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2019年5月27日月曜日

崇高な目的がなければ結婚できないのか?

何のために結婚するのか?

クリスチャンとして結婚するからには、
その目的はなんであるべきなのか?

神を証しするため
神に共に仕えるため
夫婦を通して伝道するため
夫婦でこういう奉仕をしていきたい
結婚したら家庭集会をひらきたい
召された奉仕があるからそれを結婚後もするため
結婚して一緒に検診するため

……

素晴らしい、結婚の目的。

夫婦で神に仕えること
夫婦で神の栄光を表すこと

確かにそう。

これは間違ってない。


だけど

そんな崇高な目標を持ち続けて、婚活したっけな?(笑)
そんな人、私の婚活仲間にいたっけな?

とふと思うのです。

何人ものクリスチャンの婚活相談にのる中で
「私にはたいした賜物もないし…できる奉仕(能力)もないし…」
という声を何度も聞きました。

みんな
ささやかで、小さなクリスチャン

何ができるわけじゃない
何ができてきたわけじゃない
教会でだって本当になんということもない小さな奉仕をしている
人によっては仕事が忙しくてほとんど奉仕はできない

でも

クリスチャンと結婚して
ささやかに
二人で祈るとか
一緒に教会いって礼拝するとか
一緒に聖書をちょっと読むとか
一緒に、この賛美いいねって聴くとか

そんなささやかなクリスチャンの結婚生活を送りたい。

そんな理由で
結婚を願ってはいけないのだろうか?



微妙な違いなのだけど

信仰を結婚の理由として利用するのは違う

と思うのです。


奉仕を続けたいから
教会生活を守りたいから
神様に仕えたいから
結婚したい


いやいやいや

結婚してもしなくても

奉仕を捧げる
教会生活を守る
神に仕える

それは、何があっても変わらないライフワークなはず

結婚しなきゃ
奉仕できない、教会生活ができない、神に仕えられない
わけじゃないですよね?

いつのまにかそれがすり替わって
願った結婚生活が叶わなくて
こんなに正しいこと願って祈っているのに
どうして叶わないの?!神は祝福してくれないの?!
って、絶望する
そんな必要はないのです。

私たちの正しさが神を動かすわけじゃない。
私たちの願いで神が動くわけじゃない。

神様が主体。主導権は神様にある。
結婚もそうだと思うんです。


今、結婚に導かれた婚活経験者の証を集めています。

何組ものクリスチャンの結婚式、そしてその後の結婚生活を見てきました。

信仰を持つこともそうだけど
結婚も
結婚生活も

私たちがどうする

というものではないな、とつくづく思います。

もちろん神に喜ばれることを願い求めて祈るんです。大事なことです。

でも、建てあげ、成し遂げるのは
神だな
と思わされます。

本人たちは
願い求めた祈りも忘れるほどに
必死で目の前のことに向き合い取り組みます。

神様は
その一人ひとりを取り扱って
試練を与え、成長させ
適した人とめぐり合わせ
適した「仕え方」へと導いていき
自然と証しする者としていきます

どんな人と
どんなことを通して
神の栄光をあらわすか
神に仕えていくか

それって
人間の側が決めることじゃなくて
神様の方で決めること

ささやかなクリスチャンの結婚生活の中で
自然と神の栄光があらわれるようになるんです。

あらわれるようにする
じゃなくて
あらわれるようになる

ということだと思うんです。

人が神に対してできることなんてない
これほどおこがましいことはない
でも、もしあるとすれば
神様に扱われること
器となること
神様に利用してもらうこと
神の栄光や愛を流す管としてもらうこと

だから

結婚の目的は
ささやかでもいいと思うんです

神様を第一に心に据えていれば。

方法や具体的なことは
神様にお任せして、楽しみにして。


証を寄せてくれたカップルたちは
みんな、ささやかに信仰生活を送るクリスチャン夫婦です。
大きな奉仕や活躍をしている人はいません。
でも、彼らの証ほど
「神様は素晴らしい」
と思わせるものはない…と感じます。
ものすごい説得力です。

どんな感動的な賛美コンサートより、心を震わせます。 


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