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2017年1月24日火曜日

聖書は人間の結婚を勧めているのか?

今回は、ちょっと挑戦です。

神様は人に「結婚」を望んでいるのか、ということを聖書的に裏付けることに
トライしてみようと思います。

先日、久しぶりの友人Aさん(40代)に会ったんです。
とても大好きな素敵な、尊敬している方で、お会いできて本当にうれしかった。
近況報告をしあったりして、ご兄弟が結婚されたということだったので、
その流れで聞いてみました。
「Aさん、結婚は?」
「うーん、そやな、またそういう気分になったらかな」


「そういう気分になったら」って
”それって、いつなんだろう?どうしたらそういう気分になるんだろう?”

と頭をよぎりました。(言わなかったけれど)


人生の進む道や、神様から与えられた時間をどう生きるか
ということを、自分の「気分」「気持ち」で決める

一見、正しいことのように聞こえます。

でも、
人の気持ちという、あまりにあいまいで、あまりに不確定で変わりやすく、
「自分の気持ち」とか「気分」を指標にするっていうのは
どうなんだろうか、と私は思うわけです。
(聖書に描かれる歴史を見ると、この「気分」や「気持ち」によって人類はさんざん神に背き、多くの罪を犯してきたんですよね・・・。)


じゃぁ、何を土台に、何に裏付けて私たちは歩むべきなんだろう?

やはり
「聖書(神)のみことば」だと思うんです。
それは、普遍的で変わることのないものだから。

聖書(神)のみことばを土台にするということは、
聖書(神)が「行け!」といえば行くべきだし
聖書(神)が「行くな!」といえば行くべきでない、と理解することだと思います。

じゃあ、聖書は結婚についてどう捉えているのか、
神様は人間の結婚をすすめているのか?

ここが、あいまいではなく、確かに裏付けることができたら、
私たちは気分や気持ちによらず、神の言葉に立って、主にあって
進むことができると思いませんか?


今、私は、聖書全体と旧約聖書の時代を学んでいます。

今の時代になるまでに、いろんな時代を経てきたわけですが、
エデンの園にいた時代、
園を追い出された時代、
大洪水ののちノア一家からまたスタートした時代、
アブラハムからの時代、
・・・と進んでいきます。

どの時代にも共通して神様が人類に語りかける内容があります。

「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」「子孫をおびただしく増やす」
(創世記1:28、9:1、17:6、22:17、26:4、28:14)

これは命令でもあり、神様の「そうするよ!」という宣言でもあります。

神様は人がふえ広がることを望んでいます。
また、そのように導いてこられました。
(罪を犯したアダムとエバからも、エデンを追い出された後、子どもがうまれ人類が広がっていっています。)

残念ながら(?)人は、細胞分裂で増えるようにはできていません。
男女が結ばれ、家族を作っていくことで、縦に横に増えていくのです。
(縦にというのは子孫が継がれていくという意味、横にというのは数が増えるという意味)

しかも、神を信じる者がふえ広がることを、いつの時代も望んでいる。

家族を形成し、子供がうまれていくという物質的広がりと、
さらに、その家族の中で信仰を継承していく、ということを、
神様は明らかに望んでいるのではないでしょうか。
ここは結構徹底していて、増えひろがった悪に満ちた神を信じない人たちは滅ぼされ、ノアの一家が残された。(創世記6章)

ノア以降も、ちゃんと神への信仰をもつ子孫のつながりが祝福を受け、守られていきます。
その延長線上に、ダビデがいて、そのさらに延長線上にイエスキリストがある。

どの家系でもどの家庭でもどの人でもよかったわけじゃなく、
マリアとヨセフが、約束のイエスキリストの肉的親となったのは、
彼らが信仰を脈々と継承した家系だったからです。(だから、マタイの冒頭に家系が書いてある。ここをメシアニックジューの方が読むと、シビれるんだそうです。)

神様が、ご自身が創造された世界に対してのご計画を進めるうえで、
結婚して家族を作ることで増え広がり、家庭の中で信仰を継承していく、
ということに、かなりこだわってきたように私には思えます。

つまり、神様は人類に結婚を勧めている、と言えるのではないでしょうか。

ちなみに、
私が個人的に感動するのは、
約束の救い主(メシア)キリストが、「子孫」という形で登場してくれたことです。
神様は土から肉体を作ることができるお方です。
キリストの受肉だって、ポッと土から肉体を作りそこに入ることだってできたはずです。
急に大人の状態で、30歳くらいのところからスタートだってできたはずなんです。
でも、そうしなかった。
人間の子孫というかたちで、それも長い時間をかけて、その誕生を預言しながら、
キリストを生み出す家系が絶えないように、その時その時の家族や夫婦を守りながら、
マリアとヨセフもちゃんと結婚した上で、「誕生」という形で地上に臨んでくださった。
あぁ、それほどに、「結婚」「家族」「命と信仰を次へと継いでいくこと」を
神様は大事にしているんだ、と感動するのです。


さぁ、どうでしょうか?

もし、これを読んでいるあなたが、
クリスチャンで、神様の望まれるように生きたいと願っていて、
「結婚はしたくなったらする」「結婚したいかどうかよくわかんないし…」と思っているなら
少し心境は変わったでしょうか。

もし、これを読んでいるあなたが、結婚を望んでいるとしたら、
神様のイメージする結婚って素晴らしい、深い、と思うでしょうか?


聖書が結婚を勧める意味は、ほかにもあると思います。
私も、また学びつつ、それを発見していきたいと思います。
発見したら、またシェアしますね。





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