
あなたは信仰を捨ててついていくよりも自分の信仰を守ることをとりなさい。」
ということが直前に書かれています。

その流れで

「なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。
また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。」

と書かれています。

「・・・そうだなぁ」

と、思わずつぶやきました。


人は人を救えない・・・

人は人を変えられない・・・


結婚生活や
ミニストリー
を通して
本当に実感することです。


クリスチャン同士の夫婦であっても、
お互いに、合わないところや、できれば変わってほしいと思うところは
あるものです。

けれど、そう簡単には変わらない

20年30年40年かけて身についてきた習慣や考え方は
そう簡単には変わらないのです。

変わる必要さえ実感しない、ということもあるかもしれません。
ならば、余計に変わらない・・・


結婚前に、

「彼のここは嫌だけど、きっと変わってくれるはず」
「彼女のここは直してほしいけど、たぶん結婚したら変わるだろう」

好きだからこそ、結婚したいからこそ
そこをポジティブに期待してしまう

でも、そう簡単にはいきません。

私も、数多くのことを夫に求め、
その9割は変わらず、
諦めてきました(笑)

そして
そのうちの5割は、
彼 ではなく、
私が 変わることで
解決できた・・・ようにも思います。

自分が変わることで
スムーズにいくこともある

だけど

信仰だけは変わっちゃいけない!

神様が私に与えてくださった「信仰」はどんなものよりも大事なもの。
何においても最優先されるもの。

「ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、
また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。」

クリスチャンという私らしさは、何をおいても捨ててはいけない

のだな、と思わされます。


私は私らしく

そして、

人は人を救えない。人は人を変えられない。


じゃあ、
どうやって人と人は歩み寄っていけばいいのか?
どうしたら人と人は1つのようになれるのか?


ここまできて・・・

歩み寄る、1つになる、というのは
なにも2者が同じにならなくても
歩み寄れるし、1つになれるよね

赤と青が1つの色(紫)になるには

絵の具のように混ざり合う方法もあるけど

青のセロハンシートと赤のセロハンシートが重なることでも
紫になる。
けれどこのとき青のセロハンは青のまま、赤のセロハンは赤のままで
元あったものが変わってしまったわけじゃない。

そういう1つのなりかたもあるよね

と気づきました。



そして、

自分の結婚生活を振り返った時

私は夫を変えられなかったけれど
神様が彼を変えてくれた・・・
と実感することがたくさんあることに気づきました。

時間をかけて…
私が何もできずあきらめたころに
願っていたことを自ら言ってくれるようになったり
願っていたことを自らしてくれるようになったり
したのです。

それは私ではなく
神様が働いてくださったんだな・・・
祈っていたことを神様は聞いてくださって
私たち2人に思いをとめてくださっているんだな

と、思いました。

「神は、みこころのままに、
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行なわせてくださるのです。(ピリピ2:13)」

そして、彼だけでなく
私も 神様の働きによって変えられている・・・
と思います。

「ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。(ピリピ3:15)」

人は人を救えない。
人は人を変えられない。

でも
神様は人を救える、
神様は人を変えられる

だからこそ

「何も思い煩わないで、
あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ 4:6-7)」

という言葉を信頼したい
と思います。

「それゆえ、神に選ばれた者、きよい、愛されている者として、
あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 

互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、
互いに赦し合いなさい。

主があなたがたを赦してくださったように、
あなたがたもそうしなさい。 

そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。

愛は結びの帯として完全なものです。(コロサイ3:12-14)」


神の愛こそが、人を救い、人を変え
人と人を繋いでくださり、
1つにしてくださるのかもしれません。





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2017年8月12日土曜日

主にある婚活って?

私の大好きな聖句の1つがこれです。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
私たちは神の作品であって、
良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、私たちが良い行いに歩むように、
その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。
(エペソ2:8〜10)」

信仰により恵みによって与えられる・・・

ガラテヤ3章を読むと、
どう「救いが信仰により恵みによって与えられる」ということに
至っているか、ということがわかるような気がします。

人に(イスラエルの民に)
律法が与えられました。
人はそれを全うしようとしたけどできませんでした。
律法は、人が救われる方法論、ともいえると思います。

でも、できなかった・・・。

けれど、できなくっても当然なのです。

そもそも、律法は人がそれを全うするためにあったわけじゃない

神様の義がどういうもので、どうしたら救われるかという方法で
神の義と人の罪を知ることで人はある程度養育され、ある程度守られ、

そして、
律法を全うするのはキリスト(神の子)だけで
「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5:17)
「キリストが律法を終わらせたので、信じる人はみな義と認められるのです。(ローマ10:4)


人々がその完成者なるキリストへの信仰へと至るためのものだったのです。

そして、信じた人々は神の恵みにより義とされ、永遠の命の約束と聖霊を与えられました。




あらゆる物事が、

もしかしたら、この原理なのかな、
とふと思ったのです。



結婚相手に出会う、愛される、主にある人間関係を築く
その方法、メソッド、こうしたらいい、ああしたらいい
というものは、確かにあります。

だけど、それだけで、必ず幸せな結婚できるかといえば
多分そうじゃない、と思うのです。


そこに、神様の恵みがなければ、
きっと完成はしない。


愛される、人間関係を築く方法、メソッドは
きっとある程度役に立ちます。
それをやろうとすることで、
人として成長したり、気付いたりすることは、
きっとたくさんあると思います。

だから、それをトライして、やってみようとすることは
いいことだと思います。

でも、それだけではうまくいかないとしても
それは、きっと当然・・・だと思うのです。

(「それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
と先ほどの聖句にもあります。刺さりますね・・・。)

神が導く、
神が恵みと憐れみによって完成する・・・。

それを、私たちは、信じる。

そういうことなのかもしれない、と思ったのです。



とすると

ものごとがうまくいかない、というのは、
実はとてもいいことなのではないか、と思ったりします。

世にある方法や常識ではうまくいかない、
完璧にはいかない

そのことを通して、私たちは神を仰ぎます。

もしかしたら、
なんなら
神を仰ぐようになるために、
うまくいかないようにできているかもしれない。

きっと
大事なのは、自分の力でうまくいくことではなくて、

神の力によってうまくいくこと、

そして、それを通して
「やっぱり神様は共におられる!生きておられる!」
と神をほめ讃えるため・・・
なのではないかと思うのです。

(聖書を読んでいると、どうも人間の最上の喜びは主の栄光をほめ讃えることのようだな、と思わされます。なかなか、その実感を得るのは難しいのだけど…)


うまくいかないのは

より「主にある幸せな結婚」「神の結ぶ完璧な結婚」
へ近ずくための道なのかもしれない、、、と
思ったりします。


でも、主の道は計り知れない
そして、おうおうにして、厳しく、そこには試練がともなう・・・




なんでもいいから結婚したいか
どんなでもいいからウェディングをあげたいのか

それとも

神に導かれて、神に保証された、祝福溢れる結婚がしたいのか



きっと
それらを選ぶことを
私たち人間はまかされている。

自由意志があたえられている。

応えるのは、
今生かされている私たちの
そして、クリスチャンとなるようにと招かれた私たちの
責任だ・・・

と思います。


私自身も、毎日のように、突き付けられています。

ひとつひとつのことが
信仰により恵みによって成ることを
神様が完成してくれることを
願うか、どうか・・・

本当に、試されます・・・。

正しいものを、選び取りたい・・・
と、願い祈ります。




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2017年8月10日木曜日

自意識から逃げない

若い頃・・・

夢を追いかけていた頃

それはつまり、夢がなかなか叶わず

もがいてもがいてもがきまくっていたころ


あの頃ほど

嫉妬、ねたみ、そねみ、ひくつ

でいっぱいだったことはないな

と思います。


いつも誰かをうらやんで
いつも誰かに嫉妬してて
いつもすべてを斜めにみて
くやしくて、くやしくて、くやしくて
うらやましくて・・・

でもそれ以上に

そんなことを感じている自分がいやで

なんて格好悪いんだ

人をうらやむ自分、嫉妬して、心の中でねたんでる自分

なんて情けないんだ

と思って・・・


うらやんで、ねたんでる自分を直視することが

一番つらかったです。

自意識が過敏になってる自分も、かっこ悪いなって思って
なんだかまたくやしくて

そんなこと関係なく、自分らしくあることを
貫きたいのに・・・

そうは思っても、自意識が募る

そして、ダメな自分、負けてる自分、結果出せない自分が
うきぼりになる。
夢を叶える友人、先へと進む友人、輝いてる友人が
どんどん、うらやましくなる。

それは、

夢を叶える、ということの当事者であるからこそ
そのレースに参加しているからこそ
感じることではあったと思うのです。


たとえば、
ダンサーになりたいと思ってる人が
弁護士になりたいという人と張り合うことはないだろうし
うらやましいとか、ねたんだりとかはないと思うのです。


けれども、当事者でありながら
当事者の立場から逃げてしまったら・・・
他の当事者からみたら「ん?」となると思うのです。


夢を追ってる途中の者なのに、
まだなにも達成してもいないのに
まるで到達した者のように「ああだよね、こうだよね、こういうものだよね」
という人が、あの時もいた。(そういう先輩っている・・・)

でも、そういう人がどう見られたかといえば
「めんどくさい」「信用できない」「眼中にはいれなくていいや」
そして
「あの人のようにはならないようにしよう」

そう周りから思われてたし、
私も思っていました。

(いや、もし、私自身が気づかないうちにそういう人になっていたかもしれない。
だとしたら、本当に恥ずかしい・・・)


自意識も辛いけど、そこにはならないようにしよう・・・。

今振り返っても、そう思います。



結局、私の場合、夢は一度敗れたわけですが、

自分の中の、妬み、そねみ、うらやむ思い、自意識と
とことん向き合うことができたのは

とてもいい経験でした。


そして、その時の経験が
意外なことに
婚活の時に役に立ったのです。

婚活の時には、信仰を取り戻していたので、
妬み、そねみ、うらやむ思い、自意識と
たった1人で向き合うのではなく
神様と一緒に向き合うことができました。
(ねたんでるとか、うらやましいとか、そんなこと恥ずかしくて誰にも相談できない。
だから、神様にだけ相談してました。相談できる神様がいて、本当に良かった・・・)

そして、
「実は人を妬んだり羨ましいと思うめっちゃ格好悪い奴なんです、私」
という自覚があったからこそ
相手の前で虚勢をはることもなくフラットで入られたような気がします。


自意識と向き合うのは

結構辛いけれど

自分が本当に何者であるかということを
とことん知る、大事な機会かもしれない
と思います。


ダメな自分からは
逃げてはいけない・・・
自分という人生の当事者であり続ける


自分の人生は、自分にしか歩けないのだから・・・・



そんなことを、

あの頃を思い出しながら

改めて思います。




<9/2北陸CCM 開催!!!>

北陸は富山県のログハウス風カフェで
北陸CCMスピンオフ開催します!

結婚を祈るクリスチャンのための「セミナー&交流会」
in 富山 Grace Cafe OASIS

日時:9/2(土)
14:00~17:00(Open13:30)
参加費:500円(ドリンク・デザート付)
場所:Grace Cafe OASIS
 富山県射水市海老江630-2
射水海老江コミュニティーセンターすぐ横

詳細、お申し込みは↓↓↓
https://chubu-christian-marriage.jimdo.com/ccm-toyama/





2017年8月8日火曜日

地道にコツコツ

地道にコツコツ、、、

久しぶりに
この果てしない作業をしています。

北陸3県プラス高山のプロテスタントの教会150箇所へ
9/2の北陸CCMの会のお知らせを送ります。

チラシのデザイン、印刷発注から
添付するお手紙の作成、
ラベリング、折って封入…

内職だったら、一部一円にもならない
しかし、めちゃめちゃめんどくさい作業を
コツコツコツコツ自分の手でやる。

時間がかかるので、

やりながら

これ、意味あるのか?

という思いと

用いられますように!

という思いが

交互に心をめぐります。

なぜ、この、費用対効果の悪そうな
アナログな作業をするか、
インターネットの時代にお手紙を送るか
(切手代もかかるのに)

それは、いまだ多くの教会が、
比較的アナログなところが多いから

そして

温かみをもってお伝えしたいから

そして

例え、会への参加者につながらなくても、

この手紙を通して「クリスチャン結婚」について考えたり祈ったりしはじめるきっかけとなり、少しでも動いてくれたらいい…な…

そんな願いをこめています。



なぜ、教会に働きかけるかといえば

やはり教会はクリスチャンの拠点となるべく神によって建て上げられたものだと思っているからです。


これまで、何度も「教会」というものに失望してきました。

中3の頃には、母教会で分裂がおき、私達一家は姉妹教会へ転会しました。その後、もといた教会の牧師は後任も残さず教会を去ったそうです。東京で信仰を取り戻すきっかけとなった教会は、3年の間にカルト化し、奉仕に明け暮れるも何か違和感を感じ、実家に帰ろうと相談した牧師には「君はエゴイスティックだ、独善的だ。今ここを離れたら君に祝福はない。」と激怒されました。

故郷に戻り、再び家族と共に行くようになった教会では、積極的に教会に仕えるほど嫉妬をされたり、私個人のミニストリーを教会の成果のように無断で週報にあげられたり、ついに突然話し合いの余地もなく牧師夫妻は教会を離れていきました。

周りで、鬱になったり、尊敬できない献身者の姿、リーダーたちのダークサイドをたくさん見ます。


「教会」という組織に失望することが、あまりに多かったです…。


それでも、


私は、どこかで


教会の底力を信じたい…


そう思っているのです。


主によって置かれた教会を

主によって召された献身者たちを

主が動かし、用いてくださることを


すごくすごく願い、期待したいのです。



もう一つは、

婚活サポーターとして、

一生懸命祈り行動し頑張ろうとしている婚活中の方々に


ガンバレ!


と言う私が頑張ってなかったら

なんの説得力もない…

と思うから。


私も、できることを

必死に祈り、知恵をしぼり、犠牲をはらい、がんばります。

そうあるべきだと思うのです。



兎にも角にも

150通、完成し、先程投函してきました。


あとは、神様。よろしく!!!!


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2017年8月7日月曜日

神様のロジック

「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。
それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、
また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。
(ピリピ人への手紙 2:14-16a)」


この箇所を読んで、とても考えさせられたことがあったので、
シェアしたいと思います。


すべてのことを、つぶやかず
すべてのことを、疑わず
行なうって

結構難しい・・・ですよね。


大人になればなるほど・・・難しいです。


いろんなことを、つぶやく口がとめられない
つぶやく手がとめられない
つぶやきが口に出ずとも顔に出てしまう

いろんなことを、疑ってしまう
信じられない、騙されること傷つけられることが怖い



それら一切をやめて

すべてを行なうって

そんなこと、できるのかな?・・・て


つい疑ってしまう。(ほら、もう疑ってる・笑)




でも、

まず、やりなさい、とパウロは語る。


やりなさい


やっていく中で「純真な者」とされていく
やっていく中で「曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子ども」とされていく
やっていく中で「いのちのことばをしっかり握る」ようになり
やっていく中で「世の光として輝く」ようになる

から

ということなのかな、思ったんです。


もちろん、

考えただけで、とてもできない!と思うことをやっていくので

どうしたってそこには「祈り」がともないます。


「神様、できるように助けてください!
やっていく力と知恵を与えてください!
変えてください!・・・」



純真な者となったら、傷のない神の子どもとなったら、
いのちのことばを握れるようになったら、世の光となったら・・
↓↓↓
つぶやかず、疑わず行なうようになる

・・・

のではなくって


逆・・・だ。



できないところから、

まず、やりはじめる。


やると、変えられていくから・・・。




ときどき
聖書を通して示される神さまのロジックには
本当にハッとさせられます。

私たちが常識だと思っていたことの逆を、当たり前のように語っていたりします。


しかし、びっくりするような神さまのロジックこそが、
きっと真実なのだと、私は信じます。



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2017年8月4日金曜日

結婚しても(ほぼ)確実に礼拝を守り続けられる方法

思いがけず、
人生の先輩方と「クリスチャン婚活」の話になりました。

きっかけは自分の結婚のなれそめでした。

「結婚のなれそめは?」
「あ、私はお見合いです」
「お見合いーーーーーーー!?」

まさか、今もそんなシステムがあるとは!
そんなシステムの中で結婚して幸せになる人がいるとは!

と、驚きやらなんやらで、その場は大いに盛り上がりました(笑)

そして、
あちこちから「結婚適齢期の人がいるんだけどね」
という話が・・・。

さらに、話は、
「クリスチャン同士の結婚が、やっぱりいいよね」
という声になっていきました。


クリスチャン同士で結婚した先輩ご夫婦もいれば
結婚後、夫婦揃ってクリスチャンになった先輩ご夫婦もいれば
パートナーがノンクリスチャンで他界されてしまったという方もいて

けれど、結論としては
なんだかんだで、やっぱり
「夫婦一緒に、クリスチャンがいいよね」
ということでした。


結婚してもクリスチャンであり続けたい
人生の試練はやはり聖書のみことばと、祈りと、まことの神さまとのつながりでしか乗り越えられない

そんな実感があるからこそ、だと思います。


ある牧師夫人の方が
「彼が、牧師になるって言った時に、やったー!って思ったんだよね」
とおっしゃいました。

「だって、そしたら確実に結婚後も礼拝を守れるじゃん!」


そういうことーーー?!


教会生活がない生活なんて、絶対にありえない!と思ってきた彼女にとっては
ものすごいメリットに感じたそうです。


たしかに・・・
たしかに、そうだ。

一信徒ならば、何かの事情で教会を離れてしまうこともあるかもしれない。
でも、牧師ならば、自分が教会を建て上げる先頭に立つし、毎週メッセージも作り、牧会もするし、教会から離れるという可能性は極めて低い。
ということは、逆に言えば、教会生活はかなり守れる。嫌でもなんでも守られる(笑)

これは、考え方によっては
結婚しても、確実に礼拝を守り続けられる方法と言えるかもしれない。

そして、実際にそう考えて、結婚した人もいる、ということなのですよね。



「牧師、献身者とは、ちょっと・・・」という女性の声が少なくない中で
ちょっとした衝撃でした。

なるほど、そういう視点もあるのだ。


妙に納得してしまいました。



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2017年8月2日水曜日

教派・教団・主義の壁

ここ数日、
いや
ここ数ヶ月
モヤモヤとしていることがいくつかあり、
それが一体なんなのか、少しずつ因数分解しています。


それで、見えたことの1つが

「教派、教団というボーダーをつくること、
カテゴライズすることで
何のメリットがあるんだ?」

ということでした。



クリスチャンホームで育って、ほとんど同じ教会で育ち
婚活を本格的にするまで、「教団、教派」というものを
意識することはありませんでした。

婚活で初めて、
いろんな教派といわれるものがあり、いろんな教団といわれるものがあり
それらの間に、思った以上の壁があるんだということを
知りました。

ANNIというクリスチャンシンガーとして
賛美コンサートでさまざまな教会に呼んでいただき、訪れます。
まったくもって、超教派で活動しているので
本当にいろんなスタイルの教会、礼拝に触れます。

リベラルなスタイルもあれば、福音派もあり、
オーソドックスで型を重んじるスタイルもあれば、異言の飛び交う聖霊派の礼拝も
どれも経験することができました。


それであってもなお、思うのです。

「教派、教団というボーダーをつくること、
カテゴライズすることで
何のメリットがあるんだ?」


なぜなら、同じ神を信じている、同じイエスキリストを信じている、同じ御霊がそこにある
それらが「同じ」ならば、スタイルの違いを超えて、交わることができているからです。

それぞれのスタイルには、その歴史があり、背景があり、良さもある。

知らないスタイルに対して、表面だけや噂だけを聞いて、
合うとか合わないとか、いいとか悪いとか、偏見の目でみてはいけないんだ
ということを、
さまざまな教会へ訪れ、いろんなクリスチャンの方に触れることで、教えられました。

〇〇派だとか
△△教団だとか
□□主義だとか

よく知る前に、カテゴライズしてしまうことで
大きく誤解をしてしまうことは、多々あるんじゃないかと思います。

そして、教派、教団、主義に属しているということと
その人のパーソナリティーとは
心配するほど密接に関係はしていない、

というのが、私の感想です。


現に、CCMをやってきて
礼拝のスタイルがまったく違う2人が結婚することがほとんどなのです。

私たち夫婦も、
いわば「福音派」と「聖霊派」カップルです。

聖書や聖書の教えに対する知識は、
教団教派の影響よりも、
個人の礼拝に対する熱心度、聖書に対する興味の度合いによります。



だから、

あの人は〇〇派だから
あの人は△△教団だから

ということで、人や自分をカテゴライズしてしまうことは
必要以上に壁をつくり、自分を小部屋におしこめてしまうことになるんではないか?

と思うのです。

それは、婚活においては、チャンスを狭めてしまうもったいない状況です。


聖書の中でも
パリサイ派だのサドカイ派だの、ユダヤ人だの異邦人だの(※イエス昇天後)
壁をつくり、互いに偏見を持ち、どっちが正しいだのと議論をしてる様子を
見ることができますが、
いいことなんて、ひとつもない。
それで、どれだけパウロが頭と心を悩まし、どれだけの手紙を書いたことか・・・

もちろん、それぞれのスタイルに欠点もあると思います。
どの教派・教団・主義が完璧ということも、神の前にはないとも思います。

でも、その違いや難点を冷静に見極めるには、
無知のまま偏見を持って見るということを
まずやめなければならない、と思います。

聖書には、どの教派、教団、主義ならば、天に入れられるとは書いていない。
同時に
「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。」
ともあります。


天において再会することを考えた時、
地上においてクリスチャン同士が互いに壁をつくることに
なんの意味があるんだ?
そんなこと、神様がどう評価するというのだ?

と思ってしまいます。

さまざまな礼拝スタイルがあり、その中で自分が一番合う礼拝スタイルで
主を礼拝すればいいとおもいます。

でも、自分がいいと思うものが普遍的にベストで、
自分がいいと思えないものが悪いもの
としてしまうのは
非常に残念に思います。


そして、
教会堂という建物も、教派教団という組織も
すべて人がつくったものです。
いつ壊れても、失ってもおかしくないのです。

無牧になって教会がなくなることもある。
教団が分裂してしまうこともある。
災害で建物がなくなってしまうこともある。
急な引越しで教会を離れねばならなくなることもある。


そういう不確定なものにすがるよりも
神様が直接与えてくださる福音をシンプルに拠り所とすることが
大事なのかもしれない



こんな時代だからこそ

そう思うのです。




2017年8月1日火曜日

ひとりの時間

わたしは、ひとりで神様と対話をする時間を
とても大切にしています。


もともと、人の意見、声にとても左右されやすいタイプで
あれを信じてみたり、これを信じてみたりと
よさそうなものがあればすぐに飛びついてしまうし
人に言われたことを真に受けてしまい
その言葉に縛られてしまう・・・という傾向がある
そんな人間です。

その果てに

自分がよくわからなくなったと悩み
自分の心の声がきこえなくなってただただ苦しい
人にいつも裏切られたような形になりとても傷つく
何度も何度も そういうことを繰り返しました。

神様から離れて夢を追っていた時もそうだったし

夢が砕け散って
聖書に立ち戻ろうと、ふたたび教会へいくようになり
クリスチャンとして生き直してからも
そうでした。

信仰は取り戻したけれど、教会の人間関係にとても翻弄されました。
(よくあること・・・よくあることよ)

神への信頼は揺るがなかったけれど、
教会の誰も信じられず、誰にも相談できない、という状況に陥りました。
(心を開いて相談したら、逆にめっちゃ怒られる、冷たくされるという経験を複数回する)
さらに、その時期は、ちょうど311の大地震があった頃でもあり、
本当に、「孤独」という感じを味わっていました。

ぼろアパートのベッドの上、枕を思い切り濡らしながら
「もう誰も信じられない!
頼れるのも、心を開けるのも、心から相談できるのも
神様しかいないんだ!」
ということを痛感し、

そこから、だれよりも神様と会話する、ということを
本気でするようになりました。
それはいわゆる「祈り」かもしれません。

でも、私の場合は、「祈り」というより「会話」でした。
言いたいことは包み隠さず言う。いいかっこしいはしない。
まるで、小さな子どもが親に話すように。

ときに、紙にめいっぱい書いて手紙のようになったり
ときに、ひとりごとのようにバーっとしゃべっていたり
ときに、言葉にならないなにかを言葉にならないまま訴え続けたり


あらかじめ言っておきますが、
私はいわゆる聖霊派ではないし、異言の賜物もありません。
大した奇跡を見たことも、体験したこともありません。
聖書でも、メッセージでも理論的に理解し納得したい。
どちらかといえば、極めて現実主義なクリスチャンだと思います。

けれど、
嘘のような本当の話・・・
神様は、私のその吐き出すような、あまりにもフランクな、あけすけな会話を
ちゃんと聞いて受け止めてくださる、と信じられるのです。

そして、神様は必ず平安へと導いてくださるのです。

こういう神様との会話・祈りは、
あまりにも赤裸々なので、他人とはシェアできません。

ひとりの時間にしかできないです。


けれど、
ひとりの時間の、ひとりの神様との会話・祈りは

人に相談したり、何かにすがったり、
忙しさやイベントやなんかの興奮で紛らわしたり
だれか偉い人に祈ってもらったり
するよりも

ずっと明確な答えと平安にたどりつきます。
(明確な答えについては、時と聖書のみことばがもたらしてくれます)




自分の心の奥底にあるものと向き合うことは
ちょっとキツいかもしれません。
見たくないものを見つめることになるかもしれません。

でも、誰に晒すわけでもないのだし
神様にはすでにバレているのだし
あとは、自分が向き合って、正直になるだけ・・・。




そんなわけで、私は

モヤモヤするときほど

ひとりの時間を絶対にもつようにしています。

結婚しても、なおです。


人はひとりで生まれて、ひとりで還る。
ひとりで神の前に立たなければならない。

出エジプト記のモーセの「神の臨在の天幕」
のような場所を
生活の中にもつことも、大事かなと思います。