top

2017年9月30日土曜日

人には期待しない、でも信頼してる

あるときから
とても心が楽になりました。

かつては
すごく人を妬んだり、恨んだり
人に傷ついたり、うらめしかったり
人が怖かったり
したんです。

私が傷つきやすかったのか
傷つけられる経験が多かったのか・・・

その両方かもしれませんが、

人を信じては、その人に裏切られる
期待しては、期待が外れて傷つく
そういう経験はそれなりにしました。


演劇をやっていた時代
所属していた事務所の社長が交代し、分裂が起こった時
恩師や仲間に背を向ける形で新体制についた。
新社長はえらく目をかけてくれたのが、ある日突然シカトが始まった。
間に立っててくれたはずの先輩は、手のひらを返し、自分が社長に嫌われないために
盾となることをやめ、責任を私に被せる形になった。
大勢の前で糾弾されたり、いちゃもんをつけられたり・・・。
結局辞めざるを得ない・・・ことになった。

どんな形でも一緒にいようと約束した相手が
鬱になった。夜中の3時に呼び出されても駆け寄り添った。
けれど、鬱が辛いからもう会わないでくれと言われて
なんとか自分の心のけりをつけて泣く泣く離れた。
その人に雇われてもいたのだが、もう無理ということで、
別の会社に私の身は引き取られる形になった。
その1ヶ月後、何事もなかったように目の前に現れて
「元気?」と笑顔で言われた。
腹が立って、私がどんな気持ちだったかわかるか?!と聞いたら
「じゃあ言わせてもらうけど、俺だって君に傷つけられたんだ!!!」
とキレ返された。相手は15歳も年上だった。
いろいろショックで1年半生理がとまった。

背神の10年から、神に立ち返り、
そのきっかけとなり拠り所となった教会では
「なんでも相談して」と言ってくれた友人がいた。
しかし、ある時、ちょっとしたすれ違いが起こる。
私の「ごめん」と言った声が聞こえなかったらしく、
「あなたは、謝らないよね!」と怒られた。
ちゃんと言ったことを伝え、誤解なのに怒られるのは傷つくと言うと
「誤解だってお互いわかったんだから、もういいじゃん」と
こちらが傷ついたことに対しては、寄り添ってもらえなかった。

尊敬していた牧師に、教会でうまくいかないこと、実家に少し帰りたいと相談をしたら
「君はエゴイスティックで、独善的だ!今ここを離れたら君に祝福はない!!!」
と怒られた。
結局、その教会を離れることにした。

優しかった牧師夫人に、ある時からシカトされたり、嫌味をいわれたこともある。

・・・・・・

うーん、思い返せば、いろいろあるなぁ(苦笑)

だから、

「人には期待しない」

と、ある時から思うようになったのです。

仕方ない、人は裏切るし、裏切る形になってしまうことはあるのです。


でも、

今はそれで悪意をいだくことはありません。

「信じる」ことは失っていないんです。


それは

人には期待できないけれど、
起きる物事については神様が最善にしてくださると信頼している

から。

だから、
人によって裏切られたり、約束を守ってもらえなかったり
予定が変わったり、思っていたことと違うことになったりするけど

起きるすべてのことは神様の采配で
それは完璧で
目の前の結果は、それはそれで意味があり
それはそれで今のところ最善なのだろう
と思えるのです。


人をみると傷つく
でも、
上をみると、神を見上げると
傷つかない

でいられるのです。


そのくらい

神は良いお方だと
そこんとこは、揺るがずに信頼しています。


なぜなら

あれだけの罪びとだった私を
赦してくださった神様だから

生きながらにして死んでいたような私を
救って命与えてくれた神様だから

絶対わたしに悪いことはしない!するはずがない!!

それだけは、信じられるのです。



その同じ神が

あなたの人生を握って導いている
どんな人に囲まれて
どんな目にあったとしても・・・

と、

辛い時は、是非、思い出してください(^ ^)


0 件のコメント:

コメントを投稿