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2017年4月18日火曜日

「自由意志」と「善悪の知識」

最近、友人と、一緒にデボーションすることを目的に
小さな学び会を始めました。

社会人になると、忙しい生活の中で、なかなか一人でデボーションが続かなかったりします。でも、本当は、聖書に触れ、ぐっと読んでみる機会がほしい。
そんなわけで、月一で数章ずつ読み、ガイドを元に理解し、分かち合うということを始めました。
楽しいです。

さて、創世記の冒頭を学びながら
「自由意志」と「善悪の知識」の違いについて
すごく考えさせられました。

アダムとエバは、神が食べてはいけないと言って禁止した“善悪の知識の木”の実を食べました。
蛇(サタン)の誘惑をきっかけに、神の命令を破ることを選び、
神のように善悪を知るようになることを望んでしまったのです。


ここで、きっとこう思う人もいるかもしれません

「どうして、善悪を知ってはいけないの?
善悪を見極められるから、正しいことができるのではないか?」



どうでしょう?




一見、おかしくない、気もしますが、
これ・・・ほぼ、そのまま蛇の言った誘惑の言葉ではないでしょうか?
うーん、
これこそが、罪の思考の“種”のような気もします。

人は
「自分で善悪を知る」・・・に、とどまりません。
それは「自分で善悪を決める
ひいては「善悪の"基準"を決める」になっていきます。

アダムとエバも「その実は食べてはいけない」という基準を
自分たちの中で「その実は食べてもいい」に勝手に変えて、決めて、
そして食べてしまったのです。
もう、、、それはそれは一瞬で・・・。

「善悪の基準を決める」のは、神様だけが持つ権利であり、神様の権威です。
人のものではないのです。
つまり、もし私たちが勝手に善悪を決めたら、それは“越権行為”になります。
よって「自分を神のようにする」という、おそろしいことになります。

そして、
神が与えてくださった自由の中で、私たちを祝福するために与えた命令を守れなかった人類・・・
神との約束を破り、神に背を向けてしまい、神との関係に亀裂が入ってしまった人類・・・
そんな人類が、正しく「神の定める善悪」を見極めることができるでしょうか?

聖書に書かれた記録は、神との約束をまもれず、善悪の判断も間違えまくる人類の事件のオンパレードです。
とても、正しい善悪を知り判断できるとは思えない・・・。


もう一つ、私たち人間が、ちょっとだけ勘違いしていることがあるんじゃないか
と思うのです。
それは
「与えられた枠組みの中で生きることは、不自由で、不幸せだ」
「自由とは、選ぶ、決める権利を持つことで、
選べること、決められること、それこそが人の幸せなのだ」
ということです。


これって、本当でしょうか?

私たちには、創造の初めから自由意志が与えられています。
でも、
なにかを選択できるから幸せなんじゃない。
選択した先がよいものだから、幸せなんです

選択した先が悪いものだったら、幸せではないですよね?

でもどうしてそう思ってしまうのか、
そこには、自分は必ず良いものを選択できるはずだ、という奢りが隠れていルノだと思います。
だから、きっと勘違いして、「自由意志」と「善悪の知識」がワンセットにされてしまうのではないかと・・・。

でも、人は、間違えます。100%正しく判断は、できないです。

じゃあ、どうしたら幸せか?といえば、
神様が示す「必ず幸せになるよ」という道を、自分の意思で選ぶということだと思います。
なぜなら、その選びの先が「幸せなもの」だともう決まっているからです。

自由意志の1番の活かし方は
神の示す選択肢を自らの意思で選ぶこと、ではないでしょうか。
神さまが与えてくださるもの、与えてくださる枠組みの中で、自由意志を用いる。
これが、ベストで幸せな形、なのではないかと思うのです。



なんで、こんなことを、こんこんと語っているかというと、
婚活においても、似たことが言えると思ったからです。

自分にとってベストな人を、自分でわかっていると思うのは
自分に「善悪の知識」があり、判別できるという思いなのではないでしょうか。
自分で判断し、自分で決め、「ああいう人がいい、こういう人がいい、こういう人はダメ」と条件を並べ立てていく…。

それって、本当に正しいのだろうか?あっているのだろうか?
その「知識」は神様の御心と本当に同じなのだろうか?


一方、目の前に置かれた人が、神様が示す道であるかもしれないと信じ、自分の意思で受け取っていく・・・
神様の与える枠組みの中で自由意志をもち、悩んだり信じたりしながら進む・・・

まさに、この方法で結婚していったカップルを本当に何組も見てきました。
そして、どのカップルも、
苦労がないわけではないけれど、とても幸せそうで、安定した平安があるように見えます。

私たち夫婦も、こんな感じで結婚に導かれ、5年目となります。苦労もあるし事件も起こる、基本的に平凡な家庭ですが、本当に幸せです。


より幸せな生き方、幸せな人生の進み方のヒントは
聖書にあると、私は確信しています。

神のみ言葉をともしびにして、
聖書が示すことを選びとって、
未来へと歩んでいけたら、
本当の幸福はそこにあるんじゃないかなぁ、と思います。

私自身も、それを祈り求めていきたいなぁ、と切に願っています。




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