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2017年2月6日月曜日

母(親)との関係(2)


つづき

親を大事にしたい、ないがしろにしたくない、という思いは
クリスチャンとして全く間違っていない。

モーセの律法をみると、両親を敬えというおきてが何度も、厳しく出てくる。
「自分の父または母を打つものは必ず殺されなければならない。」
「自分の父または母を呪うものは、必ず殺されなければならない。」
 ソロモンも語る。
「自分の父をあざけり、母への従順を蔑む目は谷のカラスにえぐり取られわしの子に食われる。(箴言30:17)」

たぶん、自立しなきゃと思うもののなんとなく後ろ髪引かれるのは、
これらのみことばが 心にあるからかもしれない。

でも、同じ律法にこういう箇所もある。
「あなたの息子のうち初子は、わたしにささげなければならない。」
ここを土台として、今は「こどもは(長男長女に限らず)神様にささげるつもりで育てましょう」とクリスチャンの子育てでは言われるのだと思う。

子の立場から見れば、つまりそれは、私たちは神様に捧げられた存在なのだ。
親の手からはなれ、神様のもの、なはずなのだ、と自覚してもいいのかもしれない。

けど、
親だって、間違う時がある。親だって人間である。
明らかに「(聖書的に見て)え、それ、おかしくない?」と思うことを言ったりしたりしてくることもある。

「彼ら(親の立場の人たち)がわたしの定めをないがしろにし、
わたしのおきてを踏み行わず、わたしの安息日をけがしたからだ。それほど彼らの心は偶像を慕っていた。・・・
 わたしは彼らの子ども達に荒野でいった『あなたがたの父たちのおきてに従って歩むな。かれらのならわしを守るな。彼らの偶像で身を汚すな。私があなたがたの神、主である。わたしのおきてに従って歩み、わたしのさだめを守りおこなえ。』(エゼキエル書20:16-18)」

そういうときは、親に従わなくていい・・・神様のおきてに従っていけばいい、とどうやら聖書もすすめているようだ。(なんと・・・・!)

「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです。』使徒5:29

あぁ、その通りです。忘れてはいけない…。



聖書の中の親子で思い浮かぶのは

サラとイサク
リベカとヤコブ・・・

だけど一番は、やはり
「マリアとイエス」の親子
ではないだろうか。

イエス様は、ご自身に与えられたつとめを完全に成すために人生のすべてを捧げた。
ときに、その姿に家族もびっくりすることもあった。
でも、イエス様が家族をないがしろにしていたわけではない。
命尽きる前に十字架の上から、母マリアのことをヨハネに託している。
もし、イエス様が母や家族のことを気にして、成すべきことをしてくださらなかったら、
私たちの救いはなかったし、神の栄光はあらわれなかった!!!

私たちは、自覚するしないにかかわらず、人生において神様から任されていることがある。大きなこと目立つことじゃなくていい…でも人生をかけてなすようにと託されていることがある、と私は信じている。
そして、それをすることで、神様の栄光をあらわせるように、できているんじゃないかと思う。
でもそのことと、神のおきてどおり親を愛することは、両立するのだ、ということを
イエス様は示してくれているように思う。

ただ、具体的に行動するタイミングというものはあって、優先順位もその時々に応じてかわる。だけどトータルで見た時に、それはきっとバランスが取れるものなのだと思う。
そして、ちゃんとバランスが取れるように、神様は導いてくださる。整え備えてくださる。

そう信じて、是非おそれずに、自分の人生を邁進して、
結婚というものに進んで行ってみてほしいな、と思う。
祈っています!

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