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2017年4月14日金曜日

失言も乗り越えられる関係

4月になると
はじめて旦那さんと会い、あちこち行ったことを思い出します。
私たちの出会いはお見合いで、4/1でした。春の良い季節に出会ったので
デートであちこちいくのは楽しかったです。

お付き合い
婚約
結婚準備
結婚式
結婚生活・・・
を振り返ってみて思うのは

お互い、たくさんの失言も失態も失敗もあった(今もある)ということです。
それを「エ!?」とか、「イヤだな」とか、「なんだよ!」とか、思ったり思われたりもします(今もある)
でもそれでも、それが「一緒にいよう」という思いを超えることはなかった
話し合ったり、ゆるしたり、ゆるされたり
で乗り越えてきたわけです。

もしこれが

少しでも
失言してはいけない
失態、失敗したら壊れる
そういうものなら、
はじめから結婚とか、ありえない・・・と思うのです。


婚活や恋愛アドバイスの
「あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ論」
を見るたびに感じていた違和感は
多分これだと思います。

お付き合いの段階で、がんばって失言、失態をしないよう気をつけられたとしても、
結婚したら隠し切ることはできません。毎日一緒にいるし、それが30年40年とつづくのですから。
もし、結婚してしまってから、受け入れがたい失言や失態を目の当たりにし、向き合わなければならなくなるとしたら、結婚生活のスタートはいきなり辛いものにならないでしょうか?
それとも、例えそうでも、とにかく結婚できればいい!とすすめるべきなのでしょうか?


失言と思うポイント、思わないポイント
聞いて傷つくポイント、傷つかないポイント
見てイヤだと感じるポイント、感じないポイント
そういうものは、人によって違います。
体臭や匂いのように、それがムリ!て思う人もいれば好きと思う人がいる
ということに似ています。

だから

自分のパズルのピースに合うピースの人を探す、出会う

なんとなく

究極的には

これに尽きるのではないかと思うのです。



けれど
他人の多くをゆるせない心というのは
婚活を困難にするだろうな、と思います。

自分の多くをゆるされた
その恵みと愛を本当に確信し実感するなら

たぶん
婚活に関わらず
ひとの多くをゆるせたり、批判せずに見守ったり受け止めたり
できるはずなんじゃないかな、
と思うのだけど…


婚活を重ねるごとに
人を見る目が厳しくなっていったり
壁が高くなっていくのは

婚活を重ねるごとに
傷つき、否定、批判されたように感じて
ゆるされる恵みと愛の実感から遠ざかり
人をゆるせない気持ちが増してしまう
からかもしれない

だとしたら、

そのたびに、信仰に立ち返るのが一番だと思うのです。

神はあなたを愛しゆるしてくれたこと
人がどんなに否定しても神は受け入れてくれること
人は離れていっても神は共にいて独りにしないこと

ここからしか、真のエネルギーは得られないのではないか

と思ったりします。

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