前回、婚活で、お相手の条件をあげるとき、
自分から見て相手になにかしらの傷と思えるものがあったら避ける、
それってどういうことだろね、というお話を書きました。
「傷」というのは、ここでいうのは、条件をあげる方の人間が相手に対して思う「傷」ということです。
過去にちょっと人に言いにくいとか、人にはとても自慢できないって言うことは、誰しもある。それを本人がどう思うかということは、ちょっと横に置いて、
結婚相手の条件をあげる方にスポットをあてて話していました。
この前置きがなかったので、多くの人のお怒りをかったかもしれません。
すいません。(追記しました。)
ちなみに、私は、婚活の時、離婚歴のある人でもOKでした。
今も、人に離婚歴があっても、それが悪だとか傷だとは思いません。
でも、傷ついているな、傷がまだ癒えていないんだなと思える人もいるし、
人に対してそういう過去を傷だと認識する人も事実存在する。
過去の経験を、人がどうとらえるか、というのはその人次第です。
私には、とても人に言えないような、そして自分でも振り返っては落ち込むような過去があります。聞いたら9割以上の人が、私を軽蔑するでしょうね、特にクリスチャンは。
私にとっては、それは明らかに「傷」です。嫌がられても、軽蔑されても仕方ない、クリスチャン女性としては私は「傷モノ」です。だから避けられても仕方ない、そういう覚悟をして、婚活をしました。
私の旦那さんは、それを「傷」とはいわず「轍」とか「過去の勲章」とか言ってくれました。ものすごい懐の深さ・・・!
なんて素敵な旦那様!・・・って思うでしょ?
でも、人の受け入れられる、受け入れられないっていうポイントは本当に人それぞれで、
彼は「年上女性は完全NG」という条件をあげていたんです。
人って、本当にわからない・・・。
婚活において、相手が上げている条件に対しては、私たちは何も言えません。
人が、自分に対してどう評価するか、どう認識するか、ということに対しては、
あらがえないものがあります。
たとえば、私はそこそこぽっちゃりしています。
家族からは「お姉ちゃん、デブ!」と言われます。
私としてはそんな!マーク付くほど太ってるかなぁと思うけど、これが人の評価です。
で、ついでに言われます。「太ってるから、子供できにくいんじゃない?」
おいおい、言いたい放題だな、と思うけど、これが人の目、人の口、人の頭です。
じゃあ、人の目に対してできることはなにか?
かなり、長い間悩んできました。もう、人生のテーマってくらいに。
で、行き着いたのは、
それは「覚悟」なんじゃないかと、私は思うわけです。
(あくまで私の意見です。いろんな考え方はあると思う。)
言われないようにするっていうのも、一つの方法だけど、
そんな器用じゃない。
方法論でなんとかなる人は、方法論を教えてくれるところへ行くといい。
けど、方法論ではどうにもならないこともある。
消せない過去もその一つ。
自分の体や命もその一つ。
私は、一度、流産しています。そこから子供がまだできません。
不妊治療も結構しました。でも、できません。だのに、妹たちは同じ頃結婚して、もう子供が二人ずつできています。しかも自然に。
姪っ子甥っ子ができるたびに、親の視線が気になります。
私たち夫婦は長男長女。「この子達、いつになったら子供ができるのかしら。こどもができにくい嫁だな。後継ぎはどうすんだ。」あるいは「かわいそうに」と思われてんじゃないか、いないところで言われてるんじゃないか、と実家に帰るたびに思います。
でも、どうにもならないわけです、努力では。努力したもの、でもできない。
で、なにができるって、「覚悟」です。
言われても、思われても受け止めて向き合うっていう「覚悟」です。
そして、できるなら「弁明する用意」。
なんで?とか、どういうことなの?って聞かれた時に、きちんと答えられるようにしておく。
そして、願わくば、経験が「証」に変えられるように、自分の中で整理しておくということ。
もしその経験が傷だとか恥だと自分で感じるならば、それは神様との祈りと聖書のみことばをとおして癒されること、そして、神を心から証する体験談となるように・・・。
私の考え方は、ちょっと厳しめかもしれない・・・。
でも、痛みに寄り添うことと、同情は違うと思っているのです。
私がこのミニストリーをやっている1番の目的は、
カップルがいっぱいできることではありません。
日本の若きクリスチャンが信仰を強くし、しっかり立てるようになる、ということです。
クリスチャンの一人一人が、現実や、不条理や、人の目、人の評価、冷たい逆風にも、信仰によって負けずに立ち向かう強さをもち、証を通して福音を伝えられるようになることを願っています。
私もそうなりたい。心からそうなりたい。
過去や痛みや弱さやいろんなものを抱えつつも、
ただ神の恵みによってとしかいいようがない導きによって結ばれ、
結ばれた二人がさらにどんどん強められていく姿を、
CCMで見せてもらっています。
本当に、希望を感じます。
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