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2017年2月3日金曜日

願いが叶わないときは…

前回「願いが叶うときは・・・」ということを書きました。

じゃあ、願いが叶わないときはなんなんだろう、とあのあと思い巡らしました。

私の願いが間違っているから?
私が罪人だから?間違っているから?愚かだから?

ご利益信仰、成果に対する報酬、バチ当たる・・・
そういう考え方の中に育つと、
うまくいかないのは自分が悪いからだ、間違っているからだ
と、なんとなく自動的に思ってしまう。

でも、聖書に基づいて
願いが叶わないときに、3つのことを思うようにしている。

1つは、その願いの方向がちょっとずれているから。

聖書を学んでいってわかるのは、
私たちが罪人でも、間違いを起こしても
根本的に神は私たちを愛するということ。
そして、その愛は、私たちが何をしてもどうあっても変わらない。
だから、間違ってても罪があっても、愛を失うわけじゃない。

でも、罪は罪、間違いは間違い、的外れは的外れ
そして神さまは義。絶対的な義。
だから、間違ってても、まあいいわ、いいよいいよ、とはできないお方。
だから、正しい道へと導くために、裁きや試練を与える。

願いが叶わないのは「そっちじゃないよ」という合図かもしれない、と思ってみる。

二つ目は、今は時じゃない。

聖書の中でトキという言葉が出てくるが、ギリシャ語では2種類あり、使い分けられているのだそうだ。
クロノス:いわゆる時間、何時何分という時間の概念。
カイロス:神様が御心の中で刻む時、タイミング

私たちはクロノスを意識しながら生きている。だから、何歳までにこうなるといいとか、いついつまでにこうしなきゃ、とか考えたりもする。
けれど、すべてを支配しているのは実はカイロス(神の時)
あぁ、神様の時計がほしい・・・(笑)カイロス時計がほしい・・・。

三つ目は、私が神を知るため。

願いが叶わない時、パウロを思い出す。
「そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。
しかし、主は『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。」(Ⅱコリント12:8−9)

願いが叶わない時、ヨブを思い出す。
ヨブは正しい人であったのに、ありえないほど辛い状況に置かれる。子供、財産、健康を失い、友達には責め立てられる。なんでこんなことが起こるんだ?!
「主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。・・・わたしはあなたに尋ねる。私に示せ。私はどこにいたのか。・・・あなたは知っているのか。」(ヨブ38:1-5)
「ヨブは主に答えて言った。あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。・・・私はあなたのうわさを耳で聞いて今いた。しかし、今、この目であなたを見ました。」(ヨブ42:1-5)

願いが叶わない時の神様からの語りかけは
「わたしはここにいる。
わたしがどういうものなのか、
わたしとあなたの関係をもう一度思い出してごらん」
みたいな感じなんじゃないかと、思うようにしている。

(余談だけど、パウロやヨブをすぐ思い出すのは、私自身にも持病があるからだと思う。
完治はしないと言われている病だ。聖書にたくさんの登場人物がいてくれるおかげで、あぁ私もそうだ、と思えるのは本当に感謝である。)


願いが叶っても、叶わなくても
「わたしはここにいる」という神様のメッセージは変わらない。
「神はともにいる」という事実も変わらない。

それを勇気と励ましの土台として、
1日1日を過ごしていけたらいいな、と思う。
願いが叶っても、叶わなくても・・・・






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