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2017年4月12日水曜日

婚活に成功法はあるの?

婚活についてのいろんな話をたくさんきく
ちょっとネットで検索すれば、たくさんの情報がでてきます。

そのほとんどは、婚活で成功するにはの方法論だと思います。

これをしたら失敗した。こうすると上手くいかない。
あれをしたらダメ、これをしないほうがいい・・・。
失敗例のオンパレードです。

ふと思うのです。
うまく行った例をあつめたら
違うデータが出てくるのではないか・・・?

失敗の反対は、・・・成功・・・なのか?


こんなとき、
聖書のことを思い返してみます。

モーセの律法の禁止令は365個、そして命令が248個の計613個あるそうです。

律法の禁止令は、これをしたら失敗…というよりは、
これをしないことが成功である、というニュアンスが強いような気がします。

ちなみに、
この律法を、受け取った民は、結局律法を守ることができませんでした。

ニンゲンの歴史は
こうしてはいけない
をことごとく破る歴史です。

罪の始まりは、
食べてはいけないを食べたこと、でした。(創世記3章)

これは、
罪の本質の一部かも知れません。
だとしたら、
人に罪がある限り
してはいけない、は、してしまいがち
なのではないか?と思うのです。


信仰が働くのは
神のすすめること、奨励を
自分の意思で選び、信じて、
そのようにするとき、だと思います。

信じなさい
に対して
信じる

愛しなさい
に対して
愛する

イエスを信じなさい
を、素直に信じる

けれど、
イエス以外を信じちゃダメ
と受け取ったら、急に
信じるのが難しく感じませんか?
(これが、受洗するかしないか迷う人の心理のような気がします)

罪には際限がありません。
これをしたらダメ論はいくらでも語れるでしょう。
でも、それを集めても、必ず成功にいたるのでしょうか?
婚活本が次から次と出版され、婚活業界がこれほど盛り上がるのは、
これはダメという方法論からは確固たる成功法がみいだせないから、のように思います。


そもそも、世界共通の婚活成功法なんて、ない。


私たちクリスチャンの救いは
救いの方法論があってそれに成功した結果なのでしょうか?
救いは自分で獲得したものなのでしょうか?

聖書は救いについてこう明言します。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2:8〜10)」

救いは、私たちの成功の結果ではないです。
救いは、神様からのプレゼントであり、私たちができたのはただ信じることです。

ここにある「良い行い」の一つに、「結婚」もあるのではないかと思う。
特に、クリスチャンで神様がその人に結婚を備えておられるなら、そうかもしれないと思うのです。

だとしたら、
結婚も、救いと同じように「恵みのゆえに、信仰によって」「賜物」として与えられるのではないでしょうか。
もし、神様が備えようとし、結婚を通して大切なことをあなたに使命として与えようとしているとしたら、むしろ
「自分自身から出」ないように、「行いによって」成らないように、「誇ることがないように」、神様が導くのではないか?
とさえ思います。

CCMに関わる、結婚に導かれていった…言ってみれば成功例を集めてみると、
共通して言えることは
「神の一方的な恵みとしかいいようがない結婚だ」ということです。
「こんなこともありえるの?!」の連続です。
「神様っているんだ、人にはできないことをなされるんだ!」と
見る人が思うような結婚ばかりなのです。

だから、私は信じています。

私たちの、成功失敗にかかわらず、
いや、時に失敗のようなことをしたとしても
神様が導くときは必ずそれらを超えて導く!
恵みを受けるものとしてできるのは、神とその導きと業を
最後まで信じること、信仰を握り続けることです。
恵みは神のしごと、信仰は私たちのしごと。

そもそも、信仰なく方法論を徹底したって、
うまくはいかない、と思います。

優先するべきは、一体なんなのか、
見失わないようにしたいですね。


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