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2017年4月28日金曜日

人のいろいろがゆるせない

もうすぐGWですね。
今年がもう4ヶ月もたってしまうのかと思うと、
時の流れのはやさに驚いてしまいます。
(とし・・・)

5月27日にはひさびさにCCM交わり会をやりますから、
是非遊びに来て下さいね。
詳細は、この記事の最後に♪


さて

他人のいろいろが気になる…
相手のあちこちが気になる…
なんとなく「ここがゆるせない」「あれはナシだ」「そういうのはアリえない」
そんな感じで
他人のいろいろが否定的に気になってしまうことがあると思います。


私もかつて

ものすごく人に対して否定的でした。
今もその頃の癖が残っています。

それはもう、気になって気になって
イライラする。

まだ独身で東京に住んで信仰を離れ夢を追っていた頃
都会の人混みの中で、常にイライラして、
新宿のホームを歩きながら目の前の人を全員蹴り倒して歩きたい
と思うほど、常にイラついていました。

・・・

ちょっとイライラが過ぎていましたが(^ ^;)

とにかく他人のいろいろが気になり、
だいたいのことがなんか「ゆるせない」
そんな思いがしたのです。

自分の思いや考えと違うものに対して、
「そういうこともあるよね」なんて受け止める余裕もなく
違うものは「違う、おかしい」と即結論を出してしまう。

そうでなければ、やっていられなかったのかもしれません。
自分をたもてなかったのかもしれません。




でも、
今は、そうでもありません。

いつから、そうでもなくなったんだろうなぁ

と、ふと思いました。




思いめぐらしていたら、このみことばに出会いました。

「 愛には恐れがありません。
全き愛は恐れを締め出します。
なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。
恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。 (Ⅰヨハネ4:18)」

あぁ、そうか、

怖かったのかもしれない

恐れがあったんだ・・・


と思い当たりました。

怖いから、身を守るために、自分を肯定するために、周りを否定していたのかもしれない。
やはり、そうでもしなけりゃ、自分というものを保てなかったのだと思います。



けれど

その生き方にも挫折しました。
そういうのって、自分が一番苦しくなるんです。

その生き方に行き詰まって
完全に神様の前に自分を投げ出したとき

こんなボロボロな自分を愛してくれる神様を知り

その愛に満たされたとき

「もう、なにも怖いものはない・・・」

そう思えたあの瞬間

のことも思い出しました。


ちなみに、それまでの自分の愛のなさは本当にひどくて
大好きだったはずの動物や子どもまで、
どう接していいかわからないほど、「かわいい」という感情も忘れて
恐れていました。(重症・・・)


それが、しだいに回復されて、

何かを愛でることを思い出していった

その感覚も、よく覚えています。


「私たちは愛しています。
神がまず私たちを愛してくださったからです。(Ⅰヨハネ4:19)」

このみことばは、本当だなぁ、と思います。

「神は私たちに御霊を与えてくださいました。
それによって、私たちが神のうちにおり、
神も私たちのうちにおられることがわかります。 

私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、
今そのあかしをしています。 

だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、
神はその人のうちにおられ、
その人も神のうちにいます。 

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。
愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。 

このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。
それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。
なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。
(Ⅰヨハネ4:13−17)」


中学の時に洗礼を受けていましたが、

本当に心から信仰を持ったのは、たぶんあの時だと思います。

このみことばを心の奥底から「そうだ、アーメン!」と言えるし

言えるようになってから、私の人生は確かに変えられていきました。

今も変えられている途中だと思います。



だんだんと、人のいろいろが気にならなくなりました。

たぶん、人を否定しなくても、自分の考えや感覚と違っても、

自分を保てるようになったんだと思います。


どこか
「自分はこれでいいんだろうか」
「自分は間違っているかもしれない」
と思っていると、
自分という土台が揺らぐような感覚があるかもしれません。

別に、今の自分が完全だとは思わないけれど

神様は、こんな自分も愛してくれるし、
間違っていたら正しい方へ導き変えてくださる
と信じられるから、
今は「ま、いっか」と思うのです。

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。
目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。 
神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。
私たちはこの命令をキリストから受けています。  (Ⅰヨハネ4:20-21)」

そうか、これは命令なのね・・・
と、読んで改めて思いました。

自分をあんな状態から救ってくださり
とことん愛してくださる神様に
自分はなにができるだろう?

言い尽くせない感謝をもって、神様に従い、喜ばれるようにしたい

できれば、「目に見えない神を愛」したい。


じゃあ、

兄弟を「憎まない」ところから

はじめてみようかな


他人のいろいろを、

否定し…ない

ゆるさ…なく…ない


というところから、やってみようか



そんなかんじで、

少しだけ

今までのあり方や、スタンスや、ベクトルを

変えてみるのもいいんじゃないかな、と思うのです。



なにかが・・・・変わるかもしれない。


=お知らせ=

CCM交わり会を開催します。

20〜50歳くらいまでの若き(?)クリスチャンの集いです。

クリスチャンの結婚、婚活、クリスチャンライフなど、
同年代で話したい、でもなかなか話せない、ことを
ゆったりまったり分かち合い、交れたらいいなと思います。

簡単なドリンクとデザートをご用意してお待ちしています。
(差し入れ、大歓迎)

日時:5月27日(土)14:00~16:00(予定)

場所:北方キリスト教会別館<しおん館>
(岐阜県本巣郡北方町芝原東町1-10)
電車でお越しの方は、JR穂積駅へ送迎します。事前にご連絡下さい。

参加者:20〜50歳くらいまで独身クリスチャンの方、求道中の方、カップルの方、既婚クリスチャンの方、
是非お越しください♪

参加費:500円

お申込みはこちらから↓
https://ws.formzu.net/fgen/S2250328/

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