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2019年2月27日水曜日

迷う理由はここ?

古い信仰書、クリスチャン結婚本、子育て本を読んでいると
繰り返し出てくる概念があります。

それは

「自分の感情ではなく、主に従う」
なぜなら
「私たちの命も体も、もはや自分のものではなく、キリストのものだから」
よって
「神のみことばに従うのは当然の道だよね」

という考えです。

その土台となっているみことばは

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラテヤ2:20)」

「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。(ロマ6:8)」

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。(Ⅰコリ6:19)」


クリスチャンになった=自分は自分のものでなくキリストのものとなった

という意識を当然のように土台に据えて、様々なことが語られます。




実は

この意識って・・・あります??

私に対する権利は、私にはない。キリストにある。っていう感覚・・・。
あります????



私、この意識がめばえてきたの・・・わりと最近です・・・m(_ _)m




私たちの取り巻く常識は

個人の権利…とか
個人の自由意志…とか
多様性…とか
私には自由がある…とか
個人の自由を主張する…とか
私の考えも尊重されるべき…とか

そういう感じだと思うんです。

私のことは私が決めていい。私には選ぶ自由があり権利がある。

それが常識・・・みたいなとこ、ありませんか?


だから、クリスチャンといえど、人として自分の自由、自分の意思って尊重されるよね、思ってたんです。



でも、なーんか、うまくいかない・・・もやもやする。
なんでだろうって思ってたんです。


それで、気づいたんですけど


聖書の先ほどの概念って
これと全く対立するんです。

聖書では

クリスチャンになったというなら

あなたはキリストと共に死んで、キリストと共によみがえって、
あなたの存在はキリストの十字架によって神に買い取られたから、
もはやあなたはキリストのもの、神のもの。
「あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」
と言うんです。


もしそうだとしたら・・・

私たちは、キリストのものなのに、決定権は神のものなのに
なおも、その中で、
自分の意思が優先されるべき、自分のことは自分で決めると考えたら

自分に対するリーダーが、キリストと自分と二人いちゃって…

もう、ごっちゃごちゃになりますよね。


あるいは、

なんだ、結局、神のものになってないじゃん。
キリスト共に死んでよみがえって、キリスト共に生きてるんじゃないんじゃん?
買い取られてないんじゃん?
ってことは、信じて救われてな・・・??

てことに・・・なっちゃいそうじゃないですか?


この対立する二つのことを
共存させるのは、たぶん、無理だと思うんです。

単純にね

買い取られたら、そのものは、買い取った人に権利があるじゃないですか。
どう使おうと、買った人に権利があるじゃないですか。
それを、売った人が買った人に「こうしろ」って言える権利、ないですよね。
そう主張するなら、売るなって話で・・・。

だから、

やっぱり、どっちかだと思うんです。


じゃあ、クリスチャンになったら個人の自由はないのか?そんな主体性がないことでいいのか?
という意見が聞こえてきそうですが…

そもそも、主体的に、自分の権利を神に明け渡して、クリスチャンになるんじゃないの?
クリスチャンになろうって時点で、自主的に自分を神様に明け渡して、古い自分を捨て(死に)、新しい生き方となる決心をしたんじゃないの?
そのはじめの決心がなくて、クリスチャンになったの?
今になって、明け渡したはずのものを「やっぱり自分で…」と取り返そうとしているの?
逆戻り(ガラテヤ4:9)しようとしているの?

・・・てことになると思うのです。





婚活で

神のみこころに従って結婚したい

と言いながら

でも、神様が私の希望通りの人をくださらなかったら、なんかイヤ…

と思うのは

こういう混乱があるからではないか?と思うのです。


・クリスチャンって、なんなんだ?
・クリスチャンとなった私は、どういう存在なんだ?
・私に対する主権は誰にあるのか?
(主権が二つも三つもあるということはありえないですよね。No.1、唯一の権利という意味だから)
・クリスチャンなら、どういう意識で生きるものなのか?

という、根本がはっきりする必要があるなぁ。

そしたら、もっとすっきりと生きていけるし、婚活の方向性もはっきりするのかもなぁ、と思ったりします。 


2019年2月25日月曜日

東京で婚活パーティーあります

東京で、アットホームな婚活パーティーがあります。

リタマリッジというクリスチャン結婚相談所が主催です。

https://www.facebook.com/100002164359051/posts/2043661692382623/

お早めにー!

婚活中から結婚準備まで使えるテキスト

クリスチャン婚活サポートのミニストリーが
この10年くらいで驚くほど広がっています。

私が結婚した7年前は、こんなにたくさんの婚活ミニストリーはなかったし
あったのかもしれないけれど、顕在化していなかったし
それぞれが連携もしていなかったので
「婚活しよう」と思った時に
どこを頼ったらいいのかわかりませんでした。

ありがたい時代だなと思います。

いくつかの婚活サポート団体のサポーターの方々とお話する中で
今、すごく言われていることが
「クリスチャンとしての婚活、結婚の学びの機会が必要だ
ということです。

クリスチャンとして、結婚って何?婚活って何?ということを
学ぶ機会のないまま、知識もなく、成長もないまま、出会いの場へくる人がたくさんいます。
けれど、そういう人はやはり出会いの場を活かすことができない・・・。
そんな状況を、サポーターとして目撃をします。
遠回りに感じるかもしれないけれど、「学び」は必要だ・・・。
そう実感するのです。

本来なら、各教会、各クリスチャンコミュニティ、クリスチャンホームなら各家庭で
そういうことが教えられていたらいいのですけれど・・・

だったらいいのに・・・をつぶやいている暇はない!!

サポーターとして、できることは何か?と
祈りつつ知恵を求めていたところ、

婚活から結婚準備まで使えるテキストとなる良書に出会いました。

その名もずばり

「結婚の備え」(尾山令仁 著)


残念ながら、絶版のようで、中古書ばかりのようですが、
もしかしたら教会の本棚にひっそりあったり、親世代の教会の方が誰か持っているかもしれません。
(復刻、重版してほしい・・・)

実に40年以上前に書かれた本ですが、
こんなにわかりやすく、こんなにはっきりと、聖書に基づいて書かれているのはありがたいです。

内容としては

1、性、男であること女であることをどう捉えるか
2、男性の心理、特徴の解説
3、女性の心理、特徴の解説
4、友情の先に本当の恋愛があり、その先に結婚がある
5、夫となる召命、妻となる召命をもっているか?
6、夫婦が一体となるという意味は?
7、結婚は夫婦という共同体をつくること!
8、夫になる準備、妻になる準備として必要なことは?
9、出会いの場について、出会い方
10、結婚の心構え
11、結婚そのものに使命が3つある
 ー夫と妻との正しい関係を聖書的に解説(宗教的使命)
 ー夫婦を土台とした家庭という共同体(社会的使命)
 ー子育て、親子関係のこと(社会的使命)
 ー夫婦がお互いに啓発しあう(個人的使命)
 ー夫婦のコミュニケーションの取り方
12、配偶者の決め方
13、婚約の運び方、段取り
14、婚約期間の過ごし方
15、結婚式について
16、披露宴について
17、新婚旅行について
18、夫婦の新生活について

という感じです。
(目次を私なりに噛み砕いてどんな内容かを書いてみました。)

ただ、2と3のところは少し表現がきついなと感じる人もいると思います。
なので、ここはむしろすっ飛ばして
代わりに
「この人と結婚していいの(石井希尚著)」あたりを読むのがよいかも、と思います。
男性、女性の特性とお互いへの対応について、わかりやすく語られています。



4〜11は、結婚の意味、意義を本当に丁寧に解説してあるので、とても納得がいくと思います。クリスチャンの夫として妻としての心構え・・・なるほど、ここを目指すといいのか、ということも読む人の中で明確化していくと思います。
12〜18はものすごく具体的なアドバイスです。押さえるべき点とアレンジしていいところの境界線をしっかり教えてくれます。あと、礼儀についても語られているのがバランスの良さを感じました。

本当にオススメです。

なにがって・・・
私自身が、
婚活サポーターとかアドバイザーとしてではなく
実際に婚活を経験した者として
「これ、あのとき、教えて欲しかったーーー!!!」
と心底思う・・・という点で
オススメです。


これをテキストに、じっくり
「クリスチャンの結婚の備え講座」を
やりたいと思うほどです。

(が、今はできないので・・・)

できたら、それぞれで、読んでみてください。


2019年2月23日土曜日

神様は人に結婚することを望んでおられるのか?(その2)

つづき・・・です。 (その1はこちら



じゃあ、
人が増え広がるためだけに、男女が造られ、一つになるようにと結婚が進められているのか?
不妊の夫婦関係は、神様から見て必要ないのか?

これを考えるときに、ふと思い出すのは

アダムとエバが子どもを作る前に
命の樹の実の試みがあった・・・ということです。

もちろん、これは、サタンの誘惑で人を罪におとしめる策略であったのだけど
それを通して、神様も人の自由意志と聖さについてチャレンジを与えていたのだそうです。
罪のない状態の人間が、自ら神様との約束を選び取るかどうか・・・
もし選び取ったら、その聖さは確定されて、永遠に神と人が共に住む道が開かれていただろう、と言われています。

そのチャレンジが
人(アダムとエバ)が子どもを産む前になされた・・・
(その機能はすでにあることははっきりしているのに)
そしてそれが、アダムだけ、エバだけ、ではなく、二人に対してなされた・・・
ということが、なんとなく気になるんです。

もしかしたら

夫婦から子どもが生まれ、人が増え拡がっていく、という計画はあり、それは変わらないけれど
それよりも優先して
夫婦関係、そして夫婦と神の関係、ということを神様は重視していた、のかもしれない。

人が産み出され、親子関係というものができ、人が増え広がり、コミュニティ・社会ができて、
その先に神の国が作られていく
その大前提として、
夫婦関係と、夫婦と神の関係を、
ちゃんと確立させたかった、正しくしたかった・・・のかもしれない。

そういう意味では、
「夫婦」は子を産むためだけに意味があるのではなく、
社会を作り、その中で伝道、信仰継承、信仰成長がなされていくために
「夫婦」というものは必ず貢献していくはずだと思うんです。

「結婚の備え」という尾山令仁先生の本に(これもオススメの本)こうありました。

神が人間をお造りになった時、ただの人間としてお造りにならず、「男と女とに創造された(創世記1:27)」のは、まず第一に、男と女とがお互いに助け合って、宗教的使命、社会的使命、個人的使命を果たし、神の栄光を現し、真に住み良い世の中を作り出していくためでありました。もちろん、男同士、女同士の協力によってできることがあるのを否定するものではありませんが、神が人間を男と女とにお造りになったという事実は、男と女の協力なしには成し遂げられない使命を神が人間にお与えになったのだということを物語っておりましょう。




私には、教会にいらっしゃった何組もの「子どものいないご夫婦」にお世話になり育てられたという意識があります。
彼らはみな本当に素晴らしい信仰を持ったご夫婦で、本当によくお世話してもらったし、いろんなことを教えてもらったし、たくさんたくさん祈ってもらいました。私にとって第2、第3の両親のような存在。私の成長に彼らの存在は欠かせなかったと思います。

人が一人でいるのはよくない」と言って、男に加えて女を造られた神様・・・

ひとりよりもふたりが良い。
共に労苦すれば、その報いは良い。
倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。
更に、ふたりで寝れば暖かいが
ひとりでどうして暖まれようか。
ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。
(コヘレトの言葉 4:9-12)」

とも、聖書は語ります。



結婚って、神様がつくられた良いものだな、と単純に思うし
神様はこれらを望んでおられるのだろうなぁ・・・と私は思います。

さぁ、みなさん


いかがでしょう??


2019年2月21日木曜日

神様は人に結婚することを望んでおられるのか?(その1)

先日、古き良きクリスチャン結婚本を読んでいる、ということを書きました。
2、30年前の本なので、背景とする時代や人の感覚が今と少し違うところもあります。

一番違うところは

当時は、結婚はするもの、ということが当たり前のように前提にあったこと。
今は、そもそも結婚をするべきか否か、という問題からはじまる、ということです。


そもそも、聖書は、結婚を勧めているのか?
神様は人に結婚することを望んでおられるのか?


この、現代独特の婚活の悩みについて
思考の旅に出てみたいと思います。
よかったら、お付き合いくださいm(_ _)m




というわけで

聖書は、結婚を勧めているのか?
神様は人に結婚することを望んでおられるのか?


まず前提として
私たちクリスチャンは、自分の心より神の御心が成るようにと願っていく。
自分がしたいことより、神がしたいと望まれることに同意していく。

もっと言えば

神がそう望まれるなら、はい!と従っていく(それが最善と信頼して)。

ということを、前提として、話を進めます。
(なので、感情的に結婚したいかしたくないか、ということはこの話には含みません)



じゃあ

神は人に、結婚を望んでいるのか?
聖書を通して、それを認めることができるのか??

よく結婚で引用されるみことばに以下のものがあります。

「すると人は言った。『これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。』それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(創世記2:23-24)

ずっと気になっていたんです・・・

『それゆえ』

それゆえ=だから

一人の人から、取られて、二人になった。だから、二人は一体となる。


男と女はもともと一つ。もともと一体のもの。

なんですね。

そもそもは一体のものが別れ出て、二つになっている。
アダムとイヴは肉体的にも、霊的、精神的にもそうだったんですよね。

だから

元あったように一体となるのだ・・・という理屈。


今私たちは、
男女は別々で生まれてきて、出会って、結び合って、一つとなるけれど
きっと、このもともと原理
(もとは一体のものが2つになってるから、また一体となるという原理)
は変わらないのだと思います。

人の造られ方が当時とはちがうけど、
まず、別々に生まれて、それから、
その片われ、相方、まさにmissing pieceを探して、
出会って、一つとなる・・・のかもしれません。

だから、出会う相手、結婚相手は、ただの人じゃないんですよね。
誰でもいいわけじゃないし、自分の好みとかそういう次元ではなくって
お互いの霊的、肉的、精神的「片われ」。元は一つだったといえるほど、特別で代えの効かない相方、pieceなんですよね。

その組み合わせは、それこそ、私たちを造られる神にしかわからないでしょう。

「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。(詩篇139:16,17)」

私たちの肉体だけでなくその歩み方も造られ、ご存知の神様が、
私を女もしくは男に造る段階で、その一体となるべき相方も定めて造っていても
おかしくないんじゃないか、と思うんです。

だからこそ、神の導きで出会い結ばれた方がいいの・・・ですよね。

ちなみに
おもしろいな、と思うのは、
人ができあがるのって(つまり、受精)
男と女が一体となって(精子と卵子が一体となって)
はじめて一人の人間ができあがるんですよね。
そして、聖書的に言えば、
神が結び合せる男女が肉体的に、精神的に、霊的に一つとなってはじめて一人の新しい命が生まれでる。

それ以外に、人が生まれでる方法がない・・・んですよね。

なんか、すごい!

二人がそれぞれで存在していればいい・・・というようには造られてないし
男と女が一つとなることで
「産めよ増えよ地を満たせ」が成し遂げられるようにと、体の構造も機能も造られている。
男同士でも、女同士でも、繁殖はできなくて・・・
男と女が一つになることで、増え広がるようにと、造られているんだ
ということを
あらためて思わされます。



じゃあ、
人が増え広がるためだけに、男女が造られ、一つになるようにと結婚がすすめられているのか?

不妊の夫婦関係は、神様から見て必要ないのか・・・? 

・・・つづく



2019年2月18日月曜日

古いクリスチャン結婚本からあらためて発見

最近、あらためて
クリスチャン結婚本をよく読んでいます。
あえて古い(2,30年くらい前に出版されたような)ものを読んでいます。

時代も違うし、どうなの?と思われるかもしれませんが

かえって、発見があります。

自分たちの親世代が読んだであろうクリスチャン結婚本、信仰書、
を改めて読むことをぜひオススメします。

一番のおすすめな点は

聖書を土台とした説明がしっかりとなされていること

妻は夫に従いなさい・・・
夫は妻を自分の体のように愛しなさい・・・
互いにどう仕え合うのか・・・
赦し合うこと・・・
愛し合う(大切にし合う)こと・・・
男女のコミュニケーションをどうとるか・・・

それらを
聖書にはこう書いてあり、それはこういう意味で、こう理解し心をもっていく
だから従う価値がある
ということを、しっかりはっきり丁寧に説明してくれるものが多いように感じます。
読んでいて、私は結構納得できました。

そして、残念ながら、
教会やクリスチャンの交わりの場で、あるいは家庭の中で
これらをはっきりと教えてもらえる機会が
なかなかありません。

結婚や夫婦のことは、個人の問題、プライバシーのこと・・・
そこに教会も牧師も神の家族も、なんなら親も、
あまり介入すべきでないという考えが最近の主流のように思います。
個人主義、多様性・・・いろんな世の中の考え方と折り合いをつけようとして
はっきりと聖書の真理が語られることも最近少ないように個人的には感じています。

だから、聖書を土台とした結婚とか結婚生活とかというものについて
教えてもらう機会が本当に少ないのです。

本を読みながら
「もっと早く知りたかった。ちゃんと教えて欲しかった。」
と私はすごく思いました。

先日読んだのは
「しあわせな夫婦になるために(柿谷正期・著)」



おそらく絶版で、ちょっと手に入りにくいですが
良書でした♪

婚活中の方でも、読んでおくことをオススメします。

聖書を土台とした妻
聖書を土台とした夫
聖書を土台とした夫婦
聖書を土台としたクリスチャン
は、どんな姿なのか・・・
そして、どうしてそれが良いのか・・・
たぶん一つ一つ納得できると思います。
婚活する上での自分のヴィジョンも出来上がっていくと思います。

ちなみに、なぜ「聖書を土台とした」を重視するかというと
聖書を土台とするものが一番「神のみこころに近い」から。
そして、「神のみこころに近い」ものが、人にとって「一番幸せなもの」だ
・・・と確信しているからです。


いつか・・・機会があれば・・・そういう学び会もできるといいなと思います。

けれど、今はできないので
是非、古き良きクリスチャン結婚本や信仰書からも学んでみてください。
きっと、婚活のためのいいエンジンオイルになると思います♪


2019年2月14日木曜日

4月20日にP&A主催婚活パーティー開催!

P&A(プリスカとアキラの会)で2019年最初の婚活パーティーがあります!!

4月20日(土)13:15〜16:30
場所:ウインクあいち13階 会議室1305
参加者 プロテスタントの未婚クリスチャンで真剣に結婚をお考えの方
参加費 2000円(会場費、ケーキバイキング代、事務費含む)
*教派を超えた出会いの場としてお考えください。
*プライバシー保護のため、集会当日は電話番号やアドレスの交換はできません。ご了承の上での参加をお願いいたします。
*初めて参加する方は、13:00にお越しください。
*アンケート後マッチングした方々は終了後残っていただきますので、ご予定をあけておいてください。
*定員に達した場合、締め切り前でもお断りすることがあります。お早めにお申し込みください。

連絡先
日笠さん yoshiehikasa2025@yahoo.co.jp
古橋さん pisuga@ayflute.com

締め切り:4月8日(月)
※締め切り後のキャンセルには応じられません。ご了承ください。

P&A 協力牧師 平井聖歩(名古屋福音自由教会)高内義宜(日本キリスト改革派津島教会)

というわけで

ケーキバイキング付きパーティー
自己紹介、1対1トーク、フリータイムがあるそうです。

是非是非、ご参加ください♪