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2017年4月1日土曜日

「仕事」がクリスチャン婚活でも大事な理由

婚活の場(お見合いやパーティー)で、
相手の仕事(職業や働き方)が必ず紹介項目の一つとして取り上げられます。
どんな仕事を、どのような姿勢でしているか、ということは
クリスチャンの婚活においても、ないがしろにはできない・・・というのが現状です。


話は変わりますが、私は「労働」が大嫌いです。
「はーたーらーきーたーくーなーーいーーーー!!!」
と思いながら、仕事をしてしまいます。
だから、仕事が好き、という人を心から尊敬します。

辛くない仕事はないと思うし、
仕事が大好きという人もそんなに多くはないかもしれません。
(と、思いたい)

けれど、クリスチャンにとって「働く」ということは
実はとても大事なことです。

パウロは「労働」について、はっきりと語っています。

“また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。
外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。(Ⅰテサロニケ4:11~12)”

クリスチャンの真摯に働く姿は、それだけで証となるし、自分の糧も守られる、ということなんですね。

“どのように私たちを見ならうべきかは、あなたがた自身が知っているのです。
あなたがたのところで、私たちは締まりのないことはしなかったし、人のパンをただで食べることもしませんでした
かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。それは、私たちに権利がなかったからではなく、ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。”

パウロは自分で仕事をしながら、福音を伝える働きをしていました。
それは、献金がなかったからではなくて、
「日々の糧のための仕事」と「福音を伝えるための仕事」を両立する姿を模範として示すためだったようです。
これは、私たちにとっても、大きな励ましですね。

そのパウロがいいます。

“私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。
こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。(Ⅱテサロニケ3:7~12)”

ものすごい説得力・・・。
パウロ・・・厳しい・・・
でも、「静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい」と
キリストの名によって命じ勧めるのです。
どれほど強い勧めであり、それほどに大事なことだということだと思います。

働くことは、すごく、すごく、大事なことなんですね。


ヘブライ語の「労働」=「アダボー」「礼拝」という意味でもあります。
もともと天地創造の時から、人は神から地の被造物を管理する仕事を任され
喜んでそれをしていました。それが「働く」ということのはじまりです。
神様に任された務めをする・・・それは、まさしく奉仕だし、神様を讃える行動です。

働くことは、礼拝でもある。

日曜に教会に行って捧げるのも礼拝だけれど、
神を礼拝することは週に一度にしなさいなんて規定は聖書にはないですよね。
本当は、いつでも毎日でも神を礼拝するべきなんですよね。
それができない人間のために、日々の糧稼ぎを横においてでも、礼拝の時間を作るようにと神さまが「安息日」を備えてくださったんですよね。
(安息日はヘブライ語でシャバット。断絶する、切り離す、という意味だそうです。)

きちんと働いているということは、クリスチャンにとって、とても大事なことだと
聖書を通して教えられます。

であれば、
クリスチャンとしての結婚、また婚活においても
大事にされるのは、当然…ということになりそうです。

クリスチャンとの結婚を望んでいる人が、
お相手の仕事について気にするのは

経済力が豊かかどうか、とか
かっこいい仕事をしているか、とか
そういう肩書きのことではなくて

労働に対する姿勢と、
その労働を神様が祝福しているかどうか、
ということです。

だから、豊かな生活をしたいから年収が気になるのではなくて
年収がその人の信仰と神様からの祝福の一つの形だと思うから、
気にするのだとおもいます。
(でも、CCMでは年収いくら以上じゃないと結婚を考えられません、という人は
ほとんど見なくなりました。)
大抵の方は「年収にかかわらず、まじめに、誠実にお仕事している人がいいです」とおっしゃいます。(その基準はもちろん人によるのだけれど…)

いずれにしても
「働くこと」は、大事。

辛いけれど、大事。

仕事が辛いのは、仕方ないのです。
創世記3章の時点で
「あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、
あなたは野の草を食べるであろう。
あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る」
と神様から宣言されちゃいましたから。

けれど、辛さはただ辛さで終わらないはずなのです。
“神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、
あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。(ヘブル6:10)”
私たちの汗と涙を、神様は必ず覚えて報いてくださると信じます。


私が独身時代に職場の人間関係に悩み、仕事が嫌で嫌で仕方なかった時、
友人に教えてもらい励まされた聖書箇所があります。

“奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。
人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、
キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない、
人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。
良いことを行なえば、奴隷であっても自由人であっても、
それぞれその報いを主から受けることをあなたがたは知っています。(エペソ6:5-8)”

社会の中で信仰を持って必死で働いている一人一人のために、心から祈っています。

あなたの労働が、
あなたの日々の糧だけでなく、
家族の日々の糧も支えることになる。
あなたの祝福だけでなく、家族の祝福にもなる。
あなたの礼拝だけでなく、家族での礼拝となる。

そう考えたら、
結婚における労働の恵みの広がりが
ちょっと素敵…ですよね♪



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