意識しておくべき4つのポイントを
みことばと共に、考えてみました。
1、マイナス思考、なにかや誰かの批判、問題提起という話題はナシ!
理由:聞いている人は、ほぼ初対面。そういう話は聞いていて、悲しい気持ちになる。
より話を聞きたいとも、相談に乗りたいとも思わないから。
とはいえ、ほとんどのそういう内容は、無意識に、つい口をついて出てしまうものです。
「愚か者でも、黙っていれば、知恵のあるものと思われ、その唇を閉じていれば、悟りのあるものと思われる(震源17:28)」
しかし、黙っていては、お見合いにならない・・・・
では、どうしたらいいでしょうか・・・?
それは
普段のマインドセットを変えていく・・・ことだと思います。
普段の自分の思考パターンを意識的に変えていくのです。
何かに不満を感じた時、それを「問題だ、問題だ!」と思うのではなく
たとえば、神に預ける、たとえば、とりなしの祈りをして、ゆるす…。
「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。
同じことを繰り返して言う者は、親しい友を離れさせる。(箴言17:9)」
「親切な言葉は蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。(箴言16:24)」
「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす(箴言15:1)」
日々を、マイナス思考や、非難、批判、問題視で、
埋めつくさないようにしてほしいと思います。
自分も人も嫌な気持ちになるし、日々が灰色になっていきます。
生きにくい今の世の中だからこそ、
そうであってはいけないように、私は思います。
「悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である(箴言15:15)」
「心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ(箴言15:13)」
毎日楽しく喜びをもって生きているんだろうな、という感じは滲み出て
人に伝わります。(その逆も、またしかりです。)
一緒にいたら、一緒に暮らしたら楽しそうだな・・・
そんな人に、人はきっと惹かれるのではないでしょうか。
<普段の生活から、自分の思考パターンを意識的にプラスにしていく>
2、会話は焦らず、相手の目を見て
最近、大分福岡で大変な災害がありました。そのなかで、村で唯一のお医者さんだと言う方が、避難者のケアに立ち回っていました。そのお医者さんが言っていたことです。
「こういう時こそ、絶対に患者さんの目を見て話すんです。そうすると、ちょっと相手も落ち着くので。」
相手が同じように見返していなくても、視線というのは感じるものです。
「ちゃんと見てくれている」ということは、相手に安心感を与えます。
その上で、落ち着いて聞き、落ち着いて話す。
「良く聞かないうちに返事をする者は、愚か者であって侮辱を受ける。(箴言18:13)」
「熱心だけで知識のないのは良くない。急ぎ足の者はつまづく。(箴言19:2)」
焦ってしまうと、誤解を生む可能性もあります。
タイトな時間の中でも、落ち着いて、相手に良く聞き、目を見て対峙する
のがいいのではないかな、と思います。
<緊張しても、焦らずに、相手の目を見て、聞く、話す>
3、心を閉ざさない
初対面というのは、緊張するものです。
ましてや、お互いを知るとか伝えるという場・・・
「どんな風に見られるか。どんな風に思われるか。」
怖いですよね。
けれど、
だから自分を閉ざす・・・
というのは、得策ではないようです。
「おのれを閉ざす者は、自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする(箴言18:1)」
相手に対して自分を閉ざしてしまうと、
「どうせこう思われてるんだ、どうせああなっちゃうんだ、
この人はきっとこういう人だ、こう思っているに違いない・・・」
と自分の中で"決めつけ"や”思い込み”が進んでしまいます。
思い込みや決めつけというものは、
「自分がそう思いたいから、そう思った方が楽だからするもの」です。
それは事実や現実とは、ちがう・・・かもしれませんよね?
相手がどう感じるかは、さまざまです。
そして、それをコントロールすることはできません。
<自分にできることは、心を閉ざさず、相手に向き合うこと>
ただし、心にあるものをただただ垂れ流しにするのは、
大人としての自己開示ではありません。
それは、共にいる人にとって親切ではない、と私は思います。
そこは、「ポイント1」を必ず意識するといいと思います。
4、相手を1秒でも笑顔に…を目指す
「つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい(ペテロ4:9)」
「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。(ペテロ4:8)」
「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、
その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい(ペテロ4:10)」
お見合いは、面接ではありません。
あなたは面接官でも受験者でもありません。
そして、どちらにもなっては、いけないような気がします。
目の前にいるのは、同じ神を信じる友です。
兄弟姉妹です。天国に行ったら必ず顔を合わせる仲間です。
一緒にいる短い時間でも、良い時間が過ごせるように、
自分に何ができるかな・・・と意識してみてはいかがでしょうか。
こういうとき、よく来る質問があります。
『意識してみて、頑張った・・・それでもオファーやいい返事がもらえなかったら??』
私は、そのとき、このみことばを思い出すのです。
「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。
・・・彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。
そうすればあなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたはいと高き方の子どもになれます。
なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。
あなたがたの天の父が憐れみ深いように、あなたがたもあわれみ深くしなさい。
(ルカ6章)」
自分がしたことの報いは、した相手からくるのではなく、天からきます。
神様の評価、を大事にしてみませんか?
「願った結果は得られなかった。でも、あそこでの私の姿は神様は見ててくださったよね。私の頑張り、神様は笑顔で見てくださり、神様はよくやった!ってきっと言ってくださるよね?!」と
そう言えるように、その点において後悔のないように、
頑張る。
そして、
報いは時間差でくることもあるということ、
自分の基準では報いは測れないこと、
自分がこれまで神から受けた報いや恵みのことを忘れないこと
を、覚えていられたらいいのかな、と思います。
お見合いも、お見合いパーティーも
精神的、そして、体力的にも、かなりハードな二時間です。
その時間が、すこしでも豊かでよいものとなりますように・・・
心の備えが、日々できますように・・・と
私も、心から祈りつつ・・・。
0 件のコメント:
コメントを投稿