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2017年1月22日日曜日

あるある条件:過去に傷持つ人はどうしてだめなのか

ランチ会や今までの交わり会、個別相談を振り返って
ふと思ったことがあります。


「お相手の条件、過去に傷持つ(ようはバツイチとか)はNG」

追記:
「過去に傷持つ」というのは、ここでは、条件をあげる方の人間が相手に対して「傷」だと思うということです。
過去にちょっと人に言いにくいとか、人にはとても自慢できないっていうことは、誰しもある。それを本人がどう思うかということは、ちょっと横に置いて、
結婚相手の条件をあげる方にスポットをあてて話しています。
この前置きがなかったので、多くの人のお怒りをかったかもしれません。
すいません。
ちなみに、私は、婚活の時、離婚歴のある人でもOKでした。
今も、その人に離婚歴があっても、それが悪だとか傷だとは思いません。
でも、傷ついているな、傷がまだ癒えていないんだなと思える人もいるし、
人に対してそういう過去を傷だと認識する人も事実存在する。


よくある話。わかる。その条件をあげることは、別にいいと思うのです。



で、ね、

ふと思ったのです。


それって

もしかして


相手の傷を赦せない、ってこと?
相手の傷を受け入れられない、ってこと?


「バツイチ」
という言葉を聞いて、まず思うのはきっと
「この人どんな悪いことしたんだろう?どうやって元結婚相手を傷つけたんだろう」
ってこと・・・かもしれない。


けれど、CCMをやりながらわかるのは

バツイチという大きな傷は、その人自身がおっている。
その人自身が、そのやむにやまれぬお別れで、傷つけられてもいるの。
傷つけたかもしれないけど、傷つけられてもいるの。

それでも、クリスチャンを続けて、クリスチャンとして
今度は真実の愛の関係を築きたいと、願い、
リスクを覚悟で、ヒヤヒヤドキドキしながら、
婚活をしているの。
プロフィールをさらけ出し、なんとか向き合おうとし、祈りながら行動しているの。

私は、その勇気は、本当にすごいと思う。

一度結婚し、人の前で(あるいは神の前で)誓って、同じ時間を過ごして
それで別れなければいけなかったという
その痛みを、想像できるだろうか?
想像しようと、思ったことがあるだろうか?


その傷のこと、話だけでも聞いてみようと思わないだろうか。
同じクリスチャンとして、同じ人間として・・・。
会うことすら、してはいけないのだろうか?したくもないのだろうか。

だれだって、大なり小なり傷はある。
自分が誰かに、自分の傷を受け入れて欲しい、赦して欲しいと思うように、
その人だって、誰かに、その傷を赦して欲しい、受け入れて欲しいって思っているのだ。


なんか、

そういうこと、

少し考えてみたら、

結婚の条件とか、どんな結婚とか、どんな関係を結びたいかとか
ちょっと視点が変わってくるような気がする。

人の痛みに寄り添えるクリスチャンに、
私もなりたいし、若きクリスチャンがそうであって欲しいと思う。

少なくとも、人の痛みに壁を作るような、そんなクリスチャンはイヤだ。
だって、そんなの、イエス様の姿にならってないもの・・・

できるできないは、二の次にして、気持ちだけでも・・・。


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