top

2017年8月2日水曜日

教派・教団・主義の壁

ここ数日、
いや
ここ数ヶ月
モヤモヤとしていることがいくつかあり、
それが一体なんなのか、少しずつ因数分解しています。


それで、見えたことの1つが

「教派、教団というボーダーをつくること、
カテゴライズすることで
何のメリットがあるんだ?」

ということでした。



クリスチャンホームで育って、ほとんど同じ教会で育ち
婚活を本格的にするまで、「教団、教派」というものを
意識することはありませんでした。

婚活で初めて、
いろんな教派といわれるものがあり、いろんな教団といわれるものがあり
それらの間に、思った以上の壁があるんだということを
知りました。

ANNIというクリスチャンシンガーとして
賛美コンサートでさまざまな教会に呼んでいただき、訪れます。
まったくもって、超教派で活動しているので
本当にいろんなスタイルの教会、礼拝に触れます。

リベラルなスタイルもあれば、福音派もあり、
オーソドックスで型を重んじるスタイルもあれば、異言の飛び交う聖霊派の礼拝も
どれも経験することができました。


それであってもなお、思うのです。

「教派、教団というボーダーをつくること、
カテゴライズすることで
何のメリットがあるんだ?」


なぜなら、同じ神を信じている、同じイエスキリストを信じている、同じ御霊がそこにある
それらが「同じ」ならば、スタイルの違いを超えて、交わることができているからです。

それぞれのスタイルには、その歴史があり、背景があり、良さもある。

知らないスタイルに対して、表面だけや噂だけを聞いて、
合うとか合わないとか、いいとか悪いとか、偏見の目でみてはいけないんだ
ということを、
さまざまな教会へ訪れ、いろんなクリスチャンの方に触れることで、教えられました。

〇〇派だとか
△△教団だとか
□□主義だとか

よく知る前に、カテゴライズしてしまうことで
大きく誤解をしてしまうことは、多々あるんじゃないかと思います。

そして、教派、教団、主義に属しているということと
その人のパーソナリティーとは
心配するほど密接に関係はしていない、

というのが、私の感想です。


現に、CCMをやってきて
礼拝のスタイルがまったく違う2人が結婚することがほとんどなのです。

私たち夫婦も、
いわば「福音派」と「聖霊派」カップルです。

聖書や聖書の教えに対する知識は、
教団教派の影響よりも、
個人の礼拝に対する熱心度、聖書に対する興味の度合いによります。



だから、

あの人は〇〇派だから
あの人は△△教団だから

ということで、人や自分をカテゴライズしてしまうことは
必要以上に壁をつくり、自分を小部屋におしこめてしまうことになるんではないか?

と思うのです。

それは、婚活においては、チャンスを狭めてしまうもったいない状況です。


聖書の中でも
パリサイ派だのサドカイ派だの、ユダヤ人だの異邦人だの(※イエス昇天後)
壁をつくり、互いに偏見を持ち、どっちが正しいだのと議論をしてる様子を
見ることができますが、
いいことなんて、ひとつもない。
それで、どれだけパウロが頭と心を悩まし、どれだけの手紙を書いたことか・・・

もちろん、それぞれのスタイルに欠点もあると思います。
どの教派・教団・主義が完璧ということも、神の前にはないとも思います。

でも、その違いや難点を冷静に見極めるには、
無知のまま偏見を持って見るということを
まずやめなければならない、と思います。

聖書には、どの教派、教団、主義ならば、天に入れられるとは書いていない。
同時に
「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。」
ともあります。


天において再会することを考えた時、
地上においてクリスチャン同士が互いに壁をつくることに
なんの意味があるんだ?
そんなこと、神様がどう評価するというのだ?

と思ってしまいます。

さまざまな礼拝スタイルがあり、その中で自分が一番合う礼拝スタイルで
主を礼拝すればいいとおもいます。

でも、自分がいいと思うものが普遍的にベストで、
自分がいいと思えないものが悪いもの
としてしまうのは
非常に残念に思います。


そして、
教会堂という建物も、教派教団という組織も
すべて人がつくったものです。
いつ壊れても、失ってもおかしくないのです。

無牧になって教会がなくなることもある。
教団が分裂してしまうこともある。
災害で建物がなくなってしまうこともある。
急な引越しで教会を離れねばならなくなることもある。


そういう不確定なものにすがるよりも
神様が直接与えてくださる福音をシンプルに拠り所とすることが
大事なのかもしれない



こんな時代だからこそ

そう思うのです。




0 件のコメント:

コメントを投稿