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2017年2月5日日曜日

母(親)との関係(1)

母との関係が、婚活でひっかかり、あるいは壁になることがある

「母がその人をいいとしてくれるか心配」
「母が悲しむ顔をみたくない」
「母の意見が気になって・・・」

それに対し

親からの自立が大切だ、
母親を意識しすぎるのは自立していないのではないか?
聖書に「父と母を離れて二人は一つとなる」と書いてあるじゃないか!

そう言われることがある。

私もそう言われたし、そう思っていたし、そう言っていた。


私自身の話をすると
私と母の関係は、基本的には良好、でもちょっといろいろあった。
私の母は素晴らしいクリスチャンで、そして感情的でもあり、知的でもある。
長女の私が生まれた時、聖書に基づき、そして父(夫)の助言に従って、正しく正しく育てようとしてくれた。けれど、それがちょっと息苦しかったようだ。
我が家ではよく家族会議が開かれる。ある小5の会議の時、母は思い余って
「私はこの子を自分の子のように思えなかった!だからA子(妹)は私の好きに育てた」と言い放った。
私としてはその言葉はショックで、実は20代まで密かに引きづり、20代で大爆発した。
「私はお母さんに本当には愛されてないのか。妹の方が愛されているのか。ひどい!」
ちょっと、遅めの思春期だった。
結婚するまで、ちょっとわだかまりが続いた。今は、母をゆるし、きっと本当に愛されていた、愛されているのだと信じている。
とはいえ、ときどき、この傷はズキズキっとうずくのだ。

それでも、湧き出てくる感情としては
「やっぱりお母さんを好きでいたい。お母さんと仲良くいたい。
なんでもお母さんには話したい。」
というものだ。

今、離れて暮らしている。
ふとしたとき、誰にも言えないことを、電話でもメールでも、
なぜか母に話したくなる。

あぁ、どんなに傷があったとしても、母親を愛したいって気持ちはあるもんなのかな、と
しみじみ感じた時、
婚活しながら母親のことを意識するって、そんな悪いことなのかな、
と思ったのだ。

とはいえ、母親も人間。まるで悪魔の囁きのようなことをすることもある。
それは、人間だから、しかたない。たとえクリスチャン母であっても、人間、罪びと…。

母親に支配されず、でも、母親を愛し続けながら、
婚活することはできないだろうか・・・。


こういうときに、大事になってくるのは、やはり
「神様の視点」なのだと思う。

神様は、親子について、どう考えていらっしゃるのか・・・。


レビ記24:10-23
出エジプトして荒野を行く道中、律法を与えられているのだけれど、イスラエルの母とエジプト人の父をもつ子が神の御名を冒涜する事件が発生。これはその当時特例だったのでどうすればいいか神様に伺う。神はこの息子を裁き、石打で殺せと命じた、という話だ。

選びの民イスラエル人の子だからといって無条件に祝福するわけでも、異邦人の子だから無条件に裁くのでもない。異邦人の子だから律法が適用されないとか、イスラエル人の子だから適用されるとかいうことでもなく、その子自身と神様との問題なのだ。
神様は一人一人を1単位として見ているようだ。
少なくとも、子を親に属するものとは見ていない。
その一人一人が神との関係がどうであるか、とみられる。
ということだと思う。

マタイ19:4-
「イエスは答えて言われた。『創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結びあわせたものを引き離してはなりません。』」
神は、夫婦はふたりだけど一人としてみる。
でも、親子については、そういう見方はしない。ふたり(あるいは3人)で一つとは見ない。ということだと思う。

それでも、
親が気にかかる、親をないがしろにはしたくない、という気持ちが強くなるのは・・・
そして、それはどう整理すればいいのか・・・


(次回につづく)


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