top

2017年4月16日日曜日

クリスチャンとノンクリスチャンとの結婚

クリスチャンとの結婚を祈っているという方がほとんどのCCMですが
「絶対そうあるべき」とうたっているわけではありません。

けれど、想像以上の、クリスチャンとノンクリスチャンとの結婚の難しさ
について、最近考えさせられたので、少し書いてみようと思います。

自身がクリスチャンで、ノンクリスチャンの方と結婚する…
もちろん結婚前に、結婚しても教会へ行き続けたいこと、できれば一緒に行って欲しいこと、願わくば信仰を持って欲しいと祈っていること、を伝えてあり
お相手も理解し、わかったと返事をします。

けれど

何につけてもですが

結婚したら、本性がでる

結婚前は、結婚したいから、好かれたいから、いい関係を保ちたいから
いい返事をする…ということもあります。
いい返事をもらえれば、相手は自分に賛成しているようにみえるでしょう。

けれど、これは、けして「賛成しているわけではない」のだそうです。
つまり、価値観が同じになっているわけではない、場合もあるということです。

もともとノンクリスチャンで、母(クリスチャン)との交際をきっかけに
クリスチャンになったという私の父
(納得して受洗しクリスチャンになってから結婚しましたが)

母と付き合っていた頃、
クリスチャンである彼女に対してどう思っていたかというと

「反対しないだけいいだろ」
「君の価値観に、反対はしていないじゃないか」

…だったそうです。

でもこれは、同じ方向を見ているというわけではないですよね。

「反対していない」
そして、「賛成もしていない」

これは、実際は、反対しているのと同じこと
とても「同じ思いだ」とは感じられないものですよね。
聞いたら寂しさ、悲しさが伴います。

反対しない
興味がない
関心がない

は、賛成している、同じ方向を見ていることにはなりません。

そして、
いつでも、違う方向に走りだす可能性があるのです。

なにか気に入らないことが起きた時
「反対しないだけいいだろ!」に潜む小さな鬱憤が爆発する・・・。

その時、はじめて、二人の間の認識の違いに気づく・・・

思いの外マイナスからのスタートだったのだかもしれない、
想像以上に長い険しい道が待っているのかも…、と感じるのです。


でも、それでも、
神様がその結婚をゆるし、成し遂げられたのなら
そこにご計画と、その人に対する召命があるのだと思います。

だから、否定はしませんし、
すべてのノンクリスチャンと結婚しているクリスチャンのために
その信仰が守られ勇気と忍耐が与えられるようにと、心から祈ります!
本当に本当に、心から祈ります!!!


もちろん、教派の違い、信仰スタイルの違いにおいても、
似たような「のちのちのすりあわせ」は必要だったりします。

けれど、同じ聖書の、同じ神を信じているという価値観は
ある、ない、だけで大違いだということです。
性格の不一致では共存できても、この価値観の違いは共存しがたいのです。
聖書の神を信じ、イエスキリストの十字架と死と復活を信じるという信仰は
人生の根幹に当たる価値観です。
これを捨てたら、人生の生き方はまるで違う。
これをもったら、人生の生き方はまるで変わる。
「信仰」とはそういうものなはずだ、と思うのです。

教団・教派とか、礼拝スタイルとか、つかう聖書の違いとか、賛美のスタイルとか
そういう表面的なことではなくて
もっと根本的な「信仰」というアイデンティティーについて
あらためて確認してみるのも、大切かもしれないな、と思います。


0 件のコメント:

コメントを投稿